Yahoo知恵袋で「少数意見を尊重する」とは?という質問に対するベストアンサーを末尾に引用:
その中に
民主主義の原則は「議論」です。
議論を重ねて、悪い意見を淘汰し、良い意見をより良くして行きます。
とある。
俺は、ユダヤ教徒やキリスト教徒には議論が出来るが、日本人には議論は出来ないと思っている。国会の”議論”を見よ。単に野党が野党らしく、無責任で訳の分からない言いがかり(反社の皆さんの言いがかりの方がまだ気が利いている)をつけ、与党はいい加減に答えにもならない言葉を並べ立てているだけだ。だから、日本の民主主義とは「一票でも多く取った方が勝ち」とする方がいいのだ。日本の国会では「議論は重ならない」し、「悪い意見もよい意見」もない、ただ、自分に投票してくれそうな人に対するパフォーマンスをしてるだけだ。
俺は、かつて自民党が民主党が政権を取られたように、飽きられれば、馬鹿だと思われれば与党が選挙で負けることが民主主義だと思う。選挙で勝った党が有期限で独裁政治をすればよい。そして、どうせ議論は成り立たないのだから少数意見などに気を使わず、多数決で押し切ればよい。それが厭なら次の選挙が必ずあるのだから次の選挙で勝つように努力すれば良い・・・選挙しなくなるのは民主主義ではなく独裁。
俺は、このベストアンサーのような、他所の国、宗教、民族で成り立っているものを日本人にできるかどうかを無視してありがたく押し戴くのはやめよ、と強く思う。
民主主義という代物も本当に日本人に向いているのか?も常に考えるべきだ。独裁だって悪くないかも。皆が言うから独裁は×、民主主義は〇ではなく、自分の頭で考えるべきだ。
「少数意見を尊重する」って、本当に難しいですね。
直接に説明する能力がないので、例えを並べて説明します。
”盗人にも三分の理”という言葉があります。
盗人が、”俺は腹を減らしているのに、あいつは十分に食べて金を持っている、俺が盗んで何が悪い!”と言っても三分の理でしかありません。
十人がじゅうにん、”もっともだ!”と思っても、三分の理である以上、この屁理屈は通りません。
昔、テレビで”ジェスチャー”という番組がありました。
男女のチームに分かれて、身振り・手振り(ジェスチャー)で問題の解答を教え合うゲームでした。
とにかく、老若男女、人が集まるとジェスチャーゲームが始まり、みんなが楽しめる素晴らしい遊びでした。
ところが、この番組に苦言を唱える人々が出てきたのです。
聾唖者(ろうあしゃ)を差別しているように見えると言うのです。
もちろん、大多数の人々は、ジェスチャーには聾唖者を差別する意図はまったくなく、明るく健康的で多くの人が楽しめると考えました。
(これが多数意見です。)
やがて、ジェスチャーに苦言を唱える人々が一割を超えようとしたときに、番組は終了し、音楽のクイズ番組に替わりました。
少数意見というのは、数が少ないだけで、十分の理屈を持っているのです。
聾唖者の家族・友人の数を、理解者の数を考えれば、一割の意見は多数意見を上回るのです。
これが「少数意見を尊重する」コトなのです。
民主主義の原則は「議論」です。
議論を重ねて、悪い意見を淘汰し、良い意見をより良くして行きます。
最後に残った、いずれもが十分の理屈を持つ意見を最終的に選ぶ手法が「多数決」です。
でも、「多数決」に漏れた「少数意見」も十分の理屈を持っていることを忘れないで下さい。
最初から数の理論だけで挙げられた意見だけが正しいと思わないで下さい。
本当に正しいと思う考えなら、たとえ少数意見となっても声を挙げ続ける、多数決の意見に従っても、常に少数意見を忘れない、尊重する心を忘れないで欲しいモノです。
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