斎藤野の人「日本文学のロマンチク趣味」より
明治40年発表の「日本文学のロマンチク趣味」より:
平家の人は三世の考えがある。つまり生死以上に更に大なる世界を観じたから、彼等の処世は観照的である、快活である、即ち悠々自適したので丸で芸術家の態度である。これゆえに彼らの戦争は希臘(ギリシャ)人のように遊戯である。勝敗とか褒美とかの目的は全くない、則ち無関心で、戦いのために戦っている。(略)屋島の戦いの夕暮れには平家は旭の扇を船首に立てた船を艤装して海上に出た。こんな態度は武士道の人の絶対に解することのできぬ所である。これ故に扇を射られて嬉しさのあまり船に上って舞をした男をも与一は直ちに射殺したのである。
閑話休題:
那須与一(ちなみに、与一=十一男)が矢で平家の船の上に掲げた扇を射落としたのは知っていたが、平家側に、その見事な技に喜んで踊ったうつけ者がいたことは初めて知った。「敵ながらあっぱれ」というよりは戦っていることを忘れ、「すげえ、ヤバイ」と単純に喜んだんだと思う。(そもそも平家は何故、戦のさなかに扇を的にするなどという『遊び』をしたのか分からなかったが、「平家は武士ではなく芸術家の集まりだ」と考えれば得心が行く。)
上述の如く、天皇を連れて逃げる平氏に比べて源氏はドライでクールで野暮。近代的と言うか。土地を安堵することによって配下の者と契約関係になった・・・。鎌倉武士から豊臣秀吉の400年間ぐらいの間は日本人が本来の「平和好き」「みんなと一緒」「和」を忘れて「自分さえよけよければよい」になった時期。俺は日本人の戦争の強さがピークに達したのは豊臣秀吉の朝鮮出兵の時だったと思う。この時代は「戦いのために戦う」ことはなかった。その後、江戸時代に戦争の仕方を忘れ、大東亜戦争では本来の姿である、「戦うために戦」うようになった。
三世(さんぜ)とは現在・過去・未来を輪廻するということだとか。20年くらい前、、インド人は自分の命を守ろうとしないから安全教育は無駄だ、というインド経験者がいた。インド人は輪廻を信じているから、現世に強い執着はなく、死んだら、別の生き物に生まれ変わる、と思っているとか・・・
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