斎藤野の人「泉鏡花とロマンチク」より
明治40年発表の「泉鏡花とロマンチク」よりにカントの言葉として以下が紹介される。
「知識と言うものは万物が如何なる風で吾等に見ゆるかを知り得るものであるが、万物其の物は何であるかは知り得ない。吾等は万物の実体を知ることが出来ない、これ故に知識や理会の上に世界観を組み立つることは出来ぬ。」
ここにプラトンの「洞窟の比喩」を思い出す。人間に見えているのは実体ではなく、光に照らされてできた「影」だ・・・この実体を求めることが生きる目的だと。(後にこの「実体」が「神」になるのだろう)
「分かった」と思い上がったり安心したりせずに、万物其の物や実体を探し続けることが生きる事だと言うことか。
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