日本人とユダヤ人より その4
九 さらに「日本教」についてより抜粋:
日本教は人間教であるから、神の方へ人間がタッチして行く。従って「触らぬ神に祟りなし」である。「人間が神に向かって、自分のほうから身を投げ出す、その投げ出し方は無心(無条件の信頼)でなければならぬ」ということであろう。従って投げ出すことに対して反対給付を求めれば「ご利益宗教」と軽侮される。とすれば、幼児が母親に身を投げかける、といったことになろう。この考え方の中に、一口にいうなら神と人間の関係は「水臭いものではなく」「肉親的なものである」という考え方がある。(略)旧約聖書に記されているように、「神はイスラエルを選んで自分の民とした」ということは、多くの民族の中から選ばれて「養子」にされたされたことで、養子になるには当然、さまざまの契約があったわけである。(略)一方、旧約聖書には「イスラエルはヤハウェを自分の神とした」とはっきり書かれているが、これは「養子にされ、養子になった」ということなのだが、おそらく日本人の神概念と、根本的に相容れぬ点がある。もし、太古から日本人が「天照大神は日本人を選んで自分の民(養子)とし、日本人はそこで天照大神を自分の神(養父)とすることになった、そしてこの養子縁組に関して、細かい契約があった」と考えていたなら、日本人の生き方が、今と全く違ったものになっっていたことは想像に難くない。
閑話休題:
日本人は親ー祖父母・・・とつながって元をたどれば全員天照大神の子孫。これが日本教の神話だ。従って人間は神様の養子ではなく、神様と血のつながった子孫ということになる。実の親子なので水臭い関係にはならず、赤ちゃんのような純真無垢で相手を疑うことを知らない、信頼しきった心(無心・赤心)で赤ちゃんのように親(=神)に身を投げ出す。こうやって出来上がった人間関係は、江戸開城を控えて「腹を割って」話し合った勝海舟と西郷隆盛に見られるように、言外の信頼関係が出来上がって無血開城と言う奇跡を起こす(二人の間、或いは二人に神が宿る)。これが一神教の場合、赤心になれずに腹の探り合いが行われ、腹を割った話し合いではなく、「交渉」なので、互いを信頼することは出来ない。問題は日本人同士ならこういうことが起こり得るが外国人との交渉では、こんなことは、まずありえないということだ。
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