柳田国男「日本人とは何か」より

キリスト教徒やエジプト人の様なミイラを作る民族つまり、魂は肉体に戻って来ると信じる民族と違って、日本人は肉体は滅んで魂だけ別に残ると信じた。家は祖先の魂が帰って来るためのものであった。

大家では家の中に苗代があって、分家の者だけに苗を分け与えた。この苗を分け与える範囲のことを苗字と言った。

内(家)=氏=血縁である。

同じ祖先を持つ血のつながった者たち及び必ずしも血は繋がってはいないかも知れないが、苗字の範囲まで含んだ者たち、言い換えれば価値観や利害を共有する集団の居場所を「家」と呼んだ。家には祖先の魂が帰って来る・・・氏神

内(家)の外は世間。ただし、世間の範囲は同じ祖先を持つ民族。(日本で言えば天皇を祖先に持つ日本人)

社会と批判から抜粋:

めいめいがかってな生活をさえしておれば、人のことはかまっていられないということが、今日ではごく普通の常識になって、そして今はもう人の前を憚ることもなく、言っても少しも恥ずかしくない状態になっている。元来日本人の気持ちから言えば、縁もゆかりもない他の人間の挙動でも、暇に任せて静かに見ておって、批判する者が前は多かった。それゆえ世間の思惑がこわいから、親をいじめたくてもそれが出来ないとか、笑われるから夫婦喧嘩をさし控えるとかいう考えがあって、人は肩上げの取れる頃から互いに批評の対象となっていた。そしてその批評はいつも本人に面と向かってされるのではなく、本人の気づかぬ陰や背後でいわれることがいやなばかりに、自然に自分の行為にも節度を保ち続けてきたのである。もちろん干渉の強すぎる村落の生活を決して賛美するわけではないが、要するに我々の間に起こった批判と言うものの起こりは、外部の人間が等しく関心を持ち、かつ外部の人間であるがため公平な判断をくだすことができた。日本人は元来小さな社会の中にこうした外部の制裁に基づいて自己を形成してきたのである。言わばこれは公衆道徳の一つの成長と言えるのである。然しこの公衆道徳たるや極めて貧弱なもので影口や批判と言うものが必ずしも常に正しいとばかりとは決まっていなかったが、実は日本人はそう言いながらも、考え方に時代的な差異こそあれ、なすべきことの善と悪との差別は心得ていた。それが世の中が次第に改まり、勝手気ままな生活をする者の障害もなくなって、異郷人ばかりが隣り合わせで住むようになると、世間の批判は希薄になり、言いたいものには言わせておけ、俺は痛くもかゆくもないからと思い始めてくると、もう公衆道徳の新たに成長する望みはない。

→地域コミュニティ(村)の崩壊・・・

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