今西錦司 「生物の世界」 四 社会について より
以下、繁殖率と繁殖数について仮説/矛盾:
一種類の生物が存在し、一定に繁殖率を以って繁殖し始め、その結果として遅かれ早かれ地球上はその生物で一杯になる。この飽和状態に達した時にその生物の繁殖率が減衰して、以後はこの飽和状態を維持しうる程度の繫殖率に変化してしまうのであったならば、それでもよろしいが、それではあまりにも生物らしからぬ消極策のような気もする。だからといってもとのままの繁殖率を続ける場合には、この世がいわゆる生存競争の修羅場と化すだけであって、それも無益な抗争を好まぬ生物にとってはふさわしからぬことであろう。だからこの矛盾の、生物らしい円満な解決というのは、その生物社会が食うものと食われるものとの分業に発展することによって、繁殖率を減衰させずともその飽和状態を持続することにあるだろうと思う。そしていわばこの量から質への変化を通して、実際は地球上の生物の絶対量も、増加したのである。一つの社会が二つの社会になることによって、一種類の生物が二種類の生物になったのである。(1941年弘文堂)
以下俺の感想:
今西はダーウィンとは一味違う進化論を展開した学者。上記は一種の弁証法だ。繁殖数(量)の増加が矛盾を招来し、その矛盾が食べる一方だった一族を食べる種と食べられる種に分ける(質を変える)。
さて、これは人間社会でも起こる事だろう。食べられる人とそれを食べる人・・・格差或いは階級、身分。つまり、資本主義であろうとなかろうと、人間が一定量を超えて増えれば差が付くということ。差が付かないと人数が増えすぎて生存競争の修羅場になるから、差をつけて増えすぎないようにするというのだが、そうなれば、差をつけたい、差をつけられたくないと思うから結局競争になる。人間を含む生物というものは競争しないと気が済まないものなのだ。
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