因果は巡る核兵器

NHK映像の世紀 バタフライエフェクトにインスパイアされて:

 1949年8月ソ連は原爆実験に成功したが、これを境に、アメリカとの戦争に自信をつけたスターリンは、金日成に南進をそそのかすようになる。ソ連はこの原爆の開発に北朝鮮で取れるウランを使った。このウランは、日本が朝鮮を植民地としていた時期に開発しものだった。

そして1950年6月北朝鮮は南進し(朝鮮戦争)、国連の安全保養理事会は北朝鮮に対する非難決議をする。

1949年10月に中国では共産党が中華人民共国を建国し、ソ連は中華人民共和国に代表権を認めない国連に抗議して安全保障理事会をボイコットしていたので安全保障理事会で北朝鮮を非難する決議に拒否権を行使しなかった。

朝鮮戦争向けの武器その他補給物資の需要が大きく伸びて日本の景気は良くなり、日本の復興に役立った。同時に、日本から朝鮮半島に出て行った米軍に代わって日本人が自力で日本を守るべく、違憲の存在である自衛隊もできた。

マッカーサーもアイゼンハワーも軍人は朝鮮戦争に原爆を投入したがったが、トルーマン大統領は許さなかった。マッカーサーは民主党のリベラルなトルーマンが大嫌いで、トルーマンと会った時にも(上官である大統領に)敬礼しなかった。

金日成はソ連(その後原爆開発に成功した中国にも)原爆技術を教えてくれとねだったが、ソ連も中国も虎の子の技術は教えてくれなかった。ソ連崩壊後、ウクライナで失業した原子力関連技術者が北朝鮮に渡って原爆開発をし、2006年実験に成功した。


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