1920年代の日本

最近の(学校出たての)若者は会社に対して

「成長を感じたい」だの、

「上司は指導して欲しい。でもこちらから報連相はしたくない(決裁不要で自由にやらせろ)」だの

「入社してすぐに、面白い仕事ができそうな会社に入りたい」だの、

「野球の大谷翔平やサッカーの久保建英、三苫薫の活躍を見て『いますぐ世界と闘いたい』」だの と言うらしい。

こういう言説に接すると、

「守破離って知ってるか?素人は何年間か面白くない基礎訓練に耐え、それから成長だ、面白いだと言ってくれ」

「素人が報連相なしに勝手し放題したら事故を起こす」

「大谷、久保、三苫…海外に限らず、日本の中で活躍しているスポーツ選手だって、まず、子供の時から何年も厳しくて面白くない基礎訓練・鍛錬に耐えてスカウトの目に触れてそれから”世界と闘う”ことができるんだ。」

「大体こいつらは製造業や農業には興味がなく、デジタルだ、AIだをやりたいらしい。コロナの時、『マスクがない、穀物がない』と騒いでいたが、マスクや穀物は一体、誰がどうやって作るんだろう?」

などと一々反論したくなる。

100年前の1920年代に新しい考え・運動が現れた。それに対して”違和感””危険”を感じた保守反動の人間がいた。今の俺はそういう人たちに似てるんじゃないか、と思う。ちょうど100年前の1923年には、(俺も知らなかったが)首相が死んだ直後で新内閣が組閣される前の「空白時間」に関東大震災が起き、どさくさに紛れて無政府主義や社会主義といった新しい思想に”かぶれた”連中や朝鮮人が殺され、その後、皇太子が無政府主義者に命を狙われるという事件が起きた。100年前のようなことが再現されないか、気になる。

1920年代の日本を振り返ると:

①原敬は、士族でも華族でもない平民出身で初めて首相になったが、3年で暗殺された・・・暗殺者・中岡艮一(こんいち)の自供に信ぴょう性がなく、右翼にそそのかされたのではないか、という説もある。それを裏付けるように、中岡は無期懲役の判決を受けておきながら、3回の恩赦で13年で釈放された。釈放後、満州に渡り陸軍に勤務し、終戦後は日本に帰って来て1980年まで生きた。平民宰相なんて許せない、という保守派が陰で糸を引いていた?

②国連加盟、ワシントン軍縮条約など、軍縮、平和的国際紛争解決の機運に乗る動きもあったが、大隈・山縣の最後の長老が亡くなり、長老が築いた大国に気を使った慎重な外交は無影をひそめ、苦労知らずの2代目が大国と同じ権益を取ろうと強引な外交姿勢に。

③メーデー、社会主義、共産主義、無政府主義、ソ連の成立…新しい思想・運動が海外から伝わるが、1923年の関東大震災以降弾圧される

④ジェンダーフリー、儒教的な男尊女卑の否定の運動が起こったが、有名人の心中・情死・不倫が頻発

⑤ラジオという新しいメディア(今でいえばインターネットみたいなもの?)が現れ、情報の流れ方、流し方が大きく変わり、また、世論の操作、国民の意思決定にも影響した


まとめると:

・政治:自由、民主、平和的な方向に動くが、長老がいなくなったこともあり、その反動で強権的、帝国主義的な動きが強まった

・経済も第1次世界大戦中の好況の反動で恐慌となったまま金融恐慌、世界恐慌と不景気が続いたが、政治家も官僚も景気をよくすることはできなかった(政治家は足に引っ張り合いに終始した)…その後、国民は絶望した


以下、Wikipediaなどから:

1918年 シベリア出兵(22年撤兵)、原敬が平民初の首相(21年暗殺)

1919年 新婦人協会発足 松井須磨子島村抱月を後追い自殺

1920年 戦後恐慌 国際連盟加入 初メーデー 日本社会主義同盟結成、

1921年 原敬暗殺 皇太子裕仁親王摂政に

1922年 大隈重信 ・山縣有朋死去 シベリア撤兵 ワシントン軍縮条約 日英同盟失効

    日本共産党結成

1923年 加藤友三郎首相病死後、山本権兵衛が組閣中に関東大震災 甘粕事件(憲兵による伊藤野枝・大杉栄惨殺) 亀戸事件(社会主義者検挙) 朝鮮人虐殺 虎の門事件(無政府主義者による摂政皇太子の暗殺未遂事件) 有島武郎心中(情死)

1924年 加藤高明(憲政会)内閣発足・・・政党政治が1932年まで続く

1925年 ソ連と国交開始 治安維持法・普通選挙法 NHKによるラジオ放送開始

1927年 昭和金融恐慌

1928年 3.15事件(共産党員大量検挙) 張作霖暗殺事件

1929年 4.16事件(共産党員大量検挙) 世界恐慌


閑話休題:

1924年の加藤高明内閣~1932年の犬養毅内閣までは、衆院の多数を取った政党の総裁が首相を務めた。結果、この一連の内閣が恐慌で苦しむ人を無視して政争に明け暮れ、絶望した若い軍人はテロを起こし、結局、軍人が日本を乗っ取った。今の政党政治が絶望的なこと、若者が日本に絶望し、おかしなことを言っていること、100年前と全く同じだ。

加藤高明は象徴的ではないか?軍人の経験はないが、長老の発言力が弱くなったので威勢よく帝国主義的外交を行った(外相時代の第1次世界大戦参戦、対華21か条要求)。首相になってからは普通選挙法という民主的な法律と治安維持法という反動的な法律を通した。

コメント

このブログの人気の投稿

ママーのガーリックトマト(ソース)で茄子入りミートソースを作るとうまい

松重豊さんが号泣した投稿「ロックじゃねえ!」投稿者の先生への思い(朝日新聞デジタル)

長嶋追悼:広岡さん