やっぱり高校野球教
今日、高校野球の決勝だ。午前中にやればいいものを一番暑い午後2時から始める。俺には理解不能。やっぱり宗教だった、一番苦しい時に試合すれば救われると信じている、と考えればわからなくもない。
仙台育英は、とんだ”かたき役”だ。俺の周りは”にわか慶応ファン”だらけ。(俺も1番バッターの白い顔には魅力を感じる。仙台育英の選手は顔も名前も全く思い浮かばない)俺は慶応は負けると予測している。判断根拠はただ一つ。準決勝でピッチャーが完投したこと。準決勝で慶応がもっと点を取っていれば、あるいは他に信頼できるピッチャーがいれば、ピッチャーを交代したはずだ。つまり、準決勝で勝つために慶応は力を使い果たした、と。(もっと点が取れれば、あるいは、あと一人信頼できる投手がいれば、余力を残して決勝に臨めた)
ただし、この考え・予想は、当のピッチャーの能力・体調・気力によって当たらないことがある。ハンカチ王子は俺のこの考えを見事に裏切った。2006年、西東京予選決勝で我が日大三高は早実と戦い、2番手ピッチャーを先発させ、負けた。(確か、先制され追いついたがサヨナラ負けではなかったか・・・)その年の甲子園決勝の早実対駒大苫小牧戦。再試合となった決勝で駒大苫小牧はマー君を温存し、負けた。(面構え、体つき・・・マー君が野球選手としてハンカチ王子より数段上なのは一目瞭然だった)西東京予選決勝、甲子園決勝2試合の3試合とも早実はハンカチ王子が先発完投した。自分以外にピッチャーはいない、という意識がハンカチ王子に、持てるもの以上のものを発揮させたのか?逆に言えば、この3試合でハンカチ王子は持てるもの・運を使い果たした、とも。
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