白河院と人類の歴史

NHK BSプレミアム 「英雄たちの選択 平安時代を壊した帝王 白河上皇 山法師との戦い」を見た。この番組のホストの磯田道史さんが言ったことだが、白河院は山法師(比叡山延暦寺の天台宗の僧兵)の強訴という政治問題を北面の武士という子飼いの軍隊で退治して解決しようとした。(それまでは宗教・・・仏や神・・・が政治の基だった。白河院としては、聖武天皇以来の仏教による国家鎮護という正統な天皇親政への復帰を目指していたのに、それにしつこく逆らう延暦寺の僧は叩き潰すべきものであり、叩き潰すために武力を利用したのだが。。。)それが武力/武士の時代を招来し、時代が進むと、武力の次は金銭での問題解決となって、今に続いている。そろそろ金銭のあとの「何か」が来てもいい頃だが・・・

考えてみると、洋の東西を問わず、人類が信じ、頼るものは①宗教・信仰 ②武力・戦争 ③技術 ④経済・金 と変化(進化?)してきた。今や、宗教も、戦争も、技術も金次第ではないか?言い方を変えれば、結局、宗教も戦争も技術も金欲しさに始まり、金を目指して動くのではないか?つまり、多くの人が金=経済が人間を幸せにする、と思っている。

日本では、6世紀に仏教が伝来してきて宗教・信仰の時代が始まり、11世紀末、白河院が北面の武士を創設、山法師との”宗教戦争”の解決に使った。一旦退治したように見えた強訴はその後ますます増え、それを押さえつけようとして武力・戦国の時代を呼び込み、17世紀~18世紀(江戸時代)に日本独特の技術・生産・経済が発達し、それを下地にして19世紀~20世紀、西欧流の経済発展が実現した。確かに現在、金銭あるいは経済の後の基・信ずべきもの、幸せの基準がなくなって混迷を極めている、と言える。

西欧のキリスト教徒は:

11世紀末に十字軍を派遣してイスラム教徒と戦争を始めた。15世紀、造船・航海の技術が発達して大航海時代が始まる。17世紀、東インド会社が株式会社の原形を作り、18世紀には生産・輸送技術の発達に伴い資本主義が始まり、経済力・物力で世界を圧倒した。これに非キリスト教徒のアジア人も19~21世紀に続いた。共産主義もこの延長線上にあるから「新しい何か」ではない。

21世紀:

経済に代わる、「人類が信じ、頼る新しい何か」が生まれてもよい時期だ。中国も上述のキリスト教徒に続いて同様の道を歩んでいる。(”歩んできた”と現在完了形で言うべきか)インド、イスラム教徒、南米、アフリカの国々はどうするのか?これらの国から「新しい何か」が誕生するのか?

閑話休題:

機械あれば機心あり。便利に利用したつもりが、段々機械に利用され、機械優先になり支配され、いつの間にか機械に乗っ取られてしまう・・・白川院は北面の武士を単なる山法師退治のツール(=機械)として利用した。資本主義や株式会社は、今や人々の苦しみの素ではないか?その苦しみを解決することが期待された共産主義も機心が働いて、内部の権力闘争が起き、資本主義と争って崩壊した。共産主義に勝利したように見えた資本主義・自由も、人間を幸せにするより不幸にしつつある。デジタル技術に対しても人間は自ら進んで振り回されるように・・・。次の「機械」は何だろう?「環境にやさしいことをしたら幸せになれる」なんてネ。違うな。今までの「何か」はそれまで、下劣で、いかがわしくて、役に立たないと言われ馬鹿にされていたものだった。法王・貴族に対する武士・錬金術師・冒険家・資本家・・・が生み出した。今で言うと難民、失業者、非正規雇用労働者といった人々が何かを生み出す???

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