神谷美恵子 著 「生きがいについて」 (別名“自己忠”の勧め)その12

 新しい生きがいの発見①「心の奥行きの変化」

生きがい喪失の苦悩を経た人は少なくとも一度は皆の住む平和な現実の世界から外へはじき出された人であった。虚無と死の世界から人生及び自分を眺めてみたことがあった人である。今、もしその人が新しい生きがいを発見することによって、新しい世界を見出したとするならば、そこに一つの新しい視点がある。それだけでも人生が、以前より彫りが深く見えてくるであろう。もはや彼は簡単にものの感覚的な表面だけをみることはしないであろう。ほほえみの陰に潜む苦悩の涙を感じ取る目、体裁のいい言葉のへつらいや虚栄心を見破る目、虚勢を張ろうとする自分を滑稽だと見る目・・・そうした心の目はすべて、いわゆる現実の世界から一歩遠のいたところに身を置く者の目である。

一歩引いた視点と引く前の視点・・・奥行き或いは余裕

 

精神的な生きがい①「審美と想像のよろこび」

盲目の一患者は一輪の桜を「舌と唇で愛し、そこから故山に匂う桜を見た」といい、これを「静かな花の宴」と呼んで、悦びを表現する。考えてみると、ものの形や色や音に、現実の利害や効用を越えたよろこびを感じる心が人間にそなわっているのは、驚くべき事である。この心は、ごく幼い子供にも認められるから、人間の生得の素質と考えなくてはならない。太古の時代にすら人間の芸術的な心の発露のみられることからも明らかである。

 らい病患者は目も見えなくなるが同時に指先の感覚も失うことがある。目も見えず、指先に頼る点字も駄目、ということになった人は口を使って点字を読んだり、上述のように桜を口で愛でる。

精神的な生きがい②

他のよろこびを自己のよろこびとし、他の悲しみを自己の悲しみとする」こと、「他を愛し得る人間となる」こと、たとえ今すぐそういう人間であり得なくても「やがては愛をもちうる・・・という信頼と希望」が、精神の世界における最高のよろこびの一つであることは、らい患者の社会においても、一般社会においても、全く同じことであろう。このような愛は単なる血縁や異性間の本能的牽引力によるものとはちがい、もっと本質的な人間同志としての結びつきの意識に根差すものと思われる。ある患者は散文詩に歌う「傷に包帯を巻いてもらいながら、この痛みを爽やかに洗ってくれるもの・・・少女の手の汗や疲れの中に、少女自身みずからを愛し私を生かす純粋な・・・共に一つの泉をくむ世界を感じる。」若い看護婦とこの患者は、ここまで同じ生命に生かされる共同の世界にいる。一つの世界にいて、一つのものに向かって励まし合って行く同志としての友情こそ、精神の世界での愛の形であろう。たとえ血を分けた者同志でも、夫婦でも、この友情に裏付けらなければ、その結びつきは真の生きがいではありえないと思われる。そうでなければ、自由で独立した人格同志の関係でありえないからである。愛生園に住む夫婦たちのなかには、もちろん単に利害や便宜のために結ばれている者もいるが、ともに苦しみを負い、助け合おうとする友愛、同志愛が、一般社会の夫婦の間よりも、はるかに多く見出されるように思われる。この頃のらい療養所には問題が多く、権利の主張と利害得失の計算、そのための闘争のみにあけくれしているようにも見える面もある。権利や金の保障さえもらえれば人情など要らない、という患者さえもある。しかし、園に入り込んで患者たちの毎日の生活に接してみれば、右のような荒々しい、たけだけしい人は目立ちはするが実は少数に過ぎないことが分かる。

他人との共同世界も自由で独立した人格同志が作るもの。独立したバラバラで離れ離れの個人個人が同じ一つの泉から水をくむことから愛や友情は生まれる。独立しておらず癒着し、依存し合った個人間には自由も愛も生まれない。俺の上さんは、他人との間の壁が薄く、他のよろこびを自己のよろこびとし、他の悲しみを自己の悲しみとする能力・感受性(愛する能力・感受性)が俺の何十倍何百倍も高い。つまり、俺より何十倍何百倍も上等な人間だ。その上、何故か俺を今まで見捨てないで来てくれた。まず、これに感謝する。そして今後、俺が死ぬまで生きて、見捨てないでいてくれることを切に祈る。そうすれば「上さん」は「神さん」になる・・・志ん生が「火焔太鼓」で、古道具屋の亭主に言わせる「あいつは図々しいから生涯、家(うち)にいるよ」を地で行く女房になって欲しい。上述の文章の最後のくだり。世の中、バカ野郎ばかり、おかしな連中ばかりに見えるが、絶望しないで落ち着いて目を凝らせばまともな人の方が多いんだ、と言っている。そう信じよう。

コメント

このブログの人気の投稿

ママーのガーリックトマト(ソース)で茄子入りミートソースを作るとうまい

松重豊さんが号泣した投稿「ロックじゃねえ!」投稿者の先生への思い(朝日新聞デジタル)

長嶋追悼:広岡さん