”遊び”の効用
会社に入ってから出会った人は「こいつはアカン、付き合いたくない」「薄っぺらい。馬鹿じゃないの?」という人間と「こいつは面白い、付き合ってやろうじゃないか」「賢そうだ」という2種類に大別できた。「コイツはアカン」のは技術屋に多かった。まれに「この人いいなあ、尊敬できるなあ」と思える人がいたが、全て事務屋だった。(そう書いて、一人だけ技術屋で俺の何倍も様々なことを知っていて、かつ深く考えている人・・・尊敬できる人がいたことを思い出した)俺は事務屋で、技術屋のもっている技術のレベルは評価できないが、自分の頭で考える人かどうか、信頼していい人かどうかの評価・識別はした。
今日、ふと思いついたのだが、自分の頭で考えるには遊びが必要だ。ここで言う「遊び」とはもちろん、酒を飲んだり、賭博をしたり、女の子とデートしたり、もあるが、そういう紋切り型の”遊び”ではなく、タイパの逆、”時間の無駄使い”ということだ。俺は大学の4年間は遊んで暮らそうと思っていた。”紋切り型”の遊びもしたが、必ず何もすることがなくて時間を持て余す時がある。そういう時間を何百何千時間と過ごすということだ。クラブ活動も、50年前は就活のネタになるとは思わなかったが、いい暇つぶしであり”遊び”であった。(遊びではあったが、道を究めるべく、毎日練習し、真面目に取り組んだ)
何もすることがなくて時間を持て余すと何をするか?くだらないこと、例えば「なんでこんな親の元に生まれたの?」「なんで死なずに生きているの?」「どこから来たの?」「死んだらどうなるの?」なんて、答えのない問いの答えを求めて考える。この経験で世の中には意味のない事、自分の分からない事があるんだ、人間の死生なんて意味もなさそうだし、自分には分かりそうにない、と気づく。こういう悩みを抱えているタイミングで新興宗教につかまることもあろう。
答えのない問いの答えを求めて時を過ごすなんて贅沢であるだけでなく、”生きる余裕”になる。車のハンドル操作に”遊び”が必要と言うが、人生にも一見無駄に見える余裕、空隙が必要だ。俺の想像だが、技術屋は大学生の時は理科系で理科系の学生はあまり遊び時間がなく、時間に追われて授業や実験や実習をしていたのではないか?つまりこの目的のために何を何時間やる、という風に時を過ごしていたのではないか?「時間の無駄遣い」は文科系の学生に比べて少なかっただろう。彼らは答えのない問いの答えを求めるなんていう無駄なことにはあまり時間を使わなかったのではないか?文科系の学生でも「将来この職業に就く」などと計画的に目的を持って勉強したり時間を過ごしていた輩も同様だ。
答のない問いを考えることは無駄のようでいて、実は物事を裏側から見たり、斜に見たり、相対化したり、みんなが口をそろえて言うことが正しいのか疑ったり、大元の原理や存在意義を探求したり・・・と、面白いこと、そしてパラダイムシフトの時には大事になることを考える癖と力を養うように思う。そして、俺は物事を正面(一面)からしか見ることが出来ない奴、みんなが言うことを疑わない奴、紋切り型の奴、流行りものに飛びつく奴、なぜ生きているの・なぜ存在するの?を問わない奴・・・を薄っぺらい、と馬鹿にする。
考えてみれば自然科学は、理由が分かる事、合理的な説明がつく事だけを取り出して突っつきまわす学問だ。理由がない事や説明がつかない事もあるんだ、という想像力・畏れがなければ極く薄っぺらいものになる。
1980年代まで日本の会社は計画性もなくまた目的もあまり深く考えられないまま「みんながそうするから」「アメリカでやってるから」といった理由で方針が決められ運営されていて、それで成り立っていた。一方、社員は先輩上司が帰らないから残業してみたり、口実を作っては酒飲んで管巻いて口論してみたり、運動会や宴会といった社内行事の準備や練習をしたりと、本当に無駄な時間を過ごした。確かに計画性もなく、目的もはっきりしない馬鹿な時間の使い方で、”遊び”だった。組織にも無駄・遊びがあり、リーダーのほかに番頭さんがいて、番頭さんが若手の育成から仕事の差配までやっていた。(1960年代までの課長さんは会社に出てきてもすることがなく新聞読んでた、とか、部長さんは個室を持ってて昼過ぎでないと出社しなかった、とか・・・1976年入社の俺だが、なんとなくそうだったろうな、と感じることはあった)
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