末法思想

 神谷恵美子さんの「生きがいについて」を読むと「明るい未来があると信じられれば人間、特に若者は「わき目もふらずに何ものかを創り出そうと力のかぎりをかたむける」というくだりがある。自分探しと言って様々な仕事を「つまみ食い」し、社会貢献とか成長とかキャリアなどと言っても浅薄で画一的で流行を追いかけているだけという感じのする若者を見て、「何故?」と思っているが、それは明るい未来が感じられないからではないか、という思いを深くした。また、同著には「終末観」という言葉もあって、「末法思想」という言葉が頭に浮かんだ。

さて、”末法”とは釈迦が死んだ紀元前949年から2000年たった後に始まると信じられていた。つまり、1052年以降。そこで1052年頃の日本を振り返ってみると:

1027年、権謀術数の果てに藤原氏内部のライバルを蹴落とし摂政、関白、太政大臣となり、娘に三代続けて天皇を生ませて天皇家に対しても恫喝・駆け引きしてやりたい放題やった藤原道長が死んだ。後継は道長の長男・頼通。親の七光りで摂政、関白、太政大臣と、律令制の出世階段を順調に昇った。一方、1028年には平忠常の乱が起き、これを朝廷は源頼信に鎮圧させたが、武士の反乱を武士に鎮圧させるという、武士の台頭を予見させるできごとだった。忠常を討伐する責任者の人事では、頼通(藤原氏・北条流)が選んだ平直方が討伐に失敗し、頼通のライバルの藤原実資(藤原氏・小野宮流)が選んだ源頼信が成功した。藤原一族の中に、道長はやりすぎたし、武士が台頭してきて藤原一族による律令制・摂関政治が危うくなっているのに北条だ、小野宮だ、と内輪もめしてる場合じゃあない、という危機感というか、倦怠感というか、そろそろ藤原氏も終わり、という終末観が芽生えたのではないか?

道長は娘を次々と皇室に送り込み、外戚としての地位を確固たるものにしたが、頼通には実の娘は一人切りで天皇の息子を生めず、続いて養女を送り込んだがやはり天皇の息子は生まれなかった。弟の藤原教通も娘に天皇の息子を生ませることはできなかった。そして1045年、生母が藤原氏出身でない尊仁親王が皇太子となり、1068年、後三条天皇となる。後三条天皇は天皇即位後アンチ藤原政治を試みることになるが、すでに1045年の時点で藤原氏内部には「終わった感」があったのではないか?

末法思想では地獄のような現世、そして死んでも地獄が待っていると信じられ、現世はあきらめるとしても、死後は極楽浄土に行きたい、という考えを生み出す。それには自力でどうこうしようとせず、他力(阿弥陀様)を信じて念仏を唱えれば、阿弥陀様が極楽に連れて行ってくれる、と。藤原道長が自力をフルに発揮して我が世の春を満喫した反動か?

さてさて、1052年に始まる末法を前にした藤原一族と現代の(若者の)類似点・・・そう言えば、1052年の1000年後の2052年って何法なの?バラ色なの?末法よりもっとひどいの?:

・道長のやりたい放題=1980年代のバブルか?

・平忠常の乱=年次改革要望書に象徴されるアメリカの内政干渉か?この圧力を逃れるのに日本はまず、小泉売国奴(新自由主義)政権でアメリカに媚びを売り、ついで反米民主党への政権移行を行った。いまだに新自由主義、株主資本主義といった残渣は残り、政治に絶望し、優秀な担い手のいなくなった政治・官僚の劣化、与野党のスキャンダル合戦は日本を混迷させ「世も末」感を増す・・・結果的にアメリカの「日本を叩き潰す」という目標は達成された・・・(民主党政権誕生=尊仁皇太子誕生か?民主党も尊仁も政治改革の意図はあったが、結果的には政治的混乱をもたらし、末世感を増した)

・日本の現状に絶望し、せめて将来は、と考えるのは現代の末法思想ではないか。今の自分は本来の自分でもなく、理想の自分でもないから、将来に夢を馳せる。会社に一生を託しても明るい未来は待ってない。会社以外の生きがい、食い扶持を求め、自分探しをする。自力に頼って額に汗するようなことをしても救われない。「わき目もふらずに何ものかを創り出そうと力のかぎりをかたむける」ようなことはダサい。成長とかキャリアなどという念仏を唱え、他力にすがる。我が世の春を謳歌した高度成長・バブルの反動。

※平安時代の末法は、1052年に始まってから約100年後、武士の時代を迎え、大団円を迎えることになる・・・1156年、天皇家の内輪もめを武士の力を借りて解決した保元の乱がおき、武士の時代がぐっと現実味を増した。

平安時代の末法とは言い換えれば武士に取って代わられる藤原氏が自分たちの時代の終わりを感じたということだ。さて、”令和の末法”はいつ、どのような大団円を迎えるのか?荒々しい武士は現れるのか?AIが武士の代わりを務めるのか?面白いと言えば面白いが、あまり楽しそうな感じはしない。

アンチ藤原の後三条天皇のあと、天皇家が院政を敷き、勢いを盛り返したが、結局内輪もめを起こして上述の保元の乱につながった。2050年から2150年の間は昔の勢力(例えば軍国主義、全体主義、国粋主義、帝国主義・・・)の復古というのもあるかもしれない。これも嫌だが。。。

閑話休題;

俺たちの世代は、藤原道長の息子の世代に相当するか?高度成長を演出・実行した世代の息子の世代=藤原頼通の世代。頼通は1074年に死ぬ。晩年はアンチ藤原の後三条天皇が藤原氏の荘園を取り戻そうとする政策を始め、それに抵抗したりするが、歴史の歯車は摂関政治の終わりに向かって動き出していた。俺も頼通同様、自分たちの世代の終わりの始まりを感じる。せいぜい抵抗しなければ、と思うと同時に、次の新しい時代が来るのを見届けないで死ぬのは嬉しいような、つまらないような・・・


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