神谷美恵子 著 「生きがいについて」 (別名“自己忠”の勧め)その15

 柳田邦男 困難な「現代のジレンマ」克服への道

(前略)権力による抑圧や働く者からの搾取がなくなり、老人や病人や障害者が安心して暮らせる支援制度が確立したとしても、その先にある心の問題・・・病気や障害を苦にする心、死への不安、喪失体験による悲嘆、他者への怨念・恨み、劣等感、支配欲、権力欲等々を克服できなければ、結局、人は心の平安も幸福感も得ることは出来ないだろう。むしろ経済的・物質的に豊かになればなるほど、そういう心の問題が表面化し、前面に出てくるだろう。社会的な活動を否定するのでなく、社会の仕組みを変えたり、経済的・物質的豊かさを求めたりする時には、そういう新しい状況の中で心の問題がどうなるのか、心の問題にどう対処したらよいのかを、同時に考えて行かないと、人は厳しく困難な新しい問題に直面するおそれが大だ。神谷さんはそういう捉え方をしていたのだ。(略)最近、水俣病患者の緒方正人さんを中心とする「本願の会」の思想と行動に魂を揺さぶられるものを感じている。(略)水俣病を特定の症状に限定して国が認定し医療支援などを行う制度そのものへの疑問(緒方さんは申請しても認定患者として認められなかった)と、企業(チッソ)や国から賠償金を取ることで決着させようとする裁判闘争への疑問から、1985年、認定申請を取り下げるとともに、自ら会長を務めていた水俣病認定申請患者協議会を脱会した。しかし、それは闘争を止めるということではなかった。認定申請を取り下げたのは、一見逆説的だが、水俣病問題に幕引きをさせないためであり、より根源的に水俣病の原因と責任を問い続けるためであった。それは現代文明への批判であり、自分の内なるチッソへの問いかけでもあった。だから、不知火海で漁を続けながら、一人でも抗議すべきは抗議の座り込みをするし、同時に破壊的な現代文明に依存して生きている自分達自身の罪に対して救いを求める祈りもする。緒方さんは、1994年に志を同じくする患者仲間や有志たちとともに「本願の会」を発足させたが、その機関誌「魂うつれ」第9号(20024月)のインタビュー記事の中で、こう語っている。「裁判での和解、政治決着という名の幕引きを前にして、私たちは水俣病が制度的な処理機構の中に埋め立てられるのではないか、と強く危惧したのです。だから、『本願の会』はその状況を見越し、『終わらない水俣病』をどこまでも引き受けていくことを決意した集団だったと思うのです。」また、栗原彬編「証言 水俣病」(岩波新書)の中ではこう語っている。「この『システム社会』に魂が閉じ込められ制度化された患者として存在するのではなくて、生きた魂としてもう一度、不知火の海に帰る、水俣に帰る、そういう意味では、現象の上で闘い敗れてもいいじゃないかと、魂を持って帰るということこそ大事だと思います。小さい時に親父を殺されて、チッソをダイナマイトで爆破してやりたいと思っていた自分が、今、チッソに対してほとんど恨みを持っていません。そして私は、チッソや行政の人たち、あるいは水俣病被害が広がっていく当時、特にチッソ擁護に加担したといわれる人達を含めて、ともに救われたいと思います。」もし神谷さんが今の時代に生きておられたら、「本願の会」の思想と行動をどのように受け止めただろうか。神谷さんは、原爆症患者やハンセン病患者の社会的活動に関する前掲の引用文に続いて、広島のある詩人の次のような言葉で終わる詩を紹介している。

<平和は手をつなぐという簡単なこと 本当の戦いは、自分自身に向かって進めていくものだとだれも知ろうとしない>

官僚の、「右から左」式の合理的解決・・・理屈には合っているかも知れないが、腹落ちしない。魂がおさまらない。親を殺したチッソにも、原爆を落としたアメリカにも恨みを持たない。手をつないで一緒に救われたいなんて、神様の理屈で頭がいっぱいの一神教徒に分かるだろうか?「現象の上では闘い敗れる」って、「相撲に勝って勝負に負ける」に通じるか?もしそうなら、日本人以外に理解できるか?普遍的か?

日本人は「社会の仕組みを変えたり、経済的・物質的豊かさを求めたりする時には、そういう新しい状況の中で心の問題がどうなるのか、心の問題にどう対処したらよいのかを考えない」。これを“漢ごころ“と言う。古くは律令制、資本主義、帝国主義、新しくは民主主義、金融資本(新自由)主義・・・心がどうなるかなんて無視して、先進国のもの、流行りものに我先に飛びつく。日本人には、これはやめられそうにない感じがする。

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