神谷美恵子 著 「生きがいについて」 (別名“自己忠”の勧め)その11
新しい生きがいを求めて①「自殺をふみとどまらせるもの」
自殺をふみとどまらせる上に一番大きな原動力となるのは、なんといっても攻撃心かもしれない。打たれれば打ち返す、というのが人間に備わっている原始的、本能的な反応のしかたであるから、運命の打撃を受けた人間がまず最初に発するうめき声は「なぜ自分だけがこんな目にあわなくてはならないのだろう」という、あのパール・バックの恨みに満ちたことばである。このうらみと攻撃心が自分に向けられてしまえば自殺となり、どこにもこれを持って行きようのないとき、それはいつまでも心の中でくすぶり続ける。しかしこの恨みの念も、報復の念も、適当な方向とはけ口さえあたえられれば、ひとたび足場を失って倒れた人間を再び起き上がらせる。長い絶望の期間の後にパール・バックを再びしゃんとさせたのは、このことを無駄に終わらせてはならない、娘の不幸を社会的に意味あらしめようという烈しい意欲であった。羽仁五郎は愛児を一歳半で失い、その深い悲しみを契機として次のような心境に至ったという。「世界に比なき日本の乳幼児の死亡率の高さに対して、すなわちその原因である日本帝国主義の残酷に対して、あくまで戦うことを決意するようになった。」(略)がんや結核などでもはや治る見込みのないことを自覚している人間の場合には、それでもうちのめされ切ってしまわないだけの攻撃心の強い人ならば、その攻撃心が時間というものに向けられることもある。自分の余命はもうあと何年、何か月しかない、という認識は、一種の終末論的な意識と切迫感をうみ、それがすべての思考や行動の背景となる。許されたわずかな時間を最大限に生かし、そこに質的な永遠を打ち立てようとする烈しい意欲である。
攻撃心:「このまま負けていられるか!」という負けじ魂。
新しい生きがいを求めて②
パール・バックの言葉「そして私の魂を、反抗によって疲れさせる事は止めました。私はそれまでのように、『なぜ』という疑問を次から次に持たなくなりました。しかしそうなった本当の秘密は、私が自分自身のことや悲しみのことを考えるのを止め、そして子供のことばかり考えるようになったからでした・・・私が自分を中心にものごとを考えたり、したりしている限り、人生は私にとって耐えられないものでありました。そして私がその中心を少しでも自分自身から外せることが出来るようになった時、悲しみはたとえ容易に耐えられるものではないにしても、耐えられる可能性のあるものだということを理解できるようになったのでありました。」ここで注意を引かれることは、パール・バックが「中心を少しでも自分自身から外せることが出来るようになった時」悲しみに耐えられる方向に向かったという点である。つまり自分の悲しみ、または悲しむ自分に注意を集中している間は、悲しみから抜け出せないということである。こうしてパール・バックは次第にまた自然を見る事や読書することや音楽を聴くことにも楽しみを再発見するようになる。しかし言うまでもなく悲しみがなくなったわけではない。ただ悲しみが意識の視野の中心から視野の外に押しやられたのである。それを可能ならしめたのは、何よりまず時の経過と肉体の生命力であろうが、彼女の精神の意識的行為としては、娘にいい学校を見つけてやろうという一つの生存目標を採用したことであった。これは一生涯を貫くほどの大きな目標ではないが、ここではまさにこうした具体的な、短期の目標が必要であったのだ。それに向かって当座の注意とエネルギーが向けられる、そういう目標を設定することによって悲しみへの集中をふせげたのであった。
苦しみを紛らすテクニック。
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