神谷美恵子 著 「生きがいについて」 (別名“自己忠”の勧め)その14

 現世へのもどりかた①のこされた問題

毎日の生活の中にこれといって打ち込むものも見当たらない人の虚無と絶望は、その人でなくてはわからないに違いない。(略)私たちは幸か不幸か現世の中で自分の居所を与えられ、毎日の勤めや責任を負わされ、人や物事から一応必要とされて忙しく暮らしており、そのおかげでこの虚無をこの「空」を、なんとか浅く紛らわしている。どうして彼らが、何一つ紛らわすものもなく、裸のままで毎日この恐ろしい虚無と顔を突き合わせていなくてはならないのであろうか。この問いに答えはないのであった。答えのないことを自覚する者は、自己陶酔に安住することを許されず、この虚無を克服する術を、社会の在り方の中にも、毎日の生活の営み方の中にも、心の持ち方についても、探求し続けなくてはならない。(略)人間の存在意義は、その利用価値や有用性によるものではない。野に咲く花のように、ただ「無償に」存在している人も、大きな立場から見たら存在理由があるに違いない。自分の目に自分の存在の意味が感じられない人、他人の目にも認められないような人でも、私たちと同じ生を受けた同胞なのである。もし彼らの存在意義が問題になるなら、まず自分の、そして人類全体の存在意義が問われなくてはならない。そもそも宇宙の中で、人類の生存とはそれほど重大なものであろうか。人類を万物の中での「霊長」と考えることからしてすでに滑稽な思い上がりではなかろうか?

答が出そうもない問題の答えを求めることを煩わしい、面倒だ、と回避する人もいれば、面と向かって答えを求めようとする人もいる。答えの出そうにない問題を面倒だと回避して答えが出る問題だけ取り上げて答えを出す人のことを“専門家”といい、その専門家が時代を経るごとに幅を利かせるようになる。コロナが流行したら、「専門家」が集められたが、彼らが会議で発言したことは政治家や官僚にどう扱われたのか?「専門家」を集めたのは単なる「アリバイ作り」ではなかったか?片や「専門家」たちも、何を言っても事態は変わらない、と無責任に言いたい放題だったのではないか?俺は「しょうがねえなあ」と思うだけだが、若い人たちに与える絶望感・虚しさはますます日本の未来を暗く絶望的にする。即効薬はない。政治家・官僚にまともな人材が増やす工夫をすべきではないか?

忙しくしていると「空」(=虚無、絶望=存在意義のなさ=答えのない問い)から目をそらすことができる。そして心を失う。Bob Dylanの“Blowing in the wind”も「答えのない問いの答えは風に吹かれてる」と。Bob Dylanはユダヤ系。だがユダヤ教徒でもキリスト教徒でもなく、無神論者ではないか?

 

あとがき

戦争直後は食べるためだけに狂奔しなければならない時代であったから、誰も生きがいについて自分に問いかけるゆとりもなかったのであろう。非常時には神経症の数が減るものである。自国の存亡が問題になる時期や国が建設途上にあって皆の力が必要とされ、皆の気持ちが一つに張りつめているところでは、神経症も少なく、生きがいの問題もそれほど意識されないらしい。日本ではいわゆる高度成長により、ものを考えるゆとりのある人が増えて、初めて倦怠や虚無感に悩まされる人が多くなってきた。一方には原爆戦争の脅威もある。(以下略)

 

引用文献・抜粋

南博「日本人の心理」・岩波新書

ウォーコップ(深瀬基寛訳)「ものの考え方」・弘文堂

岡潔・小林秀雄「人間の建設」・新潮社(小林秀雄全集第13巻)

ホイジンガ「ホモ・ルーデンス」

パール・バック(松岡久子訳)「母よ嘆くなかれ」・法政大学出版

西谷啓次「宗教とは何か」・創文社

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