タイパ病患者判別法(就活マニュアル破り)

後輩の現役会社員(部長)から以下のメールが・・・ 

先週は来期の新卒採用者との面接を今年初めて行いましたが、候補者の学生の方々が

口を揃えて「学生時代に頑張ったこと」が、ゼミなりサークルなりで必ず仲間や後輩を

束ねて寄り添い面倒を見て共同作業で成果を出した、というのは、纏めて訊いていると

何だか妙な気分になりますね。こういうのが就活マニュアルになっているんでしょうかね。

個人的には「自分でこんなことしたいと思って周りとも喧嘩したがやり遂げた」的な話

あってもいいか、などと思いましたが、そういう人は就活なんてしないで起業するんで

しょうね・・・

これを読んでまず、俺が現役の時の採用面接と変わっていないなあ、と思った。マニュアルというか俺の大嫌いな「紋切り型」。次に、この後輩のために”就活マニュアル”破りを考えた。それは、「あなたは何故生きているの?」という質問をすることだ。(「何故死なずに生きているの?」という質問の方がよいか?)どんな答えが返って来るかは分からない。何かの宗教の影響を受けていればその教えを述べるかも知れない。それはそれで面白いし、混乱してマニュアルやネットに書いてないことをしゃべるんじゃないか?或いは答えないかも知れない。その反応は採否の判断材料として大いに参考になりはしないか?詳細は以下の通りだが、実際に質問するなら、事前に、同席する人事担当者に了解を得て置く必要があろう。

①「何故生きているの?」という質問に答えはない。そんなことを考えるのはタイパ最悪だ。そんな時間の無駄になるようなこと、だけど根源的なことを考えずにはおれない人間なら自分の頭で考える奴で、就活マニュアルを馬鹿にしているかも知れないし、入社してからも「この会社は何故存在しているの?」てなことを考える野郎かも知れないし、そろそろ次のキャリアを・・・と転職するような尻軽ではないかも知れない。(ただし、うかうかしていると、会社にいる連中特に上司を「バカ」だと思って辞めちゃうかも知れぬ)この質問に対する反応によってその辺が少し見えないか?マニュアルという仮面の下の素顔がのぞかないか…と、ここまで書いて、後輩の言葉じゃないが「そういう人は就活なんてしない」かな、と思った。

②マイクロソフト、グーグル、ヤフーで「なんで生きてるんだろう」「なぜ生きているのか」を検索した。インフルエンサーとして強力かどうか知らないが、

「ひろゆき」の答えは「虫や細菌に生きる意味がないのと一緒で、地球上の生物は地球の熱循環のシステムの一部としての機能を果たしているだけなので、意味とかないと思います。」(中略)死ぬまでにできるだけ楽しく暮らす」ってのを目標にするといいんじゃないかと思っています。

脳科学者でメディアにもよく登場する中野信子さんは:科学的な考え方に依拠してわたしたちの生を見直してみると、いったい人はなんのために生きているのでしょうか? という疑問が出てきます。実は、この問いには答えがないのです。わたしたちは、ただ生きているだけ——。生きている理由を探そうと思っても、どこにもないのです。すべての生物が、生存するためにただ生きているということです。(中略)とはいえ、なかには、「生きる意味はない」という事実に絶望を抱く人もいるのかもしれません。でも、論理的にはこう考えることが可能です。「生きる意味が最初から与えられていないのなら、あとから自分でどんな意味づけをすることも許されている」つまり、「生きる意味は、楽しむことにある」「生まれてきて良かったと、死ぬその瞬間に思うために生きている」など、好きなように決めていいということです。

最後にYouTuberの大愚和尚は:ブッダは「諸行無常」という教えを説かれました。あらゆるものが生まれた瞬間から、死滅に向かってとどまることなく変化している。この現実をまず前提として受け入れなさい、と。また、「死んだ後どうなるのか」との問いには、「生前の行為の善悪によって、それぞれ善きところ、悪しきところへ輪廻(りんね)転生する」と書かれたお経と、「答えなかった」と書かれたお経があります。私自身は死んだことがないので、分からないことは言えません。それよりも、生きている「今」をおろそかにして、死後をあれこれ妄想するのではなく、死を見据えながらも「今ここ」をいかに生きるか、を大切にしたいのです。(中略)ではどうしたらいいか。脳には脳の、心には心の、体には体の役割をしっかりと果たす。これがうまくいったときに、私たちはうまく生きることができるのです。脳の役割を果たしてもらうには、ゴールや目標をつくること。自分が理想とするより良い未来から逆算をして、「今私は何をすべきか」を考えるのです。

三人とも出だしは良い。「生きるなんてことに意味はない」「死に向かって生きている」その通り。だけど結論はみんな「楽しく」とか「目標」とか紋切り型を言うので、がっかり。もっとも彼らも”映え”や受けを考えないと飯の食い上げだからそう言わざるを得ないんだろう。そう思うと中野さんの言うことは、結構いい。「楽しむ」のはあくまで考え方の一例だから・・・ただし、インパクトが弱い。「自分は生きる意味をこう考える」くらいは言ってくれないと参考にならずタイパが悪い*。それから大愚和尚は自家撞着気味。冒頭「現実的には生きることのゴールは死だ」と言って最後は「理想的には生きるのにゴールが必要」って。まあ、宗教って自家撞着、自己矛盾に満ちてるけど。正しくそれが「生きる」ということ。

映えも受けも関係ない俺は:生きることに意味はない。だから自殺しても構わない。俺が死なないのは「死ぬことの方が生きることより楽(らく)そうだから」だ。「死ぬのは『逃げ・負け』だから」と言ってもよい。(つまり、死ぬ方が辛そうなら死ぬべき)生きるなんて面白い訳がない。苦しくて面白くないけど負けたくない・逃げたくないから死なずに生きる・・・短縮して言えば「苦しくて面白くないからこそ生きる」…このへそ曲がりの結論を出すのに二十歳前後に5年も10年も、思い出しては考え続けて結局こんなもんだ・・・これに到達するのに一番影響があったのは手塚治虫先生の「火の鳥」だった。答えを求めるのをやめられなくて執念深く本を読んだり、人の話を聞いたり、自分の頭で考えてグルグル同じところを回ったり・・・タイパ最悪。(ただし、自分から他の人に「何故生きるの?」という質問を発することはしなかった・・・恥ずかしい、格好悪いから・・・)発見発明をする科学者同様、考え続けて答えが出ず、ある日突然「火の鳥」に出会って答えがひらめいた。もうそれ以上考えるのが嫌になって手塚先生の作品を読んで思いついた考えに飛びついたのかもしれない。

*省略したが、中野さんの意見の最後の方に「辛かったら逃げろ」「辛いのを我慢するのは時間の無駄」とある。これは俺の「辛いから生きる」とは真逆。生きるなんて、所詮、無意味=無駄なんだけど。

今考えてみると、俺が十数年前に採用面接した時、一番気を入れてチェックしていたのは「自分の頭で考え、自分の言葉で語る」かどうかだった。それがエントリーシートに書いてあることや面接のときの受け答えで判定できたように思う。当時も就活マニュアルにまみれた面接だったがまだ、探せばそういう学生がいたように思う。

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