会社とは何か?再び  日本を変える、会社を変える

 俺の日本人論では「日本人は古いもの、長く続いたものを神様のように大事にし、既成事実に弱く一旦生まれたものを長く保持しようとする。」つまり、保守的で変化しようとしないのである。これは“日本教”と呼んでもいいくらい根強く長年日本人を支配してきた。

会社も古ければ古いほど有難いし、長い間延命すべきもの。言わば「家」。会社に入るのは家族の一員になるようなもの。

日本の家で一番古くて由緒あるのは天皇家。明治維新において200年以上続いた徳川幕府を倒すには1000年以上続いた天皇家を持ち出す必要があった。天皇だって元をたどれば豪族の一人で、たまたま大和方面で他の豪族を支配した後、古事記や日本書紀といった、科学的には根拠のない神話で正統性を主張しただけ。とても万世一系とは思えないし、おかしなことをする天皇も大勢いた。しかし一方で、日本人はそんな天皇を認め、あるときは絶賛して天皇家を守ってきたという歴史的事実は厳然としてある。

興味深いのは「平安時代の藤原氏や鎌倉以降の武士がなぜ天皇家廃絶、天皇に代わって王になることをしなかったのか?占領軍(アメリカ)もなぜ天皇制というシステムをやめようとしなかったのか?」である。(俺はこれが日本史最大の謎だと思う)

例えば承久の乱。まず、後鳥羽上皇は明らかに掟破りをしている。天皇家一族はおとなしく平和や豊作を祈っておればいいものを、お祈りは天皇にやらせ、自分は上皇になって政治を主導しようとし邪魔になる北条義時をやっつけろ、と言った。これはあるべき天皇論から見れば大いにおかしい。それでも鎌倉幕府の皆さんは日本人らしく天皇家に逆らうのをためらった。ここで有名な政子の演説が行われ「源頼朝から受けた恩(土地と地位)の方が大切だ」となって天皇家と戦うことになった。天皇家は負けたが天皇制は維持された。皇位継承の人事権は鎌倉幕府に取られたが。後鳥羽も廃位され、流されたが殺されはしなかった。不思議と言えば不思議な話。承久の乱とは「いざとなれば日本人も天皇より金をくれる人を優先する」とも言える出来事だが「おかしなことをする天皇が現れて他人の地位・命を狙って戦争を始め、負けても殺されないし天皇家は維持される」とも受け取れる。

さて、天皇家よりずっと歴史の浅い「会社」という家を日本人はどう変えるのか?あるいは廃絶してしまうのか?現役の皆さんは、「その歴史の大きな渦に巻き込まれている、御気の毒様」だが、「めったに経験できない大事な歴史の変換点を自分で経験し目撃できる、うらやましい」とも言える。

 

<閑話休題>

「人はパンのみにて生きるにあらず」

パン=生存に必要なもの=ニーズを満たすものを効率よく作るシステムが古典的な資本主義

パンの供給能力が成長し、需要を越えると、パン以外のもの、精神的に満たすもの=ウォンツを満たすことが求められるが、これが古い資本主義ではうまくできない…

アメリカでは株主資本主義が出て来て古い資本主義で生まれた製造業を解体して売り払うのに役立った。会社が自分自身以外に売るものがなくなった時、会社の売り買いをやりやすくするための理屈が「会社は株主のもの」…古い資本主義が新しい資本主義に変わった、とも言える。

ニーズを満たすことが会社の目的だった時代:利益は二の次…社員を食わせられればよかったし、社員の方も単純に社会に役立っている、と実感できた。会社の価値なんて問われることもなかった。

会社は株主のもの:株主って誰か?社外にいる利益(金)しか眼中にない連中…株主満足度を上げるには利益しかない…足ることを知らず、底なし沼にはまるリスクは大きいが冷徹に“終わった”会社、産業に引導を渡し、新しい会社・産業に投資するという役割も果たす

会社に身を預け、一生を託すには会社が満足を与えて続けてくれると信じることが必要だが、今の会社では満足を与え続けられない…若者はそれが分かるから会社を当てにしない。転職を前提とする…下手して会社にはまって頑張ってしまうと燃え尽きてしまう恐れ

 

会社の存在意義:

    会社が供給するものが世間の役に立っている、と社員に確信を与える

    その会社が世間に供給している役立つものを生み出すのに自分の仕事が役立っていると実感できる

    満足・報酬を与える

    競争力を発揮するための分業と協業を行う

 

人間が他人様の役に立っていると感じることが出来、飯が食えれば会社なんてなくたってよい。ニーズを満たすための生産活動はAIやロボットに任せられないか?2010年代のアメリカは、AIやロボットの代わりを中国にさせていた

 

会社における矛盾疎外:

競争:効率化のために会社・チームを作ってマネージャー・リーダーが専門家による分業をマネージ。

専門家は全体がうまく行っているかどうか分からない。自分の仕事が世間の役に立っているかどうか手ごたえもない。全体が見えるのはマネージャー・リーダーだけ。マネージャー・リーダーも競争に勝った場合だけ満足、達成感。

人の役に立つ:衣食住に直結するものを生み出せば、人の役に立っているという手ごたえがある。生み出している物を直接見て触れる人には手ごたえがある。生み出す仕事を効率化したり、チェック・管理する仕事は手ごたえがない。いわんや生み出しているものが役に立っているかどうか分からない場合をや。

衣食住に直結するもの(=ニーズを満たすもの)を作る会社はいつかコストの安い国、競争相手が現れて必ず負ける。衣食住に直結しないもの…例えば効率化のためのソフト・アプリは競争相手が現れて負かされるのに時間がかかる。競争相手は現れにくいけれど人の役に立っている感も弱い。効率化のソフト・アプリなどなくたって衣食住に直結するものを生み出すことはできていた。

 

<弁証法>

競争力を強くするために分業と協業を始め、会社という仕組みでそれを徹底強化する

→分業が徹底すると分業させられている会社員は 「人の役に立っている」という実感がないのでやめる、サボる / もしくは一心不乱に自分に与えられた仕事をやるが仕事に価値を見出せず「燃え尽きる」…矛盾・疎外

→後から必ずコストの安い国が現れ、競争に負ける

→会社を会社たらしめていた“競争力“が会社の否定につながる…矛盾・疎外

これが前述のドキュメンタリー番組による各国の会社の現状

…ギャラップの調査では日本の矛盾・疎外が一番深刻

弁証法によれば「矛盾・疎外」はいずれ「止揚・革命」に通じる…いやはや矛盾だ疎外だ、止揚なんて40何年ぶりで照れくさい。

 

さて、中国人やロシア人やアングロサクソンと違って日本人の「革命」はしおらしいというか上品で、下のものが上のものを否定するのではない。日本の歴史の大転換においては、「お上」(上のもの)が自己否定する。例えば徳川慶喜の大政奉還、昭和天皇のポツダム宣言受諾のご聖断…さて日本で会社(あるいは資本主義)という仕組みのトップが自己否定するのはいつか?またどうやってそれに至るのか?そしてその後はどうなるのか?俺には分からない。わずかながら言えることは今、「日本の会社」を代表するのはトヨタであり、トヨタが自己否定したり中国人に買われたりすると日本でも革命のきっかけになるか?くらいのこと。

 

それから日本の歴史を振り返ると明治維新を下支えし、押し進めたのは江戸幕府や藩の教育を受けた下級武士であり、敗戦後の占領政策を下支えし、押し進めたのは戦前の軍国教育を受けた下級の兵隊であり役人だったということ。そういう意味では旧体制の教育は無駄ではなく、新体制を下支えし、押し進める力になる。これが日本の革命(厳密に言えば「維新」)の特徴である。「維新」は100%/180度、旧体制をひっくり返すのではない。明治維新は江戸時代の看板であった儒教・神道・仏教を儒教・神道・洋学に変えただけのもの。戦後、占領軍はそれまでの儒教・神道・洋学の看板の儒教・神道の軍国主義につながる部分を消し去り、洋学を温存し、民主主義を書き加えた。旧体制の上級階級の人たちは体制が代われば切腹したり*1没落する。旧体制の下級武士、兵隊、役人は新体制を支える。

現役の皆さんに伝えたいことは、若い奴らを教育し鍛錬するのは決して無駄にならないということ。古い教育を受けた連中の中から維新後の新体制を下支えする人材が必ず現れる。若い奴らも嫌がらないでおじさん達の教育を受け、反発したり感心したりするといい。

 

*1徳川慶喜、昭和天皇は自己否定はしたが、自殺もせず、殺されもしなかった。この辺が日本人らしい。潔くないとも言えるし、上品とも言える。

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