会社とは何か?再び 俺も“燃え尽きた”・日米の相関と歴史
俺は現役時代、リストラだ、成果主義だ、M&Aだとくだらないこと、馬鹿なことばかりする会社から部下を守ろう、と必死で一杯いっぱいだった。部下に対して、こんな会社だから、幸せにするとは約束できないけれど、俺が原因で不幸にすることは避けよう、なるべく部下の身に降りかかる不幸や面倒やストレスを少なくしよう、と思っていた。今考えると、それで燃え尽きたのだった。時々「俺の仕事の価値は何だ?」「なぜ俺はこの給料をもらっている?」と疑問に思った。答えはない。だって俺が仕事と思ってやっていたことは新しい価値を生んでいるわけでも、価値を増やしているわけでもなく単に部下の価値を守って傷つけないようにしているだけだった。そんな仕事の対価は計算しようがない。
前述のドキュメンタリー番組によれば、『燃え尽きる』のは①会社や環境が悪いと考えるのでなく、満足に職務遂行できないのは自分が悪い、自分が至らないからと思い込んで“頑張る”②任務を果たしたところで世の中に貢献した・役に立った と感じることのできない仕事、また「君のおかげで助かった」と言ってもらえない仕事をやる 場合だそうだ。
俺は、逃げ出すことや投げ出すのは嫌だと、会社にとどまり“頑張って”しまっていたが、
かと言ってできることは、せいぜい部下を不幸にしないことで、部下を幸せにするなんてことまでは望むべくもなかった…だから他人の役に立った、価値があったとは思えず、燃え尽きたのだろう。
この番組に触発され、また、憎むべき株主資本主義(M&A)について勉強して以下。
まず、俺の仮説を述べる。それは「日本は1960年代~1970年代のアメリカを追いかけトレースし、20年後の1980年代~1990年代に再現していた」というもの。
アメリカは日本を占領して以降、日本を中ソに対する防御壁と位置づけ、自分の成功体験を日本に真似させることによって民主主義や資本主義を教え込んだ。その結果1960年~1970年のアメリカが20年遅れで1980年~1990年の日本に再現された。ところが、1980年代、日本の製造業がアメリカを抜いた。日本人は「もうアメリカに学ぶものは無い」と思い、1980年代アメリカに起こったことを学ばなかったので2000年代の日本で再現されなかった。1980年代が終わり、1991年にソ連が崩壊し、アメリカ人は「今まではソ連が叩き潰すべき敵だったが、これからの叩き潰すべき敵は日本だ」と考え、「日米構造協議」とか「年次改革要望書」という形で日本に「日本を変えて(犠牲にして)アメリカに恩返ししろ」と20年間言い続けた。2010年までに日本経済はアメリカの期待に応えて十分衰退し、政治的にも民主党が政権を取るという大混乱を起こし、アメリカは「これからは中国が敵だ」と矛先を変えた。以上を大雑把に振り返ると:
1960年代にアメリカの製造業・テクノロジーは世界一になった。20年後の1980年代に日本の製造業・テクノロジー世界一に。
1970年代にアメリカの政治・製造業・テクノロジーはどん底に落ち込んだ。20年後の1990年代に日本の政治・製造業・テクノロジーもどん底に。
1980年代アメリカでは古い製造業が壊滅したが新しい産業(ハイテク:コンピュータ、IT、情報通信、宇宙産業、航空機産業、バイオ)に人と金がつぎ込まれ、インキュベートされた。20年後の2000年代日本では古い製造業が壊滅したところまではアメリカと同じだが、雇用とか利益の大きさで古い製造業をカバーする新しい産業候補が芽生えず、従ってインキュベートもされないで、人も金も相変わらず古い製造業に残り、半導体やディスプレーで韓国に抜かれ、気の利いた人材は日本を捨てて海外へ出ていくようになった。
1990年代アメリカのハイテクが世界を制す(ニューエコノミー)。20年後の2010年代日本は古い製造業がゾンビ企業として残り、中国にも抜かれる。賃金は世界でも珍しいほど上がらず。
<アメリカの戦後史>
1945年、アメリカは世界で初めて原爆を実用化し、4年後にソ連が原爆を開発するまで優位だった。その後米ソは宇宙開発競争を始め、ソ連が1957年スプートニク1号を世界初の人工衛星として打上げ、アメリカはソ連に後れを取ったとショックを受け、科学教育や研究に多くの金と人がつぎ込まれるようになったが、有人宇宙飛行も1961年ソ連が世界で初めて成功した。同年アメリカでは月への有人宇宙飛行を目指すアポロ計画を開始。結局1969年、月への有人飛行ではソ連を逆転し、アメリカ人が世界で初めて月に降り立った。これに象徴されるように1960年代はアメリカは「ソ連に負けるな、追い越せ」で世界一になった。これに関連して思い出されるのは1967年のアメリカ映画「卒業」の冒頭のシーン。裕福な家庭で育ったダスティンホフマン演じる主人公が大学を卒業し、両親がたくさんのおじさん・おばさんを呼んで卒業祝いパーティーをするのだが、あるおじさんから「一言だけ言っておく、“プラスティック“だ。」と言われる*1。1960年代のアメリカではプラスティックが最新の技術・夢の物質であった。プラスティックに代表されるように、1960年代のアメリカでは新しい夢のような技術がどんどん生まれ実用化され、後年顕在化するような公害や温暖化のような問題は無視されるか隠され、宇宙開発で負けていたソ連にも1969年に勝った。
一方で1960年代はケネディ大統領やキング牧師が暗殺され、ベトナム反戦運動や黒人の公民権運動がピークを迎えた。ただし、これらの暗殺や反政府・反体制運動はあくまで「行き過ぎに対する警告・反動」で、アメリカという国・システムを否定しようというものではなかった。
*1近年、「卒業」の、このシーンが結構取り上げられるのは1960年代から50年もたつとプラスティックが地球環境を汚し、SDGs的にも悪者に成り下がってしまうという皮肉な運命をたどるからだ。
1970年代に入るとアメリカでは1973年の石油価格高騰以降、不況・インフレが続いて製造業は衰退した。政治的には1972年に当選したニクソン大統領が大統領選挙で民主党本部に盗聴器をしかけようとして見つかる、という前代未聞のスキャンダルが発覚し、結局ニクソンは1974年任期途中で辞任した。1979年イランのアメリカ大使館人質事件は中々片付かず、政治的には失敗、悪い結果が続いた。ベトナム戦争の敗戦は西に西に向かってフロンティアを突き進んでいたアメリカの史上初の敗戦であり、大きなショックで、アメリカという国・システムに対する否定・絶望がアメリカに広まった。クリントイーストウッドがある映画で「俺たちは朝鮮戦争で勝てなかったが負けもしなかった。俺たちの後の奴らはベトナムで負けた」と。
1980年代のアメリカはレーガン大統領の独壇場といってもいいが、レーガンがやりやすかったのは、極端に左傾化した民主党に反発した民主党員の協力を得たからだった。1985年のプラザ合意まで米ドルは他の主要国通貨に対して過剰に強く、アメリカの輸出品は急速に競争力を失い、代わって日本が最大の利益享受者になった。アメリカの家電製品も品質が悪く、日本の製品に比較して技術的な革新にも欠けていた。これは冷戦によって消費者向け製品よりも防衛産業の方にアメリカの科学と技術が向けられていたことが一つの理由だった。この10年間でアメリカの家電産業は事実上、存在を止めた。一方でコンピュータ、IT、情報通信、宇宙産業、航空産業、バイオなどの「ニューエコノミー」に人も金も動いた。しかし何より若者を引き付けたのは投資家、銀行員という職業だった。1987年の映画「ウォール街」に代表されるように1980年代にメディアや娯楽産業が株式市場や金融分野の魅力を伝えていたからだ。1970年代までは企業は従業員や顧客、仕入先などの公のもの、という考え方(ステークホルダー資本主義)が支配的だったが、会社は「株主のもの」ということが「信仰」されるようになった。会社が従業員のものでは、日本に負けた会社を捨てて他の産業に乗り換えるということには二の足を踏むが、株主という会社の外の人のものと考えれば会社の売り買いがしやすくなる…という面もあったのではないか?この「信仰」とレーガンの規制緩和によって企業再編がやりやすくなり、M&Aも増えた。1980年代のアメリカのM&Aが大型化し頻発したのは以上の事情に加え、LBOが増えた、という背景もある。LBOは「被買収企業の資産もしくはキャッシュフローを引当てにして買収資金を多数の金融機関から調達できる」つまり、日本の1980年代のバブルの時、土地や絵画が「買った値段より高く転売できる」という根拠のない理由から高値で売買されたのと同じ理屈である。(「家は買った値段より高く転売できる」と信じてバブルを発生させ、はじけさせたサブプライムローンとも同根)。自己資金がなくても、被買収企業の収益性が投資家や銀行などに高く評価されればその会社を買える、ということになる。1980年代アメリカにおいてはこの仕組み・事情で日本に敗れた製造業を捨てハイテク産業に金や若者が動いた。つまり、1980年代アメリカにおいては株主資本主義がM&Aという手法を使い、株主(投資家、銀行)という冷徹な評価・判断ができる第三者による企業再編(企業の新陳代謝)を行ったと言える…株主に対するプレゼンが重要になった。被買収企業の収益性を嘘でもいいからよく見せれば勝ちだった。これが空虚なパワポ主義につながる。
そして1990年代、アメリカのハイテクは世界を席巻した。経済は9年弱の間好調を持続、低失業率・低インフレ率を維持した。これは1961年から9年弱続いた景気拡大に次いで長い景気拡大だった…アメリカの1980年代は1990年代のアメリカの一人勝ちの準備期間だった、とも言える…ソ連の崩壊に調子づいて、アメリカのスタンダードを世界各国に押付け(グローバルスタンダード)、これがますますアメリカ企業を有利にした。ソ連の崩壊は今では「明らかな嘘」ということが判明しているクウェートの少女の証言によって仲間を募り湾岸戦争を始めるといったことまで可能にした。多国籍軍はまるで西部劇でよそ者をなぶり殺しにするリンチのようにイラクを攻撃し殲滅した。アメリカにとって中東はベトナムでついえたフロンティア開拓(西に向かってフロンティアを進めば約束の地にたどり着く)の夢の再開だったし、兵器産業・建設業・石油産業にとって中東は大きなマーケットになった。しかし、わざわざ中東まで出かけてやる戦争が嘘から始まっていたこともあり、アメリカ人自身にも大きな精神的後遺症を残し、サウジ、イラクなどのイスラム教徒から大きな反発・抵抗を受けた。(それまでは中東におけるアメリカの敵はイランくらいでサウジなどとは結構うまくやってきたのだが)
<1980年以降の日本の歴史>
1985年のプラザ合意まで1ドル200円以上だった円ドル相場が1年後には150円に下がった。日本はアメリカへの輸出でなく、内需を刺激しろ、と言われたが、結局金は土地に集まってバブルが発生したし、アメリカへの輸出は止まらなかった*11980年代の日本は「アメリカに勝って世界一になった」「世界一の技術、経営をアメリカに進出して見せつける」といった調子でまた、由緒あるロックフェラーセンターやコロンビアレコードを買って「アメリカの魂を金で買った」と揶揄された。政治的には野党は政権を担当する気はなく、自民党の政権運営は安定していた。
1990年代に入るとバブルがはじけた。1991年の湾岸戦争で日本は憲法を盾に出兵せず、金だけ出して国際的に馬鹿にされた。1993年自民党が選挙で敗れ、政権を失った。1994年自民党は政権復帰したが、社会、さきがけとの連立政権だった。(社会党、村山党首が首相)。1995年阪神淡路大震災、オウム真理教による地下鉄サリン事件が起き、バブル崩壊後、有効な再建策のない日本に不安・絶望が広がった。政党の離散集合が始まった。銀行を筆頭に多くの企業が合併したが、株主、投資家によるM&A・企業再編ではなく、あくまで自己救済・既存の会社を維持するための合併であった。
*1業を煮やしたアメリカの要求により1989年以降「日米構造協議」が始まり、2009年、鳩山由紀夫首相が終わらせるまで日本政府はアメリカから「年次改革要望書」を突き付けられ、アメリカのための規制緩和・民営化などを実践した。
2000年代、弱った日本企業を売買して儲けようとしたアメリカから株主資本主義を押し付けられ、会社法まで作ったが、株主(投資家、銀行)という冷徹な評価・判断ができる第三者による企業再編(企業の新陳代謝)は起こっていない。確かにM&Aは増えたが、買収企業単体が強くなるため、あるいは弱点を切り捨てるための会社や事業の売買か、もしくは投資ファンドによる短期的な金儲けを目的としたものが多い。古くて大きな製造会社が投資家によって売買されるようなことは起きず、競争力のなくなった企業・産業から新しいポテンシャルのある企業・産業へのシフトは行われていない。本質的には新しいポテンシャルのある企業・産業が芽生えてこないことが問題で株主資本主義以前にこのことが根本的な日本低迷の理由。
強いて世界的に競争力がありそうなものを上げると①やたら甘い果実・野菜、細かくさしの入った和牛とか、だしとか、発酵食品とか、それらを使って作られる和食。②手の込んだアニメ、ゲームソフト③半導体、スマホ用材料 程度しか浮かばない。これだけでは古い製造業の持っていた雇用や利益の規模にはるかに及ばないし、海外にマネしたり盗んだりする連中が現れていて競争力がいつまであるかも不安。
遅ればせながら、1980年代~1990年代のアメリカのように、古くて「死に体」の企業・産業から新しくポテンシャルのある企業・産業へのダイナミックなシフトが起こせないものか?別にM&Aなんて手段にこだわる必要もない。株主資本主義も無関係。このシフトがうまく行っているから前述のドキュメンタリー番組の意識調査でもアメリカの被雇用者が一番意欲があって前向きなのか?
日本の若者が「打たれ弱い」のも全般的に弱くなったのでなく、気の利いた、打たれ強い奴は、日本に絶望して海外に出て行ってしまっているのではないか?その「残りかす」しか日本の企業に就職しないのではないか?もし気の利いた、打たれ強い若者が日本から逃げ出しているとするなら、日本は守る価値のない国(=夢も将来性もない国)のまま抜け出せない。防衛費を増やすより有為な若者を日本につなぎとめて置く方が先決でないか?
コメント
コメントを投稿