俺の日本人論 第42回 俺の日本人論  おまけ>>>日本の工事の発注/請負の将来像<<<

>>>日本の工事の発注/請負の将来像<<<

日本において将来、人口が増え、経済成長し、工事発注量も増え、それとともに工事業者数(工事作業者数)も増えるとは想定できない。右肩下がりの傾向であろう。最大の問題は工事作業者のなり手が大幅に減り、結果、良質な工事作業者の確保が難しくなることではなかろうか。工事は工事請負業者による請負受注が一般的であるが、これは、発注主自身が自社内に工事作業者を抱えていては変動する工事量に対応するのが困難、あるいは経済性がないからである。高度成長期には、工事請負業者は工事の需要が伸び続けると考え、安心して工事作業者の雇用を増やすことができたし、また工事作業者になろうとする人も潤沢にいた。今はこの歯車が逆転し始めている。すなわち、工事量は右肩下がりで工事請負業者は安易に工事作業者を増やすわけにもいかないし、そもそも工事作業者のなり手が払底している。

事ここに至ると、工事を発注する者と請け負う者が別々になっていることが弱点になる。この弱点を克服するには工事発注者と請負業者の距離を縮め、情報共有することが必要になる。そのために①日本国中の工事発注者が談合して中長期的かつ全国的に工事発注予定量を平準化し、②それを日本国中の工事請負業者に提示し、③それを受けて工事請負業者側が談合して中長期的に必要な工事作業者数を割り出し④日本国中の工事発注者と工事請負業者が一堂に会して談合して具体的にどの工事をいつどの業者が行うのか決定し⑤工事請負業者は談合して各社がどういうスケジュールでどの程度の工事作業者を確保するか決める…というやり方が考えられる。現状の独禁法から見れば明らかな違法行為である。自由な競争は工事量が右肩上がりの時代の遺物である。工事請負業者・工事作業者は保護されるべき絶滅危惧種になった、今のまま競争にさらされ続けたら絶滅すると考えるべき。工事量も工事作業者も減る時代においては自由な競争は工事請負業者の経営を圧迫し、不安定化させる。これは工事発注者にとっても不利益である。競争は工事の受注ではなく、確保された作業者の質・量で行われるべき。工事請負業者は工事を請け負うのではなく工事作業者の供給者になる。これを工事発注者側から見れば、自分が計画した工事を予定通り発注して必要な作業者を質・量とも安定的に工事請負業者経由で調達するということ。契約の形態は資材も含む工事全体を工事請負業者が請け負ってもよいし、発注者が自分で資材の調達や工事管理を行い、必要に応じて工事請負業者が教育訓練した作業者を調達するということでもよい。この、工事請負業者がやる工事作業者の教育訓練には外国人労働者も対象になるし、またロボット化も含まれる…日本国中で中長期的に平準化された需要予測に基づいて確保された工事作業者量見合いに無理無駄なく工事が行われる…工事需要と工事作業者供給の全体最適化が行われるということ。発注主は、訓練された工事作業者という貴重な資源をいかに効率よく無駄なく使い切るかを考えなくてはならない。(その観点では予定外工事、特に故障や事故に伴う突発工事を減らさなくてはならない)一方で工事請負側は、より質・効率のよい工事作業者を安定的に供給できるように努め、その供給する工事労働者の質・量で評価され競争する*1。また、工事発注者と請負業者共同で外国人労働者受け入れやロボット化のための工法変更や標準化も研究開発する必要がある。

いずれにしても、発注者、受注者が寄り集まって談合し*2、工事発注量を中長期的に平準化・安定化し、それをこなす工事作業者を確保・調達するという、日本国中の工事受発注者一体となった取り組み(=開かれた談合)を行えば、日本の建設業界も持続可能になり、加えて悪い談合、隠れた談合やダンピングがなくなるのではないか?

もっと極論を言うと工事発注者の直営施工に戻るということはできないか?そうなれば談合もダンピングもなくなり、コストや品質のコントロールは業者任せでなく施主自身の責任となる。直営施工できるだけの能力・知見を持った施主が請負業者に工事を請け負わせず、工事計画に応じて必要な労働力を算出し、請負業者を通じて労働力を調達するというやり方。(請負業者は単に言われた時期に言われた質・量の労働力を供給するだけ、その労働力をどのように使って工事をするかは施主の責任ということになる。請負業者はどれだけ良質で効率の良い労働力をタイムリーに供給できるか?で競争し、評価される…こうなると“工事請負業者”ではなく、“工事作業者供給業者”と呼ぶべき。)

競争や説明が不得意で苦手な日本人が、説明責任ありきで「競争見積(入札)」というダンピングや安かろう、悪かろうや談合を招く手法を用いて発注している、というのが日本の工事発注の実情…特命随意契約は、何故その業者に特命か?の説明が難しく、回避される…悲しくてバカバカしいのはこの実情を「なぜ先進諸国で成り立つ競争入札が日本では成り立たないのか?」と嘆いたり怒ったり、「日本は遅れている」と批評すること。一方で大地震が起こった時日本人は暴動を起こさず、おとなしく行列を作って水や食料の配給を待っている、と絶賛する。これは競争が苦手、不得意で譲り合い、助け合う日本人だからできること。十七条憲法で「以和為貴(和をもって貴しとなす)」と理想を掲げた日本人。その美しさを損なわずにどうやって工事発注をするか?それとも日本人を中国人やアメリカ人みたいに「勝者がすべてを独占」といった品のない薄っぺらな競争至上主義者に変えるのか?

*1工事作業者の標準単価を設定し、質・効率などで高く評価された工事作業者には標準より高い単価を適用する。また発注者側に計画通り工事発注させるインセンティブとして早期に、修正のない工事を発注をすれば工事作業者単価を標準より安くし、発注の遅い工事・修正の多い工事や予定外工事は標準より高くする…発注者も工事の早さ・修正の少なさで競争する。

*2 工事発注ではないが、202211月に発覚した電通を中心にした東京オリンピック業務の談合と全く同じ発想・構図である。国際的にも注目され失敗が許されないオリンピックの計画・運営をどの業者にどう振り分けたらいいか発注者側(組織委)が分からず不安で、受注者側の親分の電通に相談して仕切らせ、全体最適化をしようとした。しかも総額5億円のテスト大会業務を10社(1社あたり平均5000万円)と細かく割り振って金額的に目立たぬようにして10社それぞれに実質上特命発注(随意契約)し、テスト大会で実績をつけた業者に総額200億円以上と言われる本大会業務も特命発注する、というのは結構洗練されたやり口。(テスト大会業務を特命発注する手続きが若干乱暴だったような気もするが)オリンピック計画運営業務の発注金額を総額で300億とし、本来なら10%の利益率だったものが談合によって20%になったとすると余計に支出された金額は30億円…コロナその他の補助金で何百億、何千億の無駄をしているのにくらべれば、そのくらいの無駄遣いはかわいいと思うが…なにせ、失敗が許されないのだから…オリンピックなんて50年以上前のことで発注者側に知見はなく、その上失敗は許されないとなると俺が発注の責任者でもこうしていた、と思う。やり口、構図、かなりいい談合だった。

俺の工事発注の受注者発注者双方を巻き込んだ談合案はあくまで絶滅危惧種の保護を目的としたオープンな談合。オリンピック業務は説明責任を果たすのが難しいから(組織委としてどこに発注していいか分からないなんて言えないから)隠れた談合にしたら、安倍さんが死んでほじくり返されることになった。電通は直接安倍さんから言質を得たかどうかは分からないが、安倍さんの指示或いは内諾を得ていたと確信する。安倍さんからじっと目を見つめられて「絶対失敗できない」くらいのことを言われたらあとは忖度だけでするでしょう。憶測するに、儲けより安倍さんを男にする、失敗しないようにやり遂げる、という方が大きかった???                                                       

コメント

このブログの人気の投稿

ママーのガーリックトマト(ソース)で茄子入りミートソースを作るとうまい

松重豊さんが号泣した投稿「ロックじゃねえ!」投稿者の先生への思い(朝日新聞デジタル)

長嶋追悼:広岡さん