会社とは何か? その1 目次&序
<<会社とは何か?目次>>
会社とは何か? 序
① 2001年以降会社で俺がしたこと
② 新入社員意識調査(マイナビ)
③ 俺の受けた教育とキャリアアップ
④
鵜沢戸久子さんの教育論
⑤ 俺の行った人事・教育
⑥ JOB型雇用
⑦
日本でJOB型雇用なんて成り立つのか?
⑧
日本の会社の将来=日本の将来
会社とは何か?序
1990年代以降、俺の所属していた会社が苦しくなって社員を解雇し、合併し、儲からない事業をやめたり売ったり、儲かりそうな会社・事業を買ったりということを始めた。俺には「会社というものは売ったり買ったりするものではない、つまり会社は株主のものではない。会社は社員のもの。」という直感・違和感・信念があった。その時に改めて会社とは何か?について調べ、以下の通り考えた;
会:人が集まる / 社:神社、神を祀(まつ)る ところ。
素直に字義を考えれば会社とは、「神様のもとに人が集まる」「人が集まって神様をお祀りする」ところであり、「寄らば大樹の陰」の大樹。その下に集まった人たちを守るのが会社。会の旧字の會は「蓋をした“こしき”(蒸し器)」という意味があり、会社とは「神様のもとに人が集まって一緒に飯を食べる」の意になる。明治時代、Companyを訳して会社としたが、英語のCompanyも一緒に(Com)パン(pan)を食べるというのが原義。日本には会社を神様と信じ、「生涯まじめに一つの会社に勤めれば守ってもらえ、食うにも困らない」と信じる宗教がある。(“会社教”)
退職の前4年間、監査役をやることになった。監査役のバイブルは会社法であり、これを読んだがどうしても理解できない(腹落ちしない)。あとで気づいたことだが、この法律を作った役人にとって、「会社は株主のものである」ということは自明のことらしい。刑法には「殺人はいけないこと」という自明のことは書いてなくて、人を殺したら…と刑罰が書かれている。同様に会社法には「会社は株主のもの」というアメリカ人にとっては自明(だが会社教信者の日本人には理解不能)のことが書いなくて、株主保護とか会社を買ったり売ったり合併する作法が書き連ねてあった。この会社法と郵政民営化が小泉売国奴政権の総仕上げだった。(小泉内閣でなくたってアメリカ様の言うことに逆らうことはできない。しかし、小泉さんはアメリカ様のためにアメリカ様に言われた通りに行った一連の政策がまるで日本の改革のため、日本をよくするためみたいなプロパガンダで国民を騙した。すぐバレる嘘をついちゃあいけない。)
1990年代バブルが崩壊するまでは「社員は一生会社に尽くす、その代り会社は社員を一生面倒見る」という黙契があった。この黙契がバブル崩壊後、会社側から破られた。会社は神ではない、一生をかける価値はない、会社に対する貢献見合いで給料をもらうんだ、という認識が若者の間に広まったであろうことは想像に難くない。採用面接で「この会社に入って〇〇をしたい(〇〇で貢献したい)」なんていう訳の分からないことを言う若者が増えたが、1980年代以前に就職した俺たちの世代は実は就職ではなく「就社」した。何をしようなんて考えもなく「この会社ならつぶれないだろう」「この会社なら俺もなんとかやっていけそう」「給料がよさそう」「食いっぱぐれがなさそう」「嫌なことをしなくて済みそう」「世の中に役立つことをやってそう」といった程度の情報と判断で会社を選び、入社し、やめる者、転職する者は少なかった。俺自身は「この会社は気はきいてないし給料も安いが俺でも長い間勤められそう」と思って入社し、いざ配属という時、配属先の希望を聞かれ「どんな配属先があるんですか?」なんて質問をし、配属された後、何回か「やめようかな」と思って、結局やめなかった。(なぜ「やめなかったか?」と自ら問うてみたが、「数は少ないが信頼・尊敬できる同僚・上司・先輩・部下・後輩がいるから」というのが結論だった…言い方を変えると馬鹿、尊敬できない輩がほとんどだった、ということだが…)俺は「こんな会社辞めてやる!」と思う社員がいつまでも辞めない会社がいい会社だと思う。つまり、自分の頭で考える社員がいるから「辞めてやる」と思うのだし、それでも辞めないのはそういう者を引き付けて置く魅力があるということ。それにしても日本の会社って採用の時、大きなリスクを負っている。学校出たてで何の役に立つかわからない若造を、数回面接しただけで何十年も雇い続け一生面倒を見る、と約束をするのだから。…“約束していた“と過去形で言うべきか?
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