俺の日本人論 第39回 俺の日本人論 その9 最後に

 俺の日本人論 その9 最後に

少なくとも継体天皇から1500年間、天皇家は潰れずに営々と続いてきた。蘇我氏、藤原氏、源平を始めとする武士、マッカーサー…天皇制を否定することも天皇家を根絶やしにすることも可能だったが、誰もそうせず、また天皇に取って代わろうとする者もなく、よく言えば天皇に一目置きリスペクトし、悪く言えば天皇を支配のツールとして温存した。俺も日本人の端くれだから、1500年以上続いたというだけで天皇家・天皇制に敬意を表する。天皇の祈りのおかげもあって日本はここまで生き延びて来られたのです。(天皇陛下万歳!)これは一人天皇家が優れているのでなく、天皇が殺されたことは1回だけ(蘇我馬子による崇峻天皇暗殺)、天皇家に血のつながりのない者を天皇にしようとしたことも1回だけ(道鏡)という記録が示すように、日本人の奥ゆかしさ、謙虚、誠実、礼儀正しさ(悪く言えば過去・祖先・霊にこだわる頑迷固陋さ)…によって天皇制というシステムが守り続けられてきたことに対する敬意でもある…もちろん、1500年の間に実際には何があったのかは分からない。血筋もいかがわしいし、首をかしげざるを得ない天皇もいた。政治的・社会的に天皇やその候補が抹殺された例には事欠かない。ただはっきり言えるのは日本人は万世一系(元をたどれば皆同じ祖先)を重んじ、古いもの・長く続くものに価値を見出し、より長く続かせようとするということ。天皇個人個人ではなく、天皇を象徴/抽象概念としてあるいは「家」として愛してきた。天皇が目覚めて権力志向となったり、好戦的になったり、自主独立路線を貫こうとすると日本人本来の「和・話し合い」モードが崩れ、日本全体が「戦乱」モードになった。言い方を変えれば天皇がお神輿(みこし)に乗っておとなしく担がれている間は「和・話し合い」モードが続くということ。天皇という切り口で日本の歴史を振り返れば「和・話し合い」モードと「戦乱」モードを繰り返してきたということである。   最後に

山田風太郎の「戦中派不戦日記」の昭和20年の日記より:

814日 兆民のいわゆる「口の人、手の人」事務的才能ある者のみを重用し、目先に銭のころがっているのが見える学問でなければこれを迂遠としてないがしろにした日本人の小利口さが、―天空から眼を離さない夢想家や、電子の回転を凝視する天才、すなわち「脳の人」を土芥のごとく棄てて顧みなかった日本人の小才が、いまの最後の審判にも比すべき業苦を招来したのである。

…天壌無窮・神州と信じてきた日本がいよいよ敗れて滅びる、と覚悟した山田の悔恨。

「脳の人」って、「ロゴスの人」と言い換えてよい。明治維新から大東亜戦争にいたる「戦乱」モードの時代において「自分の頭で考えた」はずの日本人も、結局は欧米文明の猿真似をし、「からごころ」に染まっていただけで本物の「ロゴスの人」は現れなかった、ということだろう。西郷隆盛や夏目漱石の苦衷に満ちた予想が当たった。「ロゴス(の人)不在」はこれからも日本人が国際社会で生きていこうとすれば付きまとう宿痾である。

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