会社とは何か? その10 追加:平等・責任と役職

 以下は、会社員の平等、責任、役職などに関する所感・経験:

平等:アメリカにいた時、アファーマティブアクションという名の不平等、逆差別を目撃した。(男女ではなく、人種の差別対策。)州だか市の規則で、マネージャー職の人種の比率が決められていて、俺のいた会社で、無理やり黒人のマネージャーを一人作った。その部下になった日本人スタッフから「あいつは黒人だからマネージャーになったが、全く無能で前職での自慢話しかしない」という声を聞いた。俺が日本に帰ってきた後、聞いた話だが、無能を理由にマネージャーを辞めろ、と迫られたその黒人マネージャーは会社を人種差別的だ、と訴えたそうだ。(裁判の結果は聞かなかったが、そのマネージャーが会社を辞めたのは知っている)日本の会社の管理職、役員の女性比率が他国に比べて低いとかで、無理やり女性管理職・役員を作っているが、訴訟まで発展するかどうかは別にして、当然、「差別的に降格・解雇された」と訴える女性は増えているだろう。逆に出産・育児などに注力したいので責任・プレッシャーの少ないポジションを望む女性が、嫌々大きな責任、高いポジションを押し付けられる、ということもあろう。

俺は人種差別主義者、男女差別主義者なのでアファーマティブアクションで無能なマイノリティーを無理やり高いポジションにつけるなんてことはバカバカしいアメリカの物まねとしか思わない。(「日本は世界で〇位」、という訳の分からない比較論も百害あって一利なし)そう言えば、日本に帰ってきた後、巡り合った「海外の仕事しかしたくない」、という女性社員を思い出す。彼女に「海外業務だけでは出世できないが、構わないか?」と聞いて「出世なんかしたくない。海外業務だけをやり続けたい」という答えだったので「転勤しないと出世は覚束ない。出世しなくて構わないなら俺の目の黒い間は転勤させないから海外業務だけやってろ」と言ってその通りにしたことを覚えている。(彼女は日本で英会話の先生をしていたニュージーランド人と結婚し、その後、旦那が英会話の先生じゃあ飽き足らず、ニュージーランドに帰ると言い出してニュージーランドについて行き、会社を辞めた…ちなみにその後離婚したがニュージーランドに残り、一人で働いていた)

責任と役職:日本の会社の問題のひとつは「責任」が不明瞭なこと。およそ日本企業で責任と言うと「関係者が文句を言わなくなるまで逃げずに全力を尽くす(ふりをする)こと」ではないか?これは無限責任である。この無限責任を、具体的に「ここまでやれば免責」と限度をきめてやると話は変わる。(その代り、それ以上の責任を引き受ける「無限責任請負人」を高給で雇う必要があるが)つまり、社員を給料が高く、当然能力も高い「無限責任請負人」と給料はそこそこで5時になったらさっさと帰宅する「有限責任専門職」に分ければよい…これ、100%アメリカの物まね…前者は働くことが生きがい、出世することが夢なのに対し、後者は働くことは必要悪で働くことと同じくらい、もしくは働くことより大事なものが他にある。さて、この「働くことは必要悪」が日本人になじむか?「自分は出世したくないし、責任も負いたくないけど金は必要だから、しかたなく働く」なんて言う人を雇う、もの好きな会社があるのか?ここでまたアメリカの会社での経験を思い出す。人事マネージャーとして雇われた男がイタリア系のカトリック教徒だったが何かの拍子に「働くのは必要悪だ」と言い放った。まだアメリカに行って日が浅かったこともあり、「日本じゃあ人事の課長はこんなこと絶対言わない」とびっくりしたなあ。このイタリア人は「男女、人種、宗教、年齢なんかで差別しちゃあいけないなんて建前があるけど経歴書(レジュメ)を見れば名前や学校をいつ出たかで大体のことは分かる」なんて言ってたなあ。俺にはとてもしっくり来た。ただし、日本で言うと「薫」とか「光」とか男女共通の名前がアメリカにもあって、俺には名前だけでは男女の別がつかなかったことがあったのも思い出した。

今時、成果主義って日本でどうなっているか知らないが俺の知っている成果主義全盛期だって、給料に与えるインパクトは、「成果」なんかより「責任」の方がよっぽど大きかった、と思う。当時も、「責任」と言ったって不明瞭でなんとなく職位があがればそれだけ大きくなる、といった程度のもので「ここまでやればOK。それ以上は免責」なんてことはなかった。

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