ピッグス湾事件(Bay of Pigs Invasion)

 NHK「映像の世紀バタフライエフェクト」を面白く見ている。9.11のサウジアラビアとアメリカの因縁の歴史、そこに日系建築家を絡ませたり…1962年のキューバ危機を取り上げた回も面白かった。その翌年のケネディー暗殺まで予見させるような余韻を残し、そしてキューバ危機の前年に起こったピッグス湾事件(なぜ日本人はInvasionを”侵攻”でなく”事件”と呼んで誤魔化すのか?!)は2022年のロシアによるウクライナ侵攻と全く同じ構図のアメリカによるキューバ侵攻だったことも改めて確認させてくれた。

例によってWikipedia「キューバ」「ピッグス湾事件」から;

キューバは16世紀にスペインによって征服され植民地となっていた。1902年独立を果たしたが、実質上は1898年の米西戦争でスペインに勝ったアメリカの植民地だった。1959年のカストロによるキューバ革命で真の独立を勝ち取るまでCIAとアメリカ軍が傀儡政権を維持し、アメリカ人実業家(やマフィア)は砂糖や観光で多くの利権を得ていた。

アメリカはキューバ革命後も1903年の永久租借契約を盾にグアンタナモに海軍基地を置き続け、そこでテロリストの疑いのあるイスラム教徒を拷問したりしている。

キューバ革命が起こった時のアメリカは共和党政権でアイゼンハワー大統領、ニクソン副大統領、ダレスCIA長官らが中心となって反革命勢力への支援、カストロ体制の打倒工作、カストロ暗殺計画などを画策し、またキューバからの砂糖の輸入禁止を始めた。これに怒ったカストロはソ連近づいた。1960年の大統領選でニクソンを破った民主党・ケネディーが1961年1月20日大統領に就任するが、その直前の1月3日アメリカはキューバに国交断絶を通告し、キューバから10万人がアメリカに逃げてきた。

留任したCIAダレス長官はキューバからの亡命者に軍隊を作らせてキューバに上陸すれば国内の反革命勢力が立ち上がってカストロ政権を倒すという作戦をケネディーに説明し、「アメリカ軍の直接関与の露見はダメ」という条件付きで了解を得た。1961年4月、亡命者(実はアメリカ軍)の上陸作戦が始まったが、キューバ軍は想定より強化されており、失敗した。キューバは国連で「アメリカの仕業」と非難した。もともとこの作戦に慎重だったケネディーはアメリカ軍による援護にも慎重だった。(その後、失敗の原因はケネディー政権発足直後で政府全体と言うよりCIAと軍だけの単独行動だったからとか、作戦が亡命キューバ人にバレバレでキューバにも伝わっていた可能性があったから、などと言われている)

ケネディーはダレス長官を首にし、軍部とCIAを全く信用しなくなった。そして軍事・情報分野の助言者に対しても懐疑的になり、翌年1962年10月のキューバ危機で、空爆を強く主張する軍部の意見を抑えて、宥和的な海上封鎖を選ぶことにつながった。(このほか、ケネディーはキューバからのミサイル攻撃をやめさせるために、トルコにもCIAにも軍にも無断で、トルコに配備したNATOのミサイルを撤去することにをソ連に約束した。)

以上、1961年1月就任から1962年10月のキューバ危機まで、ケネディー大統領はCIA,軍のメンツをつぶし、キューバからの亡命者、かつてキューバで甘い汁を吸っていたアメリカ人実業家、マフィアなどから「殺してやる」と思われるようなことをした。ケネディーの弟、ロバート・F・ケネディー司法長官は1963年11月の暗殺事件直後、ジョン・マコーンCIA長官を自宅に呼び出して、「CIAが殺したのか」と詰問し、後に亡命キューバ人グループの指導者ハリー・ウィリアムズに向かって「君のところの誰かがやったんだろう」と声をかけた、と言われている。(ピッグス湾事件で上陸作戦に参加し、キューバの捕虜となってその後アメリカに送り返された亡命者たちはカストロに対する反感はもちろんあったが、ケネディーに裏切られて作戦失敗した、と考えていた。)

アメリカは1959年のキューバ革命の2年後「キューバは俺のものだ。取り返す」と侵攻し、ロシアは2019年のゼレンスキー大統領就任から3年後「ウクライナは俺のものだ。取り返す」と侵攻する。国連はプロパガンダ合戦の場になり、当事者の間でウロチョロする、という図式はこの60年間全く変わっていない。

1933年満州国を認められなかった日本は国連を脱退した。「日清日露戦争で勝って台湾その他が日本のものになり、1910年には韓国併合まで認められたのになぜ満州はダメなの?」と日本人の多くが思ったに違いない。そしてプーチンでなくたってロシア国民の多くも「1961年のアメリカによるキューバ侵攻や2003年のイラク戦争もおとがめなし。2014年のウクライナ侵攻だって結局は『やったもん勝ち』だったのに、今回はなぜダメなの?」と思っているだろう。

1920年、突然アメリカにおいて酒は違法となった。(なんと1933年まで続いた!)喫煙、黒人・女性差別、LGBT差別、人工妊娠中絶…アメリカ国内を真っ二つに割るような「今日からダメ」がアメリカ国内で次から次へと飛び出す。20世紀から今までは(鬼畜)米英が国際世論をリードし、同様に次から次に世界に向かって様々なことに対して「今日からダメ」と言い出す。帝国主義、植民地はいつからダメになり、ダメと言っている米英は本当に19世紀型の帝国主義や植民地を捨てたのだろうか?ピッグス湾事件は明確に帝国主義。ハワイの併合の仕方も怪しい*。香港だって1898年に英国が中国から99年間租借する、って約束して1997年に中国に返したが、これを「誠実に約束を守った」と見るべきか「英国は帝国主義・植民地はダメ、と他国に言っておきながら自分は香港で何十年も居座った」と見るべきか?俺は「戦争に勝てば正当化できる。悔しければ戦争に勝て」と思っている。一方で香港を見ても中国の懐の深さというか寛容、悠然たる時の流れに感心する。英国に対して言いたいことはたくさんあるだろうけどあまり言わずに「このくらいの嘘は英国の二枚舌と比べれば許されるだろう」と高をくくって99年間英国に盗まれていた香港を十年以上かけて取り戻そうとしている。

第2次世界大戦当時、ソ連(ロシア)は米英から見て「ヒトラーに対する防衛に使える緩衝材」であって、同盟国ではなかった。(1939年ソ連は宣戦布告なしでフィンランドに侵攻、同年国連を除名された)それがたまたまヒトラーがロシアに侵攻し、結果的に失敗したので米英の仲間みたいな顔をして戦勝国になり、国連でも常任理事国になった。それがメッキが剥げてきた。日本もG7だ、先進国だと言って仲間面しているが、米英が心を許しているとは思えない。先の戦争でキリスト教徒には理解不能な玉砕や特攻(イスラム教徒のジハード同様の自爆攻撃)をした日本。かと思えば原爆を落とされても抵抗するそぶりも見せずアメリカにしっぽを振った日本。米英その他の人(特に何十億人もいる一神教を信じる人)たちの常識や思考には当てはまらない日本。日本人の俺にも日本国は理解できないし信用できない。

*1893年アメリカ軍指導のクーデターでハワイ王国を転覆してハワイ共和国とし、1898年にハワイ州として併合。ただし、これは第一次世界大戦以降、ヨーロッパで帝国主義・植民地はいけません、という国際世論が盛り上がる前で、なんとなく既成事実として認められた。日本はこの空気の変化を読めずにアメリカのやったハワイ併合を見習って1932年満州で同様のことしたら国際世論に非難された。

閑話休題:

ベトナム戦争は民主党政権下でケネディが慎重ながら準備し、1964年ケネディー亡き後を継いだジョンソン大統領が始めた。その後戦争が長引いて反戦運動が盛り上がり、1969年当選した共和党のニクソン大統領が停戦交渉し、1973年パリ和平協定が調印された。因果は巡る、というか、キューバ侵攻では共和党が準備し、民主党が実行した。ベトナムでは民主党が準備し、始めた戦争を共和党が幕引きした。

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