民主主義の矛盾
「俺の日本人論」執筆中。それに山本七平さんが登場するので改めて七平さんの本を何冊かパラパラと飛ばし読みした。面白いところ、抜粋して以下に紹介。(1989年 日本経済新聞社刊、「常識の」落とし穴)
「税金は払いたくない、しかし社会保障はあらゆる面で十分に享受したい」という民衆の要求を制御する「法」を、民衆が選出した代議士に制定させようとしても少々無理ということ。この無理を、かつては植民地を搾取することで何とかやりくりをしてきた国もあった。(略)民主主義の模範のようにいわれたイギリスは一面では大植民地帝国であった。
もうひと昔もふた昔も前のことだが、イギリスが植民地を解放し、「ゆりかごから墓場まで」を保障し、民主主義の模範と日本の文化人があがめ奉っていた頃、私はあるイラン人から、アングロ・イラニアン石油会社の月給では、イラン人はイギリス人の十分の一だという話を聞いた。ま、そんなことだろう。その手品ができなくなればポンドの下落が始まり…
民主主義とは贅沢な体制だとか、コストのかかる体制とか言われる。確かにこれを成立させかつ維持してきた国は七つの海を支配した国とか、広大な国土と無限の(と思われる)資源を持つ国とか、に限られていた。世界史をパラパラとめくってみただけで、厳密な意味の民主主義を維持しえた国、維持しえた時代が、例外的といいたいほど少なくかつ短期間であったことを知る。(略)民主主義という贅沢のできる国はきわめて限定的で、何らかの形で他を搾取する形で(あるいは搾取に代わる錬金術があって)はじめて成り立ってきたと言える。美しいものの裏は必ずしも美しくはない。(略)錬金術が次々に民の要求に応じてくれるようになると、この贅沢が相当に長期間可能であることは否定できまい。この錬金術を日本は永遠に独占し、あらゆる要求がいつしかかなえられる、それは現在の体制を維持していればよいと信じて疑わないようになる、否、もうそうなっているかも知れない。
以下これにインスパイアされた俺の考え:
マルクスは資本主義が発達すればその矛盾で崩壊する(止揚*1)と言ったが、民主主義についてもプラトン以来、その抱える矛盾がいずれは民主主義を破壊するという考えがある。民主主義発祥のギリシャやアメリカには奴隷がいた。そして本家イギリスにも植民地とそこに住む奴隷がいた。日本の”民主主義”における搾取の対象は下請け中小企業及びその社員、非正規社員、それから宗教を信じて財産を差し出す人…搾取・錬金術ができなくなったイギリスは民主主義維持コストに耐え兼ね国力が弱まった。奴隷を解放し人種差別に切り替えたアメリカだが人種差別(による搾取)が弱まり、またフィリピン、ハワイのような”植民地”からの搾取ができなくなって民主主義維持コストの負担が厳しくなると日本や中南米、中東に手を出して…それでも国内の分断というリスクが高まり、世界の警察なんていう余計なことはできなくなったばかりか、イスラム圏内では警察顔をして無法な犯罪行為を繰り返している。
日本の錬金術、手品はもうタネが尽きたか。無理して”民主主義”にとどまるべきか、そんな面倒でコストの高いものを放り出す、という発想はないのか?そもそもロゴスのない問答無用好きな日本人には民主主義なんて無理。
*1Microsoft Bingで「しよう」を検索しても仕様、試用、使用、私用…なかなか出てこない。止揚なんて死語ということにしよう。
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