読売新聞 8月17日付け政治欄記事「強い政治不信 拭う決意を」

言論NPO代表 工藤泰志 氏 へのインタビュー記事:

政治不信の背景について工藤氏は「選挙公約が明確な目標を設定し、課題解決を図る形になっていない」ことを上げる。

 俺は ロゴス(理想やあるべき姿、そしてそれを実現する道筋や意志を言葉にする)になじみのあるキリスト教徒なら公約論議もできるが、過去に気を取られ、将来は成り行き任せ・運次第でロゴス無用の日本人には無理だと考える。 公約みたいな「きれいごと」を選挙の時だけ改めて語られても日本人は”バズらない”。 自分のこと、目先のことにしか選挙民は興味を示さない。 日本では欧米のモデルを真似ることはできるが、本質的に同じことをするのは無理。 そして見習うべき外国のモデルを日本流に改ざんしてきたのが日本人。 日本人は地縁血縁その他過去の遺物を頼って立候補し、立候補したら挨拶回りをして「誠意」を示し、当選の「お願い」で頭を下げるするのが精いっぱい。 公約なんて二の次。 そうやって当選すれば公約は脇に置いといてやりたいことをして(或いは何もせず)、結果選挙民に嫌われれば落選する… これが日本流民主主義。 ポピュリズム結構。創価学会や統一教会が特定の政党、立候補者を応援するのも当然。 一時は国民が迷ったり間違えたとしても選挙を通じて定期的に政治家個人や政権の可否判断が行われる。 この選挙サイクルが回ることが民主主義。これが俺の信ずる民主主義。 若い人は 誠意や挨拶はダサい、違うなどと思うが、じゃあどうすればいいか? 分からないから政治に背を向ける。 ロゴスも胡散臭いし、ダサいだろう。今の政治は年寄り向けの政治で若者は無視されている…その通りだが何十年かすれば、君らが年寄になるよ。それまで何十年間かの我慢はできないものだろうか?若者よ、選挙サイクルという民主主義の仕組みそのものに対して絶望しないでくれ。選挙サイクルの否定は独裁政治。つまり、厭になっても政権の交代をする方法や時期が見えない政治。

政治不信を解消するにはどうすればいいかについて工藤氏は「我々の調査結果は民主主義を信頼し、不安定化の要因は自分達有権者にもあるという声が日本社会に存在していることを示している。政治と国民のつながりを取り戻すため、今こそ政党改革や民主主義の修復に取り組まなくてはならない。 首相は歴史的な変革期にあることを肝に銘じ、大局的な視野で日本の将来像を語り、政党のイメージを大きく変えるべきだ」と長口舌を振るう。

政治不信をなくすべく日本の政治をどう変革すべきか? (=どうしたら政治はダサくなくなるのか)、なぜ今が歴史的変革期なのか? 政治を変える責任は首相・政治家にあるのか、国民にあるのか? について、俺の考え以下:

俺は上述の選挙サイクルが回っていれば、日本の政治の仕組みは今のままでよい、と思う。 あとは運用。 いい運用をするにはいい政治家、いい役人が必要。 いい役人、いい政治家を生み出すには政治家や役人を子供・若者たちの憧れの職業にすること。 そしてそれはダサい政治家や役人自身及びそういう政治家や役人をいじめるだけの既存のメディアにはできないことで、国民の責任で行うべきことだと考える。 以上が今から日本国民が何十年にわたって辛抱強く行うべきこと。 読売グループその他既存メディアはせめて、政治家役人に対するいじめをやめ、政治家役人は格好いい職業だ、という宣伝をすること … この俺のあるべき論もロゴス。 日本人には向いてない… 21世紀中には無理かもしれない。 22世紀になれば幕末のように尻に火がついて、日本人がロゴスに基づく行動ができるようになるかも。日本人のロゴス無用の象徴は「万世一系」の天皇…長い間続いてきた過去をむやみに崇め、実現すべき将来に向けて「こうする、ああする」という意志を言葉で語らず、幸せな将来を祈るだけの日本の象徴。本来、民の安寧を祈ることしかしないはずの天皇があるべき論を語り、ロゴスを示す時、日本の歴史は大きく変わった*1。21世紀末にはロゴスを示す天皇が出現する可能性がある。(下手をすると人権や自由を主張し、天皇制を否定する天皇が現れる?)あと一つのカギはアメリカからの独立。日本が自立・自律し、国防を自分の頭で考え自分の手で行おうとすることがあるのか?自前の国防こそロゴスのかたまり。

俺は「いじめ」を「自分は安全な場所にいて、反撃できないと分かっている相手に無理を強いること」と定義する。 工藤氏の、上から目線で「実現不可能な、あるべき民主主義を首相に語る」のは「いじめ」そのもの。 工藤氏も、「そんなこと首相に言ったって無理」ということは重々分かっているはず。 (もし分かっていないとしたら民主主義幻想に目がくらみ、思考停止して日本の現実に目が覚めてない人… そんな人を取り上げる読売新聞もおかしいってことになる )工藤氏のような「欧米ではこうだ。 日本もそれに追い付け追い越せ」式の叱咤激励はいらない。 欧米モデルを日本バージョンに焼きなおすにははこうしろ、とか、この点については日本はこのままでよい、という知恵が欲しい。

統一教会問題も安倍元首相が死んだから反撃はない、とメディアが判断して騒いでいるのではないか? これも「いじめ」に近い。(統一教会からの反撃はあるかも知れない。)そして日本のメディアは一時期騒いで”バズらなく”なれば次のいじめの対象を探す。 それがわかっているから、政治家の皆さんも「嵐が過ぎるまで頭を下げておこう」だ。

最後に; インターネットでさまざま調べたが、読売新聞(に限らず全ての大手新聞もそうだろう)にこれだけの文字数の意見・投稿を送ろうとしてもメールその他電子的な方法では不可能のようだ。 どうして300文字400文字といった字数制限をするのか? 投書・投稿するのは暇な年寄りばかり… 年寄の意見を封じるためか?いずれにしても年寄の意見は取り上げられること稀だろう。

*1武士の時代が始まる平安時代末期~鎌倉時代初期、そして武士の時代が終わる幕末~明治維新の時期。明治天皇はどこまで自身の言葉で語ったのか?取り巻きが天皇の名前で語ったことが多かったのは事実だが、それも下々の国民にとっては天皇自身の言葉と同じ効果だった。


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