養老孟司さんが東大病院に入院して
養老さんによれば医者は、かつては患者を目や手や耳で観察し、何の病気かを考え、治療法を考えた。それが1970年以降、患者から病状の「データ」を取り、そのデータを統計的に処理してデータベースに入れ、データベースから統計的・確率論的に一番正しいと思われる病名と治療法を特定する、という風に変わったのだとか。養老さんは言っていないが、以下、その心を推察した。
医者の仕事は「考える」ことからデータ処理(病状を統計的に処理できるよう加工する…例えば例外的な事象は捨てる)に変わった。そうやって作られた病状データと、こう治療したらこういう結果になったという治療データで構成されるデータベース(=AI)が病名も治療法も教えてくれる。これで何が面白いのか?ビジネスも将来、同様のことになろう。顧客の要望や市場で起こったことをデータにし、AIにインプットすれば「こうすればいくら売り上げが上がるよ」と教えてくれる。これで何が面白いのか?人間て考えるために生まれたのではないか?医者の場合、こういっちゃあなんだが、考えても考えても答えが見当たらない場合「当たるも八卦」と思い切って治療してみる、ということもあったのではないか?データベースやAIに頼って最も正しそうな答えを出してもらうより、一人の人間が考え抜き、悩み抜いて出した答えに命を預ける…その方が俺は好きだ。
一方で戦争の代わりにAI同士を戦わせて勝ち負けを決める、というのもあってよい。それぞれの国で最高の技術・頭脳を駆使して戦争AIを作り、紛争が起こればAIを戦わせる。
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