2022・3・8
ブログなるものを始めようとしているが、これで始められる準備が完了したのかは分からないまま「投稿」しようとしている。
最近はやっているSNSでは文字数が少なすぎるのでブログにした。何をしたいかというと:
思うこと、感じることを日記風に公開して賛否・意見をもらいたい、ということ。
金にしようなどとは、また、金になるとも思っていないし、万が一「炎上」などすればどちらといえば嬉しいか。
2019年に65歳で43年勤めた会社を、会社の規定に従って退職した。途中会社が勝手にくっついたり離れたりしたが、自分からやめることはなかった。宮仕えはもうこりごりと、働かずにいるが、そうなると、コミュニケートする相手は
①41年間も連れ添ってくれた古女房 ②会社時代のゴルフ友達 ③新しくできたゴルフ友達 ④新しくできたシニア仲間 ⑤学生時代の同級生ゴルフ友達 ⑥コンビニ、スーパーなどの店員 ⑦病院の受付、医師、看護婦 といったところ…コロナもあって飲食にはずっと行っていない。(もともと酒は飲まない)
他に、コミュニケーションと言えるかどうか分からないが、新聞、TVを見聞きして「馬鹿野郎」とか「ふざけんな」とか「いいぞ」とひとりごち、時々番組のホームページにメールする。好きなTV局はNHK(「きょうの料理」「美の壺」「プレミアムシネマ」)とMXTV(「5時夢」)とTV東京(「武田鉄矢の昭和は輝いていた」)。
問題は、滑舌も耳も悪くなっていること。一番コミュニケーション上の問題が少ないと思われる古女房としゃべっていても「何言ってるの?」と聞き返されることしばしば。これに頭にきてわざとらしくゆっくりしゃべったり大きな声で怒鳴ったりすると喧嘩になる。(そこで「俺の口が悪いのか、お前の耳が悪いのか?」と言うことにした。不思議に和む。喧嘩にならない。)念のため付け加えると相手の言ってることが聞こえない、聞こえても理解できないことはもっと多い。
古女房以外の相手には(特に若い人に対しては)①自分の言いたいことが伝わらないのは、こちらの滑舌の悪さ、表現の古さからでは?と心配になり、また、②「こいつ、おかしなことを言いやがる」と思っても同時に一方で最新の常識・流行に疎いという自信のなさから「本当に相手が間違っているのか?間違っているのは自分ではないか?」と迷う。
同世代の”シニア”と呼ばれる知り合いと話しても政府や役人を非難はするが、じゃあ、どうする、という対案・改善策は述べない。(TVに向かって「馬鹿野郎」と言うのと同じ)他の話題と言えば孫か病気か、まだ懲りずに再就職して働いていることくらい。
俺は年寄りの仕事って繰り言を行ったり、「人生100年時代」などという厚労省の流行語にのせられて再就職したりすることではなく、(ちなみに”シニア”も嫌い…厚労省臭くないか?ジジイ、年寄でいい)若い人・現役に「こんなひどい目にあったよ」「それを踏まえればこうすべきじゃないかな?」とか「こんなことに注意しろよ」と語ることだと思っている。これを語る相手・場がないのでブログで語ろうということ。
そしてそれが的を射ているかどうか、万が一ご意見を聞ければ望外の幸せ。
先日コロナワクチン接種に行った先のトイレで小用を足していたら個室から「しっかり勉強した」(?)とかなんとか、意味不明な男の独り言が聞こえてきた。俺のブログもこの男の独り言と同じ。苦しいから吐き出している。それで本人は99%すっきり。その排泄されたものを見て他人が「汚い」というのか、匂いを嗅いで「臭い」というのか?それがこのブログだ。(尾籠具???)
コメント
コメントを投稿