震災で生き残った人たち

 東日本大震災から15年。TVで生き残った人のインタビューを放送する。

・「助けられなくてご免」

・「生き残ってご免」

・(死んだ人が)「空から見てる」

・行方不明になった人々の遺骨を探して一斉に海岸の砂浜を掘り返す警察官の群れ

・子供の遺骨が見つかってそれをもらい「これで一緒に手を合わせることができる」という親

・子供が死んだと思しき砂浜に行って子供の好きだった食べ物を海に流す親

・”自分事”というセリフが繰り返し言われる


俺は、これらを見聞きして日本教研究の材料にする。

俺は、生き残って後ろめたい感じがするか?「死にそこなった」とは思うだろうが・・・

俺は、助けることができなかった、と思うだろうか?思わない。例え目の前で津波にさらわれたのを目撃したとしてもそうは思わないように思う。だって、津波相手に無力なんだから。

俺は、死んだ人は空から見てるとは思わない。ただ、思い出は残る。

俺には、遺骨に対する執着は理解できない。死んだらハイサヨナラ、でいいじゃあないか。遺骨に執着する人に忖度して、15年たって見つかる可能性は小さいのに、何十人かの警察官が遺骨探しをするのは、適当ではないと思う。(俺には警察のパフォーマンスにしか見えない)警察にはこれから起こる犯罪の防止・解決に尽力して欲しい・・・もちろん、個人が勝手にそこらの砂浜で遺骨探しするのは「どうぞ、ご勝手に」だ。

子供が好きだった食べ物を海に流す・・・フードロスであり、海を汚す・・・精々お墓に供えるくらいがいいんじゃないか?

さて、「自分事」だ。この流行語は何時頃、どこから来たのか?災害対策を一人一人で考えろ、ってことだろう。確かに学校の指示に従って校庭に「避難」して死んじゃった、なんてのは常日頃から自分の頭で考えていたら防げたかも。しかし、みんなが学校の指示で校庭に留まる中、一人だけ「俺はもっと高いところに避難する」って別行動をとるにはかなり勇気が要る・・・日本ではこの手の人を「同調圧力に抵抗する」という悪い意味を込めて”変人”と呼ぶ。この行動は非日本人的だ。どうも、「自分事」は、日本人らしさを否定しろ、ということになる。俺は学校の指示に従って、みんなで一緒に死ぬのも日本人らしくてそれなりにいいことのように思う。

逆に言えば、「自分事」が本当に定着したら、日本人は変わった、ということになる。俺は「自分事」の流行はやがて廃れ、また大地震が起きた後に再び流行語になる、と予想する。

さて、災害がない時に、どうやって逃げるか?どうやって生き延びるか?などなど自分の考えを披露しあって、ベストの方法を見つけるべく議論する、というのが穏当な所だろう。民主的だし。SNSで、俺ならこうする、私なら・・・とやり合うなんて、すばらしいSNSの利用法ではないか???

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