佐藤愛子「九十歳。何がめでたい」 痛快!(7)
1969年7月20日はアメリカの宇宙探査機アポロ11号が、月面に着陸した日である。その前日の7月19日、私は直木賞を受賞した。記者会見後、星野さんという文春の担当者と一緒に新橋の駅に向かってビルの間を歩きながら、ふと見上げるとビルの上にまるで絵に描いたような真ん丸い黄色い月が浮かんでいた。それを見て私はアポロ11号のことを思いだして星野さんに言った。「星野さん、あのお月様に向かって今、アポロが飛んでいるのね」・・・これは折に触れ思い出され、人に語ってはその都度記憶が鮮明さを増して私の脳裏に焼き付けられてきた光景である。ところがである。この話にイチャモンがつけられたのだ。ある雑誌のインタビュアーからこう言われた。「先日のお話ですが・・・あの満月を見上げながらアポロについて思いを馳せたというところ・・・」彼は気の毒そうに言った。「調べたところ、1969年7月19日は満月ではなかったんです。」「へえ?」と私は言った。どういうことですか?「月齢カレンダーで調べましたところ、その日は夕月だったんです。つまり、三日月です」「データがあるんです。月の周期で計算して行くと、過去のすべての月の満ち欠けがわかるんです。」
しかし私はこの目で見たのだ。あの真ん丸の大きな月、ビルの上にかかっていた黄色いお月様を。今でも私の瞼の裏にはまざまざとその月がかかっている。月が真ん丸だったからこそ、私はアポロを思い出したのだ・・・
>>>コロナが流行り出したころ、政府が打ち出す様々な対応策に対して野党とかコメンテーターがしたり顔で「科学的なエビデンスに基づいてない」と非難したものだ。「俺は日本人には科学なんて無理だからいい加減でいいじゃん。『お上』のすることに難癖つけるんじゃない。」と思った。政治にしろ、何十年前の月の満ち欠けにしろ、科学なんて無粋なものを持ち出すべきではない、と思う。
政治にしろ、何十年前の美談にしろ、それを否定するのは科学の力ではないように思う。経済の力と「そんなの嘘っぱちだ」という怒り、「俺の方が正しいんだ」という自信(傲慢)・・・
コメント
コメントを投稿