理解不能な朝日の柄谷行人インタビュー記事

 5月9日付け朝日に「デモをする意義はある」 柄谷行人さんが語る「有り難い」憲法9条として以下:

 ――柄谷さんは、2016年刊行の「憲法の無意識」(岩波新書)で、9条は日本人の無意識に根ざしていて、状況の変化、教育や宣伝などの操作によっても変えられない、と主張しました。ただ、自民党は2月の衆院選で改憲の発議に必要な3分の2以上の議席を握り、高市首相は改憲に積極的な姿勢を示しています。

 「国民投票が必要となれば、改憲は簡単ではないのでは。ただ、ごまかしのような形で強行されることはありうる。〝加憲〟というのもありましたし。しかし9条を放棄するのは、端的に言って自殺行為です」

>>2016年当時の柄谷さんの真意は「憲法なんてなんて書いてあろうと、日本人は戦争しない」だったのではないか?それなら俺は理解できる。今は、やけに護憲にこだわる。年取って変わってしまったのか?

――同書で柄谷さんは、「たとえ策動によって日本が戦争に突入するようなことになったとしても、そのあげくに憲法九条をとりもどすことになる」、ただし「高い代償を支払って」とも書かれていました。いまも同じ考えですか?

 「とりもどせないかもしれないですね。9条が個々人の意思を超えて出現したものであることは確かです。一度失われれば、どうあがいてもとりもどすことは不可能に近いでしょう。悔やんでも、もう手遅れです」

 「日本に9条があることは奇跡だ、ということがいま一つ理解されていないと感じます。これは偶然の奇妙なめぐりあわせが重なって成立し、かつ80年にもわたって維持されてきたものです。第2次世界大戦への国民の反省や、アメリカからの〝押しつけ〟など、いろいろな要素がありますが、それだけでは説明できない。GHQ(連合国軍総司令部)だってすぐに方針転換している」

>>どうも、柄谷さんは考えが変わったらしい。9条は奇跡とは思えない。80年にもわたって維持されてきたのは日本人の怠慢だ。あるいは法律に何が書いてあるのかなんてどうでもよい日本人らしさだ。言い方を変えれば、日本人は法による支配なんて”野暮なもの”は、嫌いなのだ。つまり、日本には民主主義なんて無理な(なじまない)のだ。

 ――1950年に朝鮮戦争が起きると、再軍備を求めるGHQの指示で警察予備隊が作られ、現在の自衛隊の前身となりました。

 「しかし、9条はなくならなかった。そのときにはもう日本国民が手放さなかったということでしょう。望んでもかなわないような、望むことすら思いつかなかったような、不可思議な憲法ができた。そして今も存在し続けている。これは本当に『ありがたい』、つまり、有ることが難しい。それを認識したほうがいいと思う」

>>つまり、違憲な自衛隊を作ってそれが堂々と維持されて来たんだ。たしかに他の民主主義国家では「ありえない」ことだ。

 ――ただ、世界情勢が緊迫する中で、自国を守るための軍備は必要ではないかという意見も強くなっているのではないでしょうか。

 「まずやるべきなのは、空文化している9条を文字どおりに実行する方向を模索することです。それは防衛の放棄でもなければ、無為無策でもありません。9条があるからこそ可能になる類いの外交がある。それを通じて諸国の平和的秩序に貢献すべく、積極的に取り組んでいくことです。それが結果的に最高の防衛にもなる。これはきわめて独創的な、世界史的にも類のないことです」

>>ここは理解不能。空文化してるものは空文化のままではまずい、ここまではわかる。9条に書いてある通りに実行せよ、は理解不能。実行できないから(実行すべきでないから)、実行されてないのだ。「諸国の平和的秩序に貢献すべく、積極的に取り組める」るものならご自分でやって見せて欲しい。俺には全く???だ。

(後略)

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