「くじ引き民主主義」を読む
吉田徹著、2021年発刊の「くじ引き民主主義」を読む。一言で言えば、選挙民主主義はもうダメだから、選挙でなく代表(代理)をくじ引きで選べ、というもの。そうすれば、結果は同じでも、政策を、選挙という自分たちが信じていないプロセスで選ばれた信じられない代表に決めさせるより、偶然で(神様によって)選ばれた代表に決めさせる方がまだまし、というもの。ただし、素人にオープンに議論させることができない軍事や外交はプロが秘密裏に行う。
面白く、また刺激もあり、参考になる本だった。民主主義の延命のため、試す価値はありそうだ。
まず数少ない悪口から書くと:
①嫌いな言葉遣い
OS・・・「民主主義のOS」って何???まず、OSって何の略だったか思い出せない。パソコンを使い始めたときマイクロソフトのWindowsがOSの代表だった。民主主義の・・・と来れば基本とか仕組みと言う言い方が妥当な気がする。1975年生まれの著者にとっては、こういう文脈にはOSという言葉がぴったりなのか?何のこだわりがあってこういう言い回しにするかは分からないが、俺には違和感。
彼ら/彼女ら・・・これも気に入らない。「彼ら」だけでよい、看護婦は看護士に言い換える必要はない。バッカみたいだ。
②マックス・ウェーバーやプラトンやソクラテスを読んでるのに・・・
この本に彼らの言葉が引用されるんだから著者は俺なんかより熱心に彼らの本を読んだはずだ。マックス・ウェーバーは「職業としての政治」で、またプラトンはソクラテスの口を借りて「国家論」の中で”民主制は独裁制に変わる”と言っている。そこには触れずに、「民主主義を守りましょう」みたいな話に持っていく。俺は「民主主義は終わってそろそろAI独裁が始まる」と思っている。というか、民主主義では人間は幸福にならないから、独裁を試せばいいと思う。まあ、その前にくじ引き民主主義を試してもいいか。そもそも俺は民主主義って嫌いだ。市民権を得ていない者(例えば奴隷や植民地の人や女)を搾取・収奪することを前提とするからだ。民主主義って金も時間もかかるものだから、そういう犠牲者が必要なのだ。今のアメリカはそういう犠牲者がいなくなってしまったから、同盟国や移民やマイノリティーを犠牲者にしようとするのだ。
以上で気に入らないところは終り。以下は気に入ったところ:
①古代アテネの民主主義について、橋場弦の「民主主義の源流 古代アテネの実験」から引用:月に数回、アゴラ(広場)に数千人の市民(市民権を持つ18歳以上の男子)が集まり、そこでポリス(都市)についての討議と決定がされる最高議決機関「民会」(エレクシア)が、催された。 市民たちは議場に入ると、思い思いの場所に席を占める。入場口には係員がいて、民会参加資格のない者が入場しないか目を光らせている。演壇で議論が白熱している一方で、議場のあこちでは弁当を広げる姿が見られた。議論が始まる。議論と言っても、原則的には同じ議題について何人もの発言者(動議発案者)が入れ代わり立ち代わり演壇に上がって自分の意見を述べるに過ぎない。いわば「モノローグの連続」である。いくつもの提案が動議された後で、民衆はどの提案を最善と思うかについて、多数決で採決を行う。可決された提案は国民決議として成立する・・・この民会で承認された提案を執行するのは「500人評議会」であったが、その任に当たる人々こそ、各地の10部族からくじで選ばれた30歳以上の男性たちだった。この評議会は、民会への法案の提出や財務、また外交に関する決定を行う行政部門に相当する。さらに、軍事、祭事、司法など重要な任を司る最高役職の「アルコン」など、多くの重要や役職がくじ引きで選ばれていた。
②アメリカと日本の「議会を信用しない」市民の%の推移が興味深い
1981年~84年 アメリカ46% 日本69%
1999年~2004年 アメリカ60% 日本72%
2017年~20年 アメリカ84% 日本60%
アメリカの一方的な「信用できない率」急上昇
日本はあまり上がらず、逆に下がった。その結果日米は逆転した。
筆者の言う通り、トランプは国民の政治不信の結果として生まれ出て来たのだ。問題は、その政治不信がどこから出て来たかだ。民主党のポリコレやダイバーシティーが偽善だからか?将来に対する絶望か?アメリカに反して日本では政治不信が弱まった・・・本当か?なぜか?分からない。
日本で信頼されているのは(2019年、シンクタンク「言論NPO」調査):
天皇・皇室 90%
自衛隊 75%
警察・司法・裁判所 70%
中小企業 50%
地方自治体・首相・大企業 45%
NGO,NPO 38%
政府 35%
地方議会、メディア 33%
政党 22%
宗教団体 10%
天皇・皇室は今のところ信頼度高い。次期天皇になったら怪しいが。
自衛隊、警察、裁判司法はかなり劣化しているはずだが、結構信頼度高い。
③小泉政権の郵政民営化や民主党政権の脱原発政策は政権交代もあって中途半端に終わった・・・郵政民営化の勢いを止めただけで、民主党が政権を取った意味はあった。
④比例代表選挙にして、棄権率20%なら、その20%にはくじ引きで選ばれた人を割り当てる。
⑤くじ引き民主主義成功のためには:
くじ引きで選ばれた人たちの構成は、国民・住民の年齢、ジェンダー、居住地域、職業などに近くなければならない
選ばれた人たちに事前に十分な情報が公平・客観的に提供されなければならない
選ばれた人たち+ファシリテーターによる熟議・討議がなされなければならない
熟議と討議のプロセス・内容は公開されると同時に匿名性が保証されていないといけない
自分の意見に固執せず、その場にいる人々を信頼し、確かと思える情報に耳を傾け、自分の意見や態度を変えることを怖れないことが、くじ引き民主主義を成り立たせるための何よりの必須条件だ。
※上記条件はかなり難しい。特に熟議の部分。議論がファシリテーターに左右される危険大だし、また、意見や態度をフレキシブルに変えることができる人って日本には絶望的に少ないんじゃあないか?
⑥熟議という言葉はdeliberationという英語を井上達夫が翻訳した・・・すでにどこかに存在する「正解を探す」のでなく、「正解を作り出す」のに向いている・・・結論よりいかにそれが決まるのか、決まったかという決定のプロセスについての納得が重要・・・どうせ万人が満足するような政策は作れないんだから
⑦熟議の過程で、参加する人々が自らにとって最良の選択肢だと考えていたものも、他人との対話によって、変化して行くこともあり得る・・・政党から立候補し、選挙で選ばれた代議士では熟議は無理。(熟議熟議と言う立憲民主党は間違っていた)この、自分の考えが変わり得るという議論の本質を具えた討議・討論は、くじ引きで選ばれた個人の間での方がまだ、成り立つ可能性は高い。
⑧くじ引きの効用:
均等に権力を配分するための選挙をしても、すでに権力や権威を持っている集団が有利になってしまう。これを回避するには自然が持つ力、すなわちくじ引き=神の意志としての偶然=を用いる
能力で人が選択されるということは、一見公平に見えるものの、選ばれなかった人は、自身が劣っているとの烙印を押され、自尊心が大きく傷つけられる。偶然に身を任せた方が、人は救われることもある。
一般的に民主的に物事を決定するためには、話し合いと投票という手段が想定される。しかし話し合いはそれがいかに理性的であっても(あるいは理性的であればあるほど)合意を導き出すことが期待されているため、そもそも合意の前提に反対している人たちに決定の場に参加してもらうのは難しい。投票(多数決)による決定は少数派を生み出し、少数派が多数決の結果を受け入れる用意がなければ、分断が生まれてしまう。
人は自分の選択でないからこそ救われると言う局面を経験することもある。逆に成功や失敗のすべてが自分の選択の結果だとされてまうと、人は尊大になったり卑屈になったりして不自由になる。くじは神なき時代に神の役割を果たすものとも言えるだろう。
⑨柄谷行人は、「日本精神分析」で、普通選挙によって無記名投票(入れ札)が当たり前になった時点で、代表制民主主義は機能しなくなる、という。なぜなら、無記名だと、誰が誰に投票したのかがわからなくなり、代表する者(=政治家)と代表される者(=有権者)との関係が曖昧になるため、政治家は選挙区の代表ではなく、国民全体の代表だとされることになるからだ。しかし、これでは、誰が自分を代表しているのかが不明瞭になる。ここから、秘密投票と無記名投票こそが民主主義を機能させなくする、という逆説が浮かび上がる。19世紀半ばのフランスやワイマール時代のドイツのように、普通選挙が当たり前になった時代に、自分たちこそが国民を代表する、という反議会主義的な勢力が力を持つ道理である。
彼がこれに代わって推挙するのが、古代アテネで行われていたように、くじで行政職や司法職を宛がう、くじ引き民主主義である。秘密投票のもとでは、誰が誰に投票するかわからないために、有権者が候補者をゆすったり、逆に候補者が有権者を買収したりするようなことも起こり得る。しかし、くじ引きであれば、偶然によってその人が選ばれるわけだから、そうしたことは起こり得ないと言いうことになる。あるいは、三権分立のように、複雑な制度上の仕組みを用意しなくとも、権力が同じ場所に留まることはないから、権力に対するチェックアンドバランスは、恒常的に機能することになるのだ。
もちろん、柄谷は古代アテネに回帰すべきだと唱えているわけではない。そこでは市民権を持たない奴隷や女性がいたからこそ、成人男子が公的な活動にいそしむことができたからだし、職業には向き不向きがある事も事実だからだ。そこで彼が提案するのは、既存の選挙とくじ引きを併用する案だ。具体的には選挙であらかじめ優秀な集団を選出した後に、その集団のトップをくじ引きで選ぶと言う方法だ。こうすれば結果として無益な権力闘争や間違った自尊心を呼び起こすこともなくなる、というわけだ。こうした柄谷の考察で興味深いのは、組織や企業のトップ、すなわちエリートこそがくじ引きで選ばれるべき、としていることだ。エリートになりたいという、本人の意志と自由をある程度尊重しながら、エリートの慢心や権力の独占を防ぐためには。組織のトップを選ぶプロセスにおいてこそ、くじ引きが実践されないといけないとする。
➉民主主義が紆余曲折を経ながらも今日まで続いてきたきたのは、絶対主義や独裁主義と異なって何が「正解」かを常に保留しておく政治だからだ。絶対主義であれば、神の意志を地上で実現すること、独裁主義であればリーダー個人が共同体にとって何が善き事かをあらかじめ決め、それに従うことが「正解」となる。民主主義とはそういった「正解」がそもそも存在しないということを前提にしている。なぜならその時時の状況に応じて、今日の多数派は明日の少数派になるかもしれないからだ。悪い言い方をすれば「正義」などは無視して、多数を取れそうな、流行りそうなアイデアを追いかけるだけだ。そして何より、民主主義は効率が悪い。意志決定が遅い・・・権威主義や独裁主義に負ける恐れがある。
⑪SDGs、感染症対策・・・「あっちを立てればこっちが立たず」トレードオフの関係に置かれているのが現代社会の抱える課題の特徴だ。このようなトレードオフの世界が常態化する中では「政策的な解」は存在しない。特定の政策を採用することは、必ず何かを犠牲にすることにつながるからだ。そしてその都度、ネットや街頭、メディアで疑義が出され、民主的な社会であればあるほど、政策は迷走することになる。
閑話休題:
選挙民主主義は、冷戦時代のものだった。正しいものがあって、どっちが正しいのか、戦って決めた。正しいものがなくなると、その時々の「正解」を求めるようになる。その正解とは、戦って決めるものではなく、熟議を経て決めるべきもの。政治不信の原因は、熟議の結果決められるべき政策が、選挙と言う戦いで決められるところにある。
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