三浦瑠璃・漂流する日本政治~権力闘争のダイナミズム欠如が招く危機と岸田政権の本質
2023年1月、朝日・論座に寄稿された瑠璃さんの記事:
(前略)
それよりむしろ深刻なのは、日本政治そのものが漂流しているように見えることである。つまり、政治に「ある方向性を持った目的意識」が希薄なのだ。なぜ、そうなっているのか。端的に言えば、そこに権力政治のダイナミズムが欠けているからである。
本来、政治とは「大義」――日本では「錦の御旗」という表現が耳になじむであろう――をめぐる闘争である。もちろん、「大義」であれ、「錦の御旗」であれ、時代によって、国によって様々である。その「錦の御旗」が今、日本政治に存在しないように見える。これでは、「方向性を持った目的意識」は持ちようがない。
それは、権力闘争による逆転の可能性が乏しいからだ。動乱の要素が少ないとき、「錦の御旗」を描き、掲げて前進する人は現れにくい。
振り返れば、平成の30年間に押し寄せた政治や行政、司法などの「改革運動」は、まさに時代状況と環境とが権力闘争を招き寄せたからであり、おそらくはその逆ではないと私は考える。
「勝てば官軍」という言葉が日本にはある。勝ちさえすれば、大義の一貫性は問われないということでもあるが、これはある意味、日本の「お家芸」であるといってもいい。日本においては、勝つこと、末端にまで下ろして考えれば、ムラの支配権が誰にあるかがすべてであり、物事を正義に基づいて考えたり、主張したりしにくいような土壌があるのかもしれない。
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1996年の衆院選から、一つの区で同じ政党から複数の議員が当選する可能性のある中選挙区は廃止され、1区当選者一人の小選挙区制に変わった。中選挙区制なら党のリーダーを支持する候補と支持しない候補の並立があり得たが、小選挙区制では立候補者はみんな党のリーダーを支持するいい子になってリーダーシップは強くなった。これに伴って権力闘争のダイナミズムは弱まった、と言う人も多い。
そうなると、立候補者はまず党のリーダーに好かれ、選挙人に好かれる必要がある。大義も正義もあったものではない。
闘えば逆転できるという見通し・感覚があれば闘うための大義を捏造してでもて闘う・・・。これがないから閉塞感や絶望感が広まる。明治維新も江戸幕府を倒す戦いの口実として開国だ、尊王だと取ってつけただけ。そして男たちは夢中になって江戸幕府に挑んだ。幕府もやり返したからテロ合戦となった。このきっかけとなったのは「外圧」だ。2025年現在も外圧による危機感はあるが、これをきっかけに「維新」は起こるか?ネットによるテロも起きてるし、今は幕末に近いとも考えられるか??
閑話休題:
戦争だって、闘えば逆転できると思えば適当に屁理屈こねて始める。それにしても、なぜ、八十数年前 、逆転できると思わないまま、アメリカに挑んだのか?
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