山口瞳はやっぱり面白い(「山口瞳対談集4」) その2
永井龍男との対談(1972年):
山口:井伏さんは、散歩のときの眼鏡と将棋の眼鏡と違う。永井:ええ、家が大山名人とすぐそばでしょう。眼鏡の話を聞いたんですって。大局する時は全体の見える眼鏡が必要だというんで、井伏さんは将棋の時はそれをかけます。(笑)
吉行淳之介との対談(1976年)
山口:若い頃の話ですが、例えば今でいえば千鳥ヶ淵とか皇居前広場へ女のコと一緒に行こうと言ったら、まず断られますよ。ところが、ちょっと面白いところだから社会探訪に行こうかとか言うと、まず来る。理由付けがあればいいんですよ。女って言うのは、実に程度の低い、アサハカなもんだと思いましたね。吉行:自分に対する弁解だね。
吉行:たとえて言えばジェームス・ワットの原理。性欲をヤカンの中に閉じ込めて、フタをしてしまう。ヤカンの中のボルテージがあがってきて、沸騰すると、性欲が精神的な恋愛感情に錯覚されてしまうわけだ。極端に飢えたときのモヤモヤは、根は性欲なのに、ふさがれると恋愛だと錯覚してしまう。
山口;男は頭がいいというか天才みたいな人で、女はその逆なんですが、そういう場合でも、女の方だけ計算ができているっていう感じがありますね。一方、男の方は無我夢中。だから、おっしゃるように、男だけ恋愛してるような感じがあるんです。まさに地べたに座って計算している。
山口:私の大先輩の奥さんがそうですね。とにかく、たいへんな、いい奥さんなんです。先輩は、収入を全部、奥さんに渡すんですが、奥さんは、「あの、あたくし、5千円いただいてもよろしゅうございますか」という風にお伺いを立てるわけですよ。先輩が「あ、いいですよ」という。なにか、自分の物を買いたいときにそういうんですね。それほどの奥さんが、30年以上たつと、いまや先輩と同等という感じを受けますね。もう、その先輩はダメだ。奥さんの支配下にはいっている。(笑)そういう奥さんだからこそ、30年我慢されると、後は凄い逆転、すごいドンデン返しがくる。吉行:そうでない家庭なんかありはしないんだ。ぼくは、結婚は契約制度にすれば一番いいと思う。結婚というのは・・・高校野球で優勝すると、優勝旗もらうでしょう。そうするとリボンがつくね。男は、結婚はそういうものだと思うけど、女は違う。優勝旗は来年、返さなくていいと思っちゃうんだ。ボクシングだって、体重オーバーしたらタイトルマッチ認められないでしょう。それとおなじく、3年契約ぐらいで、何バウンド以上になったら離婚とか・・・(笑)
吉行:「お褥(しとね)すべり」というのがあったね。江戸時代、大奥の女性は28歳でお役御免になった。山口:女の28歳は男で言えば50歳。人生の黄昏。吉行:そう。だから、法律を作ればいいんだよ。28歳じゃかわいそうだから、40過ぎたら男にセマるな、とか。山口:極端に言ったら、30までは男は女性器志向だと思うんですよ。それ以降、その女性器が変わってしまったら、次は別の女性器を志向するのは、天然自然だと思いますね。
吉行:時計なら取り換えることができるけれど、女は取り換えられない。これが困るんですねえ。山口:自動巻きのはずが、2年もたつといつの間にか手巻きになっていて、しかも狂いが激しい。だから、毎晩ネジを巻いてやらなくてはならない・・・(笑い)
山口:女の人の内股がスベスベしてるのって、私、大好きです。内股がスベスベじゃなくなったら、これはもう女じゃなくって、別人ですから…(笑)
>>結婚=優勝旗につくリボン説。男はリボンに名を残すことに満足し、旗本体は1年後に返す。女は旗取り切りで返さない・・・わかったような分からないような。上述のような昭和の男女観、つまり男と女は違う、ではいけないのか?その方がいいような気がするんだが…
丸谷才一との対談(1983年)
山口:「みんなでちょっと験(げん)直しに吉原へ繰り込もうじゃないか」ということがさ、わりにスラっと言える世の中に住みたかったなあと。
山口:だって、どこそこの出身というのは一般的でないとも言えないでしょう。そう言えば話が弾むんじゃないかと思って、好意で紹介するのに、かえってソッポを向かれたりね。丸谷:ソッポを向くというより、それがどうした、という感じはありますね。つまりね、「丸谷さん、あなたは8月生まれだそうですが、この人も8月生まれなんですよ」と言われるのとほぼ近い感じ。僕は、あの人が東大英文ですと紹介されるときも、そんな感じがします。それがどうしたという感じか。山口:ああ、それは私もありますね。よくバーなんかで「私は麻布中学の10年後輩です」なんて言われると、もう嫌な感じ。
山口:流行の話に戻りますけど、僕は流行の最先端といわれる原宿を歩いているのは9割以上、関東近県の人だと思う。つまり、彼らはあれが流行だと思っている。それから、ブランド商品メーカーなんていう商売をするのも東京の人じゃないですよ。一度調べてみたいと思っているんですけどね。僕は割に幼い時から、専門店へ行って買い物をしましたけど、関西の人はそういう所で買うのをとても嫌がりますね。ネクタイならネクタイを買う時に、デパートへ行くとはるかに品数が多いですから、そのなかから選ばないと買った気にならないというわけです。僕は行きつけの店へ行って、色々選ばず一発でこれ、と買ってしまうんですけどね。関西の人はそれじゃ買い物の楽しみがまるでないじゃないかと、お互いに理解できないところなんですね。
>>流行遅れ(無視)の東京人。流行を追っかけるってのは単に自信がないということだ、と俺は思う。自信がないから、流行に頼る。比較したい関西人。比べるなんて面倒、無粋だと思う江戸っ子。関西人は自分の見る目を信用しないから比べたがる。こうしてみると、江戸っ子ってえのは、むやみに自信がある人種。
諸井薫との対談(1990年)
山口:そのころ編集者ってどういうものだと考えてました?とてもこんななことはやってられないと僕は思ってたな、お先真っ暗で。目白の六畳一間に女房と二人でいたわけだけど、近所の赤提灯で見かければ、へべれけになったモト「中央公論」の編集長、ソフトにレインコートのよれよれで帰って行く朝日の名文記者・・・。とにかくお金の面では絶対に恵まれない。身分もとても低い。毎日バクチを打ってるような生活。しかし抜けられない。他に何もできないから。
諸井:まったくおなじじゃないですか。でも自分のような偏った性格ではとても世の中にちゃんと関わっていけそうにない。人と伍してちゃんとやって行ける自信が全然なかったから出版社くらいしか働けそうになかったということもある。
山口:22歳で結婚したんだけど、この女性を仕合わせにできる自信はゼロだと思っていた。
諸井:実は、僕もその年で結婚してるんですよ。
山口:あ、手が早いんだ。
諸井:自分の事棚に上げて。(笑)手が早いんじゃなく、きちんと結婚するところが我ながら偉い。
山口:そう、立派。当時僕の給料が8千円ぐらいかな。女房は銀座でお針子のアルバイトをして4千円ほどもらっていた。二人でやっと、どうにか食える状態があったわけです。
諸井:これまたはからずも、うちのカミさんもお針子でした。
山口:気持ち悪いな(笑)。銀座で?
諸井:ええ。女優の贔屓の店で、カッティングなんかやってたみたい。
山口:便利なこともあったでしょう。ビロードのピアノ覆いで、息子の七五三の洋服を作っちゃたりして、とってもありがたい。
諸井:上着は無理だけれども、ズボンは縫ってもらった覚えがあります。
山口:我々、忠誠心はなかったけど、よく働いたなあ。
諸井:土曜、日曜に休んだことがない。
山口:子供が3歳か4歳で少し口がきけるようになって、パパが会社を休むのは旗日だけだだって、そう看破した。よく炭鉱労働者の就業条件が厳しいとか言われるけど、あの人たちはたぶん働けばその分、お金が入ってくるわけでしょう。ぼくらは下手に働くと何百万円だか会社に赤字をつくることになる。実に空しい。
諸井:しかし、この商売以外はダメだと思い屈して馬車馬みたいに働かされるうちに、馬車馬みたいに働きゃ何とか通用するということもだんだんわかってきましてね。
山口:本当にその通りだ。永井龍男さんの受け売りになるけど、いよいよ作家でやろうとするとき、他人が一日でやれる仕事を二日か三日かけてやれば俺だって何とかなると思ったもの。今まで牛馬の如く使われていたあのエネルギーをぶつければ何とかなると・・・
諸井:三晩徹夜して、その次の日は原稿用紙が眼前でグラッと揺れて、その場でダウンなんてこともあったし。
山口:よく赤い小便が出たなあ。
諸井:でも、僕みたいな社会適応力の低い人間がこうやって働ける場所があるだけ仕合わせだ、と感じないこともなかった。
山口:そう。それに仕事自体がつまんなくはない。自分が発見した作家なりタレントなりがどんどん売れて行くのは愉快だった。
諸井:その頃、原稿料で暮らすプロのもの書きがどうしてこうも文章が下手なのかと腹が立つことはありませんでしたか。編集者というよりぼくは専ら、リライターでしたね。
山口:編集者って、割が悪いと考えなかった?こおれは書く方に回った方がよっぽど得だと。
諸井:それもあったが、同じ編集者でも大手とそうでないのには差別がありましてね。印刷工場に出張校正に行くと、儲かっている会社と金払いの悪い会社では、出される食事が違ってね。
山口:大手の校正室には大きなお鮨の桶がスッと入るわけ。ぼくらはメニューをにらんで5円高い五目そばを断念し、50円の焼きそばを注文する。そう言えば、あっちには一本ついていたね。
諸井:ついてた。確かに。(笑)
>>自分は偏っている、人に伍してちゃんとやっていけるわけがない、という自覚が根底にある二人の軽妙なやり取り。「思い屈する」…実に含蓄のあるいい言葉。俺も全く同じ。そんな自分が曲がりなりにもここまで世渡りが出来たのは上さんのおかげ・・・。まともな人間(真人間)じゃアないんだから、人の2倍、3倍時間かけて何とか一緒。平等じゃアないが、そうやってする仕事は結構面白かったり、「仕合わせ」だったりする・・・どうしてそれじゃあダメなんだろう。働き方改革って、何だろう。そうなんだ、平等を自己目的化しちゃあいけないんだ。面白くて「仕合わせ」ならいいじゃないか・・・自分のことを偏っていてクズ、なんて”思い屈してる”人間はあまりいないのか?
櫛田孫一との対談(1973年):
山口:(外国に行かないのは)わたしはやっぱりしゃべれないのがいやなんですけど、先生の場合なんかそういうことがないんですから。
串田:いや、しゃべるあれじゃあないと思いますよ。オドオドするんじゃないかな。だれもいなければね、二人だけならいいんです。しゃべる前にみんなどいてくれればね、こんないいことはないと思うんだけれども(笑)。とくに日本人なんかがそばにいたりしたりなんかしたら。
山口:そんなお殿様みたいにお人払いしてたんじゃ大変だ。(笑)
串田:(ボーイが葡萄酒を注ぐ)これをちょっとこう・・・
山口:飲んで味を見なければいけない。この先生は飲まない先生で・・・
串田:これ、困りますね。
山口:小笠原流じゃなくて、裏千家で飲んで。(笑)
ボーイ:いかがですか。
串田:大変結構。
山口:わかったようなことをおっしゃるなあ。(笑)
串田:ダメだから帰ろうと言ったりして、ねえ(笑)
山口:ダメだったって金取るんですからだめよ。(笑)いつか、ダメだからね、いいのととりかえてくれと言ったんですよ。勘定見たら、返した分もちゃんとついているんですよ。(笑)それならさっきの残したやつ持って帰るっていって、もらって帰って来た。そのときボーイさんがいやな顔しましてねえ、
串田:ボーイさん楽しみにしていた。(笑)
山口:だってお金払ってるんだからね。
串田:日赤の、看護婦さんの学校で、記念祭みたいのがあって、そこで話をさせられてね。題が「うそ」っていう題にしておいたんですよ。で、僕も前の晩、一生懸命、あした死ぬっていうことが分っている病人にね、看護婦さんが嘘つかなくちゃならなおでしょう、そのときの嘘について話そうと思って題をくっつけたんだけど、ふらふらッと壇へあがってから変な気が起こっちゃってね、ぼくがちょっと前にフランスにいた時に、ブルターニュ半島ていうのがありましてとやりだしてね。そのちょっと前にジイドの「ブルターニュ紀行」なんていうのを読んだものですから、地名なんかを思い出したんですよ。そこで、こっちでいえば漁師の家なんだけど、2階が部屋が空いているから借りて、一か月ほどいましてなんて話をしてね、時計見たら1時間過ぎちゃって、それで終わっちゃったことがあるんですけどね。(笑)
山口:全部嘘なの。
串田:全部嘘。(笑)あれ、ちょっとうれしかったですよ。だからなんか、ゆうべもこれは山口さんと架空のはなしをしようなんて、現実の話だととても太刀打ちできないからと思ったんだけど。(笑)
山口:そういう時は上がらないですか。
串田:上がらないですけどね。途中から嬉しくなっちゃってね。まだみんなこんなになって聞いているんでしょ。看護婦さんなんていうのね、ふつうの学校の生徒と違うから一生懸命になって。最後に、今日の話、これで終わりますって、拍手をもらってから「今日の話、全部嘘です」って、ちょっと言って、ワァっていう・・・ちょっと嬉しくなって。途中でバレたらみっともないからね。
>>外国に行くと、日本人がいる前で外国語を話したくない。気持ちはよくわかる。「うそ」という演題で、うそ話をする…いい話だ。落語っぽい。
閑話休題:
思い屈する…いい言葉だ。俺はつまんねえ男だ、生きたってつまんねえ人生だ・・・みんなそう思って入れば、俺にとっては生きやすい世の中。
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