矢野誠一「酒と博奕と喝采の日々」
矢野誠一「酒と博奕と喝采の日々」より:
水原弘:
1974年、手形の乱発からとうとう差し押さえの憂き目にあうのだが、このときの借金総額が3億5千万という巨額に上り、その半分が飲み代で、半分が利子と言われた、そんなおミズのところに、金を借りに来るのがいたというのだから、上には上がいるものだ。なかには、たのまれたらいやといえないオミズの気風につけこんでのものもあるのだが、自分の頭のまわりのハエも追えない身でありながら、いやな顔一つするわけでもなく、無理を重ねて用立ててやったという。こと自分に関しては「借金も実力の内」と嘯(うそぶ)いて、最後まで能天気に振舞っていたオミズだが、ひとに貸した金については一切口をつぐんで、催促がましいことをしなかった。明日までに2百万作らなければ大変なことになるというので、四方八方かけずりまわって、やっと2百万こしらえることができた。その2百万ふところに帰宅の途中で、ばったろ古い友達に出くわした。聞けばその友人近々アメリカに渡るという。いけないと気がつくより先に、口から言葉が出ていた。「ようし、盛大に壮行会やろう。みんなも呼ぶんだ。」結局、せっかく工面した金の大半をその晩のうちに吐き出すことになる。やることがまるで「文七元結」の左官の長兵衛で、まあ、破滅型善人とでも申しましょうか。
大量に吐血して北九州の病院に緊急入院したオミズは、意識を取り戻した時、、右手をベッドに固定されたので左手でたどたどしく、「いろ ゴク ら さん」と奈名子夫人に書いている。「いろいろご苦労さん」と言いたかったのであろう。幼稚園の子供が使うアイウエオの五十音をさしだすと、マタウタエマスカ と指でたどって医師に尋ねた・・・
神田連山:
小島正雄さんの「いま、いちばん売れてないはなし家ってだれ?そいつの独演会ききたいね」という酒場の戯言がトントン拍子に実現してしまった。で、そのいちばん売れていないという名誉に浴したはなし家というのが、小島正雄さんと同い年の土橋亭里う馬(どきょうていりゅうま)。その里う馬の独演会出演交渉には、私が出かけた。ギャランティは5千円である。もちろん当人は「いちばん売れていない落語家の独演会」なんてこちらの目論見なんか知る由もない。私の前でそっくり返って「仮にもあたしの看板でやる会だ。前に一人使っていただきたい」ときたもんだ。冗談じゃない。そんな予算は・・・と言いたかったこちらの表情を察した里う馬は「いやいや、オタロのほうは心配なく、あたしの頂戴する分から・・・」と鷹揚な所を気取りながら、前に使いたい芸人に講釈師神田連山の名を上げた。なるほど上には上がいるものだ。いちばん売れていない芸人の、そのまた前座をつとめようというのだから、そんじょそこらにはいないはずで、土橋亭里う馬の、これはなかなかいい選択でありました。この神田連山を、小島正雄さんがいたく気に入ってしまったのである。「いいねえ。あの汚れっぷりはたまらないね。煮染めたような半襟に、羊羹色の羽織。どうでもいいけど羽織の紐を鐶(かん:金属の輪)でとめてる芸人て初めて見たよ。こんどは連山の独演会やろうよ」
連山自身が書いた「私の履歴書」に”戦後は金沢八景に住み、将棋指し兼幇間として少しの金を儲けたので飛んだアバズレ女に引っかかり尻の毛まで引き抜かれ、今改心して本格的な講談修行に精進いたす次第です”、とある。そのアバズレ女は、その後郵便配達人と駆け落ちしてしまった。このとき、連山「郵便配達ってのは足もはやいが、手もはええ」…
幇間家業のかたわら、講釈師としての旅回りなどしていたのだが、講釈師らしい芸名が必要だ。正式に誰かに入門したわけでもないから、芸名なんてあるわけがない。日本一の講釈師と言ったら神田伯山だ。いくら田舎回りといったって、神田伯山を名乗る訳にもいかないから、「小」字をつけて神田小伯山で商売していた。ところが、その時分、神田小伯山がほんとうにいたのである。いまの神田山陽である。間に入ってくれる人がいて、正式に小伯山に入門がかない、神田連山の名前を許された。連山は「ほんとうに小伯山ってひとがいるなんて、夢にも思わなかった」と言ってのけたらしい。
1952年、食べられないし、女には逃げられるで、生きる望みを失った連山は自殺を決意した。この世の別れと思うと腹がへるというのもおかしな話だが、なけなしの20円ナリを投じて、その頃合った米兵の残飯で作ったシチューを腹一杯食った。「なにしろ残飯ですからネ、掻きまわすと使用済みのルーデサックなんか入っている。いくら腹がへってても、こいつは食えない」腹の膨れたところで、前夜の雨で水嵩の増した六郷川に飛び込んだ。だが海軍育ちでラバウル生き残りの身、抜き手を切って颯爽と泳いじゃう。これでは死ねないと、今度は鉄道線路をまくらに大の字になって寝た。幸か不幸か、これが終列車の通った後。そにうちに保線区員に見つかって、事情を話すと、とにかく部屋に来いと連れていかれた。講釈師だったら、何かやってみろと言われて、そのとき読んだのが、「荒木又右衛門」。保線区員があきれたそうだ、「随分弱い又右衛門だ」
ヤクザのいかさま麻雀に引っかかってみぐるみをはがれてしまった連山、「おおそれながら」と警察に訴え出たのだが、賭博は両成敗。連山、その場で「御用」となってしまった。結局、罰金5千円ということで片が付いたが、「いかさま麻雀でむしり取られた上に、5千円とは殺生な。お上にだって慈悲というものがあるでしょう。月賦にしてください」以後50円ずつ裁判所に持って行ったら、1年で「キミ、もういいよ」と言われた。この事件の時、検事に言われたそうだ。「それほど博奕がやりたけりゃ、家で上さんとコイコイでもやってろ」検事に言われた通りにしたのだが、その上さんなるもののコイコイが、強いのなんのって。今度は上さんに、巻き上げられる。巻き上げられると小遣いが足りなくなる。やむを得ず上さんに借りる。すると上さん、月八分の利息天引きで連山に貸し付ける・・・この上さんだが、夫婦であって、夫婦でない。「謎の下宿人」なる不思議な関係だった。金沢文庫の市営住宅が当たったのだが、夫婦ものでないと入居できない。しかたがない、。市の役人が見回りに来た時だけ夫婦」という約束で、入籍もすませた。1万円の家賃は割り勘である。6年だか7年だかいっしょに住んでいて、戸籍上はまともな夫婦なのだ。「この助平な連山が、一度も夜這いに行ったことがない」と、おかしな啖呵を切ったものだ。
59歳で真打になってからも、何度となく波紋と復帰を繰り返したが、連山の最後の復帰に口をきいてくれたのが、キャバレー王と呼ばれた福富太郎。新橋のハリウッドの社長室で手打ちをするべく、師匠の山陽とふたりで待てど暮らせど肝心の連山が現れない。しかたがない、また後日ということになりかけたらば、従業員が「連山先生なら、もうとっくに来ていて、客席の飲んでますけど…」
桂文治:
正蔵宅の三軒先が文治の家だった。いつであったか、正蔵宅にお邪魔して長火鉢にかかった鉄瓶で沸かしたお湯で淹れた珈琲などご馳走になっているところへ、ぶらりと文治が現れたことがある。正蔵のお上さんが、だまってお茶を差し出すと、それを口にしながら置いてあった新聞を読み出した。新聞を読み終えて、煙草を一服したかどうか、「じゃあ」とか何とか一言漏らして、自分の家へ戻っていった。その間、正蔵も文治に話しかけるでなく、かといって全く無視してるわけでもなく、ただ二人の老人が長屋の一部屋に居合わせているだけの佇まいが、なんともさまになっていて、長屋暮らしの芸人同士の付き合いを垣間見せてもらった。
どこかのお座敷をつとめたのだが、出されたギャラが思っていたより少なかったのだそうだ。こうなったら少しでも元を取ってやろうと、出されたご馳走を残らず平らげた。あんまり食べ過ぎて、苦しくなって、上野の鈴本演芸場の楽屋で横になっていた。どうでもいいけど、あまり大看板のやることじゃアない。これももう故人になってしまった金原亭馬生がその様子を見かねて、前座に「タクシーをひろってあげなさい」と言ったのである。横になって、ウンウンうなっていた文治はが、がばっと起きて言ったものである。「冗談言っちゃいけません。地下鉄で帰ります」それならばせめて荷物を、と前座が地下鉄の駅まで荷物を持って行った。「はい、ありがとう」と、地下鉄の階段のところで銭座に小遣いを手渡したというのだが、「これがあの師匠らしいンです」と馬生が感心するのである。その小遣いのほうがタクシー代よりずっと高かったそうだ。
正蔵が、某テレビ局から送られてきた「タレント調査票」なるものに、本名、住所、芸歴、特技と書き進めて行くうちに、バスト・ウェスト・ヒップという欄があるのに腹を立ててビリビリとその調査票を破り捨ててから、「さて、文治のやつはどうしてるだろう」とのぞきに行くと、何と、文治は一所懸命返信用封筒に貼ってある切手を、鉄瓶の湯気ではがしている真っ最中だった。
古い付き合いがあるばかりか高額預金者とあって、文治が銀行に顔を出すと応接室に通されて、うな重が出る。このうな重を食べ終えて、テーブルに置かれてる接待用の煙草を全部吸ってしまうのがいつもの事なのだが、あるときこれが入れたばかりと見えて20本から入っていた。15本くらい吸ったところで気持ちが悪くなって、救急車で運ばれる。以来、銀行へ出かかるときには、お上さんが声をかけるそうだ。「ひっくり返るほどタバコ吸って来るんじゃないよ」ひっくり返るほどタバコ吸わない代わりに、弟子の文七に風呂敷持参でついてこさせて、煙草はもとより、宣伝用のマッチ、ティッシュペーパーなど山のように積んで包ませた。
脳血栓で倒れた文治、この病衣の常で昔のことはよく覚えているのに、つい5分前にあったことを覚えていない。恍惚の人である。医者が耳元に口を当ててたずねたそうだ。「10に10を足すといくつになる?」文治は力なく頭を横に振るばかり。もう一度尋ねた。「師匠、100円から40円引くと?」今度は元気に答やた。「60円ッ」亡くなる間際には、ほとんど酸素マスクをつけっぱなしだったのだが、一度そのマスクをはずしたとき大きく息をした。見舞いに来ていた落語家の誰かが言ったそうだ。「さすが師匠だ。タダの空気なら腹いっぱい吸い込む」
藤山寛美:
自分が手を付けた女優はすぐに抜擢した。だから翌月の配役発表があると、誰が座長に口説かれたか皆に知れた。抜擢しただけでなく、会社に掛け合って給料の方もぐんとアップさせるのだ。その代わり、頃合いを見て、「大分貯金できたやろう。少し回してや」とやるのである。
財布の中には1万円札しか入っていない。小銭入れなんてケチなものは持ったことがない。タクシーに乗って、たとえワンメーターしか出ていないときでも、1万円札を出して、「釣りは要らへんで」というのである。同乗していたひとがたしなめても、寛美は言った。「タクシーの運転手はんが、藤山寛美は気前がええと思って、今度嫁はん連れて新喜劇でも見たろって、芝居の切符買うてくれるかもしれん。こういうのを先行投資というんやおまへんか」
三遊亭円之助:
私は、彼の高座に一番欠けていたのは、洗練された色気であったと思っている。落語には気の遠くなるような訓練を重ねても、どうにも身につかない要素もあって、高座に漂う色気などもそうなのである。三遊亭円之助の落語は、面白くてうまかったけれど、残念ながら色っぽくなかった。色っぽくなかったが、こんなに仲間から愛された落語家と言うのもそういなかった。他人の足を引っ張って、どうにかしてやろうなんて気持ちが、これっぱかしもなかったし、えらくなろうという娑婆っ気のほうもなかったから、みんな安心してつきあった。酒さえ飲めればそれでよいといった、欲のない生活態度を、仲間は微笑まし気に見つめていた。
佐々木つとむ:
博奕代欲しさというわけでもあるまいが、ハードコア・ポルノ映画に出演したこともある。武智鉄二監督作品「花魁」である。いざ、本番のシーンの撮影で、佐々木つとむの演じた失敗譚が面白おかしく週刊誌などに報じられた。夫人に言われたそうだ。「恥ずかしくて、八百屋さんにお野菜買いに行けないじゃない」
家に電話をかけて、夫人がでると、18番の立川談志の声色で、「あァ、談志だけど、きょうは亭主借りる、ウン、仕事の打ち合わせしたいんだ・・・」とやるのだ。一通り聞いた夫人が「ハイ、ハイ、早く帰っておいで」と電話を切った。
片岡市蔵:
船上で揚げる天ぷらでちびちびやっていやのだが、天つゆに入れるおろしが足りない。市蔵が言ったものである。「おろし金ありませんか、大根はここにいます」
ホテルのエレベーターで、乗り合わせた外国人の子供に微笑みかけたのはいいが、むき出しにされた可愛いアンヨを「旨そうな足だ」
越路吹雪:
グッチの真っ赤な革のコートが気に入ったのだが、惜しいことにサイズが小さい。思案していると店員がにくいことを言った。「無理して着るのが、ほんとうのお洒落だ」ついその気になって買ってみたものの、とうとう一度も袖を通さなかった。
その当時の新派には、芸達者というより悪達者なベテランがたくさんいて、舞台の上で客演者にちょっとした意地悪をすることなど朝飯前だった。越路吹雪ばかりはこうした意地悪をされたことがない…とそう信じていたようだ。ここらが越路の越路たるところで、何とも嬉しくなるのだが、意地悪されていることに、当の本人が気づいていないのである。相手役がシガレットケースをぽんと投げ出すのがきっかけで越路のセリフになるのに、このシガレットケースを投げ出さない。意地悪されてることに気がつかない彼女は、岩谷時子をつかまえて、ぼやくのである、「あの人、いつもシガレットケース投げ出すのを忘れちゃうの」
梅田コマ劇場前の横断歩道に、歩行者用の新しい信号機が設置された。赤と青のランプの中に男の姿がシルエットになって浮かび上がる仕掛けである。その信号が青になったのに、歩き出そうとしない越路吹雪を、いっしょにいた坂本スミ子がせかすと、彼女平然と「だって、男の人しか渡っちゃいけないんでしょ」
死ぬ一週間前、煙草と睡眠薬を取り上げるのが仕事のように見舞っていた岩谷時子に、ふと、「いっぱい恋をしたし、おいしいものを食べたし、歌も歌ったし、もういいわ」と、漏らした。一週間後、56年の生涯を閉じた。その朝、ベッドのなかで、「法夫さん、ブラックコーヒーとミルク」と、つぶやいて夫の朝食を案じたのが、越路吹雪のこの世に残した最後の言葉だった。
閑話休題:
「ふじやまかんび」と入れても「藤山完備」としか変換しない。こういう大切な固有名詞は優先的に変換してほしいが…。AI様が決めてるのか?藤山寛美が手を付けた女優に、金をせびるのって、アメリカが妾の日本に金をたかるのと似てないか?
間に入ってくれる人、口をきいてくれる人・・・アメリカや韓国だったら裁判沙汰になるところを、日本には、こういう世話焼きがいた。結婚相手を紹介するおばさんとか・・・こういうウェットなところが、嫌だ、という感覚も分かる。一方でうまく世話焼かれるとこんなに気持ちの良くまた、有難いものはない。
佐々木つとむの上さん・・・理想の上さん
片岡市蔵の「他人の言うようなこと、常識的なこと」を言うことを嫌う見栄
越路吹雪の、店員に憎いこと言われたら無駄な買い物をしてしまう見栄。「私は意地悪なんてされない」と信じ込むいうのも見栄ではないか?そして死の床にあっても夫の世話を焼こうという女らしさ。信号機の絵で男女を分けるジェンダー満載な所・・・かわいい、としか言えないのだが、なんでそのような素直な感じ方が「ジェンダー」と揶揄されなくてはならないのか?
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