台(うてな)
昔、「ウテナ化粧品」という会社があった。
実は、今も同社は命脈を保っているが、俺の中では終わっていた。つまり、化粧品なんて俺には無縁だし、TVコマーシャルで見かけなくなってからは、存在しないも同然だった。
今日、なんかの本で、「台」を「うてな」と読むことを知った、新潮国語辞典で当たってみると、「屋根のない、見晴らしのきく高い建物」とある。別に萼という字を「うてな」と読むということを発見。「萼」の方は花の下についている「がく」のことだと。ここで急にウテナ化粧品のことが頭に浮かんできてさて、ウテナ化粧品はどっちの「うてな」だ?と興味が湧いてきて、「ウテナ化粧品」を検索。すると、ホームページにたどりついて、今だ健在であることが判明。”代表メッセージ”に、以下。
株式会社ウテナの歴史は、創業者である久保政吉が1912年に東京都本郷に開業した「天仁堂薬局」がそのはじまりです。薬だけの販売ではなく化粧品の開発に着手し、「よい環境ときれいな水こそが肌につける化粧品に必要なものである」という強い想いのもと、1927年に現在の本社がある世田谷区南烏山に工場を設立、創業致しました。
社名の「ウテナ」とは、花の萼(がく)という意味です。花びらの陰に隠れた目立たない存在ですが、自然と調和のとれた美しい花を咲かせるためには、萼(がく)はなくてはならない大切なものです。それはまさに花の萼(がく)をモチーフに「美しいものを支える土台になりたい」と言葉に表現した、創業の想いにつながります。ということで、「がく」の方だ、と判明した。
このホームページの「ウテナ変遷史」、誰がが作ったか知らないが、素晴らしい、
1918年の創業、
1923年、同社の社名となった「ウテナ液」の
ゴム会社勤務の友人から「ゴムを触っていると手の汚れが良く落ちる」と聞き、商品開発のヒントを得た久保政吉。白粉で白く見せていた時代に、肌そのものを白くするという斬新な美容液を提案。
という開発経緯の紹介、
戦前、水谷八重子その他スターを起用して宣伝広告したこと、
1957年の日本初の男性用化粧品「ウテナ男性クリーム」(高島忠夫夫妻のTVコマーシャルの動画付き!)
1965年の「ウテナお子さまクリーム」
1990年代のくせ毛直しの「プロカリテ」
2005年、岩倉具房氏が初めて久保一族以外から4代目社長になり、「ファブレス」にしたこと
2016年、中国に子会社を作ったこと、
2018年、5代目社長に交代し、2021年現社長の6代目、田頭基明氏に変わったこと、
2024年、「ウテナ モイスチャー 絶滅危惧化粧品」というキャッチコピーを使った自虐プロモーションをJR車内広告で行ったこと
などが、時々の広告素材とともに紹介されている。
最初は女性用化粧品から始まって、1960年代まで男性用、子供用化粧品、くせ毛直しとマーケティングを進めていき、1970年代以降の社運の衰退、(だからTVコマーシャルもやらなくなって俺の記憶からも消え去った)、新自由主義の流行に乗っかってファブレスにしてモノづくりをやめること、インバウンドの爆買いで調子に乗って中国に進出、最後は自虐・・・と日本の企業の勃興から衰退までの変遷を良く現わしてしている。(俺のいた会社とそっくりだ。多分、ファブレスにしたとき、社員をリストラし、大量に首にしたはず)
閑話休題:
「がく」と入れて漢字変換候補を眺めていると、「噩」という漢字があった。こりゃ、どういう意味でどういう来歴があるんだ?と調べると、驚愕の「愕」と同じだと・・・最近有名になった「𰻞𰻞麺」といい、この「噩」といい、中国人の素晴らしさ、執念といったものを感じる。俺には理解不能だ。その反動で、毛沢東は漢字を極端に簡略化してしまったのではないか?…これはこれで風情がなくなった。
岩倉具房氏は岩倉具視の子孫であるようだ。
5代目社長は3年で辞めている。理由が気になる。
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