住吉雅美「あぶない法哲学」

以下、引用。俺の大好きな極論、過激な空想満載。

(いや、空想でないところも多くて怖い)

 最近の大学生は真面目である。痛ましいほど真面目である。たとえば、未明から防災速報アラームが次々と鳴り、気象情報は大雨警報を発し、早朝からJRの一部区間が運転を取りやめ、さらにその区間が広がりそうな気配の中でも、「大学から休講の連絡がないから」と言って危険を冒して1時間目の授業出席のために登校するのである。「こんな大雨じゃ外出したらヤバイかも。帰れなくなるかもしれない。安全のために休もう」と自分で判断せず、ひたすら、「大学からの指示」の有無で行動するのである。理由は「もしかしたら講義があって、出席をとるかもしれないから」というものだ。出席と身の安全と、どっちが大事なのだろう。とはいえ、現代の大学生を、「自分で判断しない指示待ち」と批判するのは彼・彼女らに酷である。現代の大学生がこんなに悲しいほど真面目にならざるを得ないのは、大学なのに出席をとるようになったこと(小学生じゃああるまいし)そして(昔はなかった)半期15回講義のルールが出来て、大学が極力休講にしなくなったことなど、文部科学省による大学への縛りがきつくなったことによる。今から40年近く前、(略)学生は「こんな教授陣には頼れない」と危機感を覚え、「自分でどうすべきか」と真剣に考え、自力で必死に勉強した。それだからこそ、山中伸弥教授など、ノーベル賞を受賞するような優れた人々が現れたのである。

>>自分の頭で考えないように考えないようにする。文部省はもちろん、親も先生も上司もみんな優しく、手を取り足を取って”指導”してくれる…近い将来、文部省も親も先生も上司もいなくなり、AIが優しく教えてくれる…

健康診断やがん検診、禁煙運動をはじめて導入したのはナチスである。それは個人のためではなく、総統やお国のために労働力として使える人間を選び出して健康に保つためであった。健康帝国とは結局、企業や国家のために使える人間を育て維持するためのものだったのである、だから、ナチスは8時間睡眠や菜食を国民に奨励していた。しかし、そんな健康帝国も、その裏側では、アルコール依存者、同性愛者、精神障害者を迫害し、病などで労働力として役立たなくなった人間をさっさと安楽死させていた。人には不健康に生きる自由もある。

>>どこかに「健康経営」を標榜する会社があった。そんなに優しそうな顔しないでおためごかしをせず、「お前ら、働け~!」の方がいい。『今日も元気だ、煙草がうまい』。うまいものほど体に毒。

一卵性双生児として生まれたAとBは、身体が腰と尻のあたりで結合していた。Bの心臓が充分に発達していないため、そのまま成長すればAの心臓に二人分の負担がかかって二人とも死んでしまうことが確実だった。いま分離手術をすればBは死んでしまうがAは生きられる・・・

テロリストにハイジャックされた民間航空機が高層ビルに向かって突進してくる。高層ビルには無辜の何千人もの人々がおり、一方の航空機には何百人のこれまた無辜の乗客が乗っている。そのとき、あなたがもし政府高官ならどういう決断を下すだろうか?単に犠牲者の数に着目し、ビルの何千人を救うために航空機を即座に撃ち落として何百人に犠牲になって貰うことを決断するだろうか?もしハイジャックされた航空機が大統領が乗っている専用機だったら?

>>俺も昔から時々「4人しか乗れない救命ボートに5人。さて犠牲者一人をどうやって決めるか?」と空想・妄想することがある。(今だったら俺は、「もう十分生きたから」と犠牲者に名乗りを上げるかな、と思う)無理と分かっていても5人で乗ってボートが沈んだらバラバラになるっていうのもありか?9.11の時、アメリカ副大統領は、ハイジャックされた航空機を打ち落とせ、という命令を出したが、時すでに遅かった、という都市伝説も。

今日本では売血は禁止されている。健康な血液を持った者が、自分の意思で血液を売ることのどこがいけないことなのか?今日、日本では献血者が激減している。街中で、「献血にご協力お願いします」とのアピールをよく耳にするが、「無償のご協力」ではなくて「あなたの健康な血を買います」と言った方が、必ず輸血血液の量が増えるに違いない。皮肉にも、売血を禁じている日本は、売血制度がある外国から大量に輸入している。

>>日本人の暴漢に襲われ、怪我したライシャワー駐日大使に日本人の血液を輸血して肝炎に感染させてしまった、というのがきっかけ・トラウマになっている。輸血を受けたライシャワーが「これで私の体に日本人の血が流れるようになった」と憎いことを言い、感染しても一切クレームめいたことを言わなかったのが素晴らしい美談として残っている。逆にそのことがますますトラウマを大きくしたか?もうそろそろ損得計算に基づいて血の売買を再開したらどうか?

民主主義では一人一票という究極の平等があって、これは文句なく正しいと思われているようだ。しかし人の様々な属性を考慮するなら、国家や団体の意思決定について、人それぞれの貢献度や知識の高さなどに基づく決定権の分配をしても平等だということもできる。そもそも株主総会では株式を多く持っている人ほど議決権が大きいのが当選視されている。だから税金を多く収めている人ほどそれに応じた複数の票を持つという制度も十分あり得る。

>>株式会社は民主主義ではないから、この議論は成り立たないと思う。経営者は選挙で選ばれないで密室で少人数が選ぶ。この話で思い出すのは、確か北一輝だと思うが、日露戦争の英雄、東郷元帥の一票もそこらのダメ男の一票も同じ一票だ、と嘆いたこと。

古代ギリシアの喜劇作家アリストファネスの「女の議会」に、若い美男が若い美女とばかり結ばれて年寄の不美人と結ばれないのは不平等だとして「これからは若い美男は老婆とつきあうべきだ」という法律ができた、という話がある。

生まれつき盲目の人、あるいはもともと見えていたけれど何らかの病や事故で盲目になった人は、大多数の人々にとってはあって当たり前の機能が使えず不便である。ところが最近、医療技術の発達で、眼球の移植手術で目が見えるようになった。健康な眼球が一つでもあれば見えるようになるのだ。ならば、社会の全員で能力を分かち合ってはどうか?二つの眼球で見ていた人から一つの眼球をくりぬいて盲目の人に移植するというアイデアはどうだろうか?生まれてから何も見ることのできなかった人びとに、ものを見る能力が与えられるとはなんて素晴らしいことだろう!社会のみんなで見える能力を分かち合おう!

他人より利口な者、他人より見栄えのよいもの、他人より力の強い者、すばしこい者もいない。つねに政府機関下のエージェントがそういう者が現れないよう監視している。政府は、知能が傑出している者には耳に雑音を流すラジオを装着させ、思考できないようにした。美しい顔の者には、仮面をつけさせた。身体能力が優れた者には鉛が詰まった袋など重石を背負わせ動作を鈍くさせた。政府は優れた者にこのようなハンデを付けさせその能力を標準並みに下げ、かくて生まれや能力と言った点で差異のない完全平等社会にしたわけである。

>>以上は空想・妄想だ。しかし、頭を刺激してくれる。「平等って何?」平等嫌いの俺はこの手の話が大好き。平等なんてややこしいことを言い出して人生も社会もややこしくなった。平等にしようという無意味・無駄な努力によって得られるものより、失うもの、害悪の方が大きい。裏返せば、やりたい放題ドーピングした者を集めて世界記録を出す大会なんてのも好き。それも自由で平等だ。

最高裁は、他人の血を自分の体内に入れてはならないという教えを信じる人が輸血拒否することは「信念に基づいて生命を賭しても守るべき価値を認め、その信念に従って行動することは、それが他者の権利や公共の利益ないし秩序を侵害しない限り、違法となるものではない」と、「死に至るまでの生きざまを自ら決定する権利」を認めた。それなら、患者自身が熟慮したうえでの安楽死や尊厳死も認められて良さそうなものだ。輸血拒否は直接死に結び付くわけではないが、安楽死や尊厳死は殺人だ、ということか?

20代の芸術家の男性は「芸術家に性別は関係ない」と、自らの性器を切除する手術を受け、性器は清潔に保存された。ところが予想以上に手術代がかさんだため、彼は資金を回収する意味も込めてイベント開催を企画した。それは自分の性器を調理して希望する客に食べてもらうというイベントであった。客はインターネットを通じて集められ、中でも入場料にプラス2万円を支払う5人の特別客が、調理された性器を食べる権利を得た。70人ほどの客が見守る中、舞台上にガス代がセットされ、プロの調理人が性器をワインのソースにつけ、焼いて特別客に提供した。実際に食べた客からは、別に健康被害は出なかった。芸術家も、調理人も、食べる人もそれを見る人もみんな自由意思でやっており、誰も損してないし被害もない。刑法的には「わいせつ物頒布・陳列」が疑われたが、切り分けら調理された状態で提供されているし、ネットで募った希望者だけに見せているのであって見たくない人に見せているわけでもない…

>>輸血拒否、性器調理は実話らしい。命を賭けて死ぬかもしれないことをやる自由。切り取った性器を食わせる自由。性器でなくとも、肉体の一部を切り取って食わせるなんて、芸術っぽい。ただし、俺は人間の体の一部を食うなんて気持ち悪くてできそうにない…しかし、それならどうして牛や豚や鶏や…の肉や内臓は「うまいうまい」、と食うのか??…とここで考えるのをあきらめる。ベジェタリアンのように肉食を拒否する考え方もある。結論は出ない。出なくてよい。頭の体操だ。アメリカ人に「なぜ日本人は鯨を食うのか」と言われ、「何故アメリカ人は牛を食うのだ?」と言い返したことを思い出す。

そう言えば、何十年か前に女子高生が「誰に迷惑かけるわけでもないのに売春して何が悪い?」とほざいていたがどう答えればいいのか?自ら売春をする女子高生は法的には無罪だろう。さて道徳的にはどうか?自由意思で売春するなら問題ないだろう。それでは自分の娘がそう言ったらどう返答するか?やめて欲しい、とお願いするくらいが精一杯だろう。強いて言えば、楽にカネを稼ぐのはいかん、か・・・


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