年10,800円で文春を読むことにした
文藝春秋PLUSをネットで定期購読する契約をすると、記事はもちろん、動画も見ることができる。”「あの男」が去ったあとに――2025年春、広島県安芸高田市ルポ”という記事を読みたいのと、三浦瑠璃さんの昨年の都知事選中の小池・蓮舫・石丸他の候補者について語った動画が見られる、それから塩野七生さんの連載が久しぶりに読めるというので大枚10,800円を支払った。
以下の記事は読んで気持ちが悪くなる。何が気持ち悪いって、書いてあることも気持ち悪いし、「あの男」をどう評価していいのか、ますます分からなくなるからだ。
「あの男」が去ったあとに――2025年春、広島県安芸高田市ルポ
2024年東京都知事選で165万票を獲得し一躍全国区となった石丸伸二氏。広島県安芸高田市で市長をつとめた当時は、SNSを駆使した手法で注目を集めた。しかし、議会との激しい対立の末、居眠りを糾弾された議員とその妻が相次いで亡くなる出来事も起きた。
任期途中で辞職した「あの男」は、人口2万6000人の小さな街に何を残したのか――。ノンフィクション作家の神山典士氏が、現地をレポートする。
安芸高田市に何が残ったのか?
2024年の東京都知事選挙で、あの男は蓮舫に大きく差をつけて約165万票を獲得した。首都東京では全く無名の新人ながら、当選した小池百合子に次いで2位。その知名度は全国区となった。
そして、現在行われている東京都議会選挙では、地域政党「再生の道」を立ち上げ、42人の候補者を擁立した。同党の候補者公募には全国から1128人が応募し、3次選考の最終面接をYouTubeで公開。50本の動画で再生数は585万8000回を記録した。平均再生数が11万7000回となり、本人は、「快挙と言っていい。政治を扱ってこれだけ再生数がでることはかつてなかった」と誇らしげに語った。
あの男――石丸伸二(42)。その政治活動は、2020年8月から2024年6月まで広島県安芸高田市で市長を務めたことに始まる。そのスタイルは現在と同様、YouTubeやTwitter(現X)を徹底して利用する「SNS政治」である。
市議会の様子をYouTubeにアップし、特定の議員を「悪役」としてやり玉に挙げ、自らは「ヒーロー」を演じる。すると、視聴者たちが最もセンセーショナルな場面を切り抜いては次々と投稿し、動画が拡散していく。
YouTubeの安芸高田市公式チャンネルは、最盛期で登録者数26万7000人を突破した。人口2万6000人足らずの小さな街が、東京都や神戸市を抜いて全国1位となり、ネット上の話題をさらったのだ(2025年6月現在の登録者は18万4000人)。
数字だけ見ると、安芸高田市は2004年に6つの町が合併して誕生した小さな自治体で、若手政治家が市政刷新を成し遂げたかのように見える。しかし本来、政治家の評価が決まるのは、「その人が去った後に何を残したか?」だ。
佐藤栄作の後には沖縄返還という事実が残り、田中角栄去りし後には全国をカバーする新幹線網と高速道路網が残った。中曽根康弘の後には国鉄が民営化されてJR7社が残り、小泉純一郎の後には拉致被害者の3家族が帰国という成果が残った。
さて、あの男が1期4年(実際には任期満了前に辞職)で去った後の安芸高田市には何が残ったのか。政治家としての「レガシー」だけでなく、2万6000人足らずの市民の心に何を残したのか。それを知りたい一心で、私は車を広島市から北に向けて走らせた。
今度こそ市政を刷新しなければ
本題に入る前に、あの男がなぜ安芸高田市の市長に当選できたのか、その経緯を振り返っておこう。
2020年8月に行われた安芸高田市の市長選挙で、市民は旧態依然とした政治に辟易していた。余りにも同じパターンで世の中から市が袋叩きにあうことに呆れた、という市民もいる。合併後初の市長として1期務めた児玉更太郎、続いて3期12年務めた浜田一義の後、2020年4月の選挙で当選した児玉浩は、河井克行元法務大臣の買収事件をめぐって、在職数ヶ月で辞職に追い込まれた。河井から計60万円を受け取っていたからだ。
――次の市長選では誰が出るのか。今度こそ市政を刷新しなければ。
2015年から3年間、安芸高田市の地域おこし協力隊員を務め、そのままこの町に定住した南澤克彦(当時44、2020年11月から市議)は、同世代の仲間たちと話し合った。
「俺たちで誰か若手の候補をかつがんといけんのじゃないか?」
そんな中で、副市長だった竹本峰昭が立候補を表明した。当時66歳の市政のベテラン。若くはないが、安定感はある。混乱した市政を治められる人材かもしれない。市民の中にはそんな期待もあった。
すると、7月19日に市議の熊高昌三(当時67)が一人の青年を連れて、南澤の家を訪ねてきた。それがあの男だった。熊高はこう言った。
「今度の市長選挙に立候補するそうだから、若い仲間で支えてくれないか?」
あの男の母親と熊高は、旧高宮町の中学校で同級生。父が町議をしていた熊高と親しかった。
「息子が立候補しますので、よろしくお願いします」
地元で母親は息子を連れて、知り合いの議員たちに挨拶してまわった。京都大学卒のメガバンク行員で、ニューヨーク勤務経験あり。独身。ふるさとの窮状を見かねて、銀行に辞表を出して立候補するという。選挙告示まで残り2週間しかなかった。
結果、支持した市議はわずか数人。あとの議員はすべて副市長の竹本を支持した。あの男を南澤に紹介した熊高でさえ、「わしは伸二くんを応援できん。旧知の副市長を支持する」と語っていたほどだ。
市長選への立候補を宣言した記者会見で、あの男は実に爽やかにこう語った。
「全国の私のような30代若手のみなさん、みなさんの地元が困っていると思います。そろそろぼくたち世代の頑張りどころだと思います。もちろんうまくいく保証はありません。僕自身も不安で仕方がない。ただ、やらないことには何も始まりません。ぜひ一緒に勇気をだして挑戦してみましょう。
そして安芸高田市のみなさん、今回はからずもこの町は全国で(河井元法相の問題で)有名になってしまいました。ただここで起きた問題は日本全国で共通する問題だと思っています。われわれが変われば広島が変わり日本が変わりうると思います。ぜひ一緒に、ここから安芸高田市から新しい政治を始めていきましょう」
蓋を開けてみれば、政治刷新を期待した市民の圧倒的な支持を受けて、あの男が8076票で当選した。竹本は5344票だった。その経緯をつぶさに見ていた南澤は思った。
「市民は政治の変化を望んでいる。自分もいまのままではダメだと思う。市政の変化のためには議会も変えないと」
南澤は同年11月の市議選に立候補し、見事トップ当選を果たす。あの男が振りまいた「若さとさわやかなイメージ」に共鳴する者からの期待票だった。その印象が強いこともあり、南澤はあの男のシンパだと市民から認識されている。
居眠り糾弾と「恫喝発言」問題
その一方で、新しい市長と議会がすでに対立しつつあった。最初の狼煙が上がったのは、9月25日に行われた定例議会だった。あの男は市民も議員も全く予期しない手法で、議会の「弛み」を訴えた。同日、Twitterにこう投稿したのだ。
〈本日午前、議会の一般質問が行われている中、いびきをかいて、ゆうに30分居眠りをする議員が1名〉
この投稿は、市民の間でさっそく話題になった。実際に居眠りしていた武岡隆文市議は、後に「睡眠時無呼吸症候群で軽い脳梗塞になっていた」と診断書を提出したが、あの男は取り合わなかった。投稿を問題視した市議会側が、市長と協議するために全員協議会を9月30日に開催したところ、またしても、あの男は牙を剝いた。翌日、Twitterに次のように投稿したのだ。
〈数名から、議会に批判をするな、選挙前に騒ぐな、事情を補足してやれ、敵に回すなら政策に反対するぞ、と説得?恫喝?あり〉
それまで議員たちは政治活動にTwitterを使ったことさえない。Twitterの投稿で自分たちの言葉が拡散され、瞬時に全国に広まるなどとは想像だにしなかった。
だが、この投稿を知った一部の市民は快哉を叫んだ。
「やはり議会はけしからん! たるんどる! 若い市長はなかなかやりよる!」
ネット世論が沸騰し、恫喝をした議員は誰なのかと犯人探しも始まった。すると、あの男は10月20日、「恫喝したのは山根(温子)議員(当時64)」だと名指しした。山根は当初から一貫して「恫喝発言」はしていないと否定したが、騒動は収まらなかった。居眠りをした武岡だけでなく、議会全体が市民からの批判を受け、矢面に立たされることになった。市民は市政の「変化」を求めたのだ。
ただ、その一方であの男の言動に違和感を抱く市民もいた。「市政刷新ネットワーク」を立ち上げた田丸孝二もそんな一人だった。もとは旧甲田町の役場職員。安芸高田市が6町合併で誕生するときの合併協議会事務局長であり、安芸高田市になってからは企画財政部長、総務部長などを歴任したベテラン行政マンだ。
田丸は山根の「恫喝発言」があったとされる9月30日の話し合いについて調べてみた。実は、山根も武岡も市長選のときにはあの男を支持していた経緯がある。何かおかしい。話し合いの場で、録音していたのは武岡だった(最初の5分間は録音されていない)。「恫喝発言」問題がエスカレートしていく中、武岡は自身で録音を公開するのを躊躇って、山根に託した。
田丸は山根が公開した問題の録音を聞いて、話し合いの内容を検証した。
「するとその日の話し合いは実に穏やかに行われていました。市長は『録音されていない最初の5分間で恫喝があった』と主張していますが、とてもそんなことがあったとは考えられない。むしろTwitterで『夜道には気をつけろ』と言われたなどと書く市長の方が問題を煽っている。のちにこの部分は『比喩』だったと釈明しますが、この投稿がワイドショーなどで使われたのですから、火に油を注いだのは間違いありません。『これが地方政治の現実だ』などとしたり顔で言いながら、SNSでの“炎上”を狙っていたのです」
田丸が言うとおり、10月3日にあの男はTwitterに次のように投稿していた。
〈(9月30日に)「謝れ」といって呼び出されたわけですが、「その姿勢はこれからも変わりません」と伝えて退席した。「夜道には気をつけろよ」を気遣いとして受け止めるお人好しはいない〉
この「夜道には気をつけろよ」をワイドショーが取り上げて、「安芸高田市の議員は体育館の裏に連れ込んで恫喝する不良と同類」と論評したことで、「とんでもない議会だ」と全国的な話題になった。と同時に、この脅迫をしたのは誰なのか、SNSでは犯人探しも始まっていた。
すると、ひと月ほどした10月31日、あの男は騒動など素知らぬふうに、Twitterにこう投稿したのだ。
〈「議会に批判をするな、選挙前に騒ぐな、事情を補足してやれ、敵に回すなら政策に反対するぞ」という発言は私が9月30日に呼び出されて聞きました。
一方「夜道には気をつけろよ」は、10月3日に私がつかった比喩です。実際そのようにツイートしています〉
ワイドショーで取り上げられた時点で、マスコミに「それは比喩でした」と発信して訂正するべきだったのに、放置していたわけだ。
実際のところ、恫喝発言はなかったとして山根があの男と安芸高田市を訴えた裁判では、山根の訴えが認められ、国家賠償法により市に賠償を命じる判決が今年4月に確定している。
「(9月30日の)本件意見交換会冒頭の5分間に一審原告(山根温子氏、以下同じ)が本件発言(「議会を敵に回すと政策が通らなくなりますよ」)をしたと推認することはできず、上記録音中に一審原告により本件発言が存在しない以上、一審原告による同発言はされなかったものと認めるのが相当である」(広島高裁判決)
恫喝発言がなかったと判決で認定されたにもかかわらず、あの男はこう詭弁を弄する。
「私が訴えたかったのはそういう(焦点となった発言のような)状態が地方議会にあるということ。まさにその言葉どおりだったと自信をもって言える。機嫌さえ取れば政策を通す人たちなんだということが浮き彫りになった」
「市報」を私物化して特定の議員を攻撃
安芸高田市が発行する「市報」にも変化があった。それまでは市役所からのお知らせやニュースが載っていた。そこに突然、2022年9月号で、市民モニター79人が16人の市議を評価する「アンケート結果」が掲載されたのだ。
「市民の声を幅広く聴いていると思いますか?」
(はいと回答した人数)南澤克彦 35人、武岡隆文 8人、山根温子 12人……。
安芸高田市の人口は2万6000人だが、回答者はわずかに79人しかいない。当然、市議会ではアンケート結果の信頼性を疑う声があがった。さらに、市報の誌面は市長の主張の場になっていた。
「新田(和明)議員は一般質問の通告文と実際の質問において、農林水産省のホームページに記載してある文章を丸ごと抜き出し、あたかも自分の考えであるかのように述べられました。しかし、こうした盗用行為は『剽窃(ひょうせつ)」と呼ばれ、権利の侵害として広く戒められています。特に言葉を用いる職業においては、著しく信用を損なう行いです」
この件について石丸シンパとされる南澤も、こう苦言を呈する。
「本来の市報は、市民に対して行政情報を提供するものです。あの記事は市長が直接書いていましたが、政治活動をされるなら自分のメディアに書くのが適当です」
関係者によれば、新田が農林水産省のホームページから引用したのは100文字程度。質問の前提として使っただけだった。
四方八方からカメラに狙われる
市長と議会の対立が混迷を深める中、2022年を迎える頃には、安芸高田市は異常な事態に陥っていた。市議会の傍聴席には無数のカメラが待ち構えている。市庁舎の廊下にもYouTuberがウロウロしている。議員同士が立ち話をしようものなら、無数のカメラが狙ってくる。それを切り抜きされるから、自分の発言のどこが使われるかわからない。その結果、議員同士でも話をしなくなる。
街では「市議会のYouTubeをみながら飲む酒が美味い」と公言する人もいた。市外の人も16人の市議全員の名前を知っている。市議が市外の会合にでようものなら、その前には名刺交換を求める人が列をなす。
市役所内でも異変があった。市長の言動に「意義や疑問」を唱える職員は、遠方の支社に飛ばされる。職員たちはこれを「遠島の刑」と囁きあった。実際に定年間近の総務部長が閑職に飛ばされてその後退職したり、若手職員の中にも辞めていく者も居た。
その結果、市役所職員や市議たちは、市民の「耳」を恐れて市内で飲むのは避け、1時間半ほどかけて広島市まで出かけるようになった。
市議としてそんな事態を実際に経験した南澤はこう振り返る。
「一般的に日本人は政治に関心が薄い。皆で出し合ったお金の使い方やこの社会のルールを、皆の意志を持ち寄って決めるのが民主主義のはずなのに、現状はそのシステムが機能していません。だからまずは市民の関心を市政に向けること。それを政治再建と称し、公約の一丁目一番地に掲げ、あらゆる手段を使って実行したのが石丸さんです。結果的には市をはるかに超え、全国から耳目を集めることになりました。過度な注目もあったし、とった手段の全てが良かったとは思わないけれど、人々の関心を政治に向けたことは凄いな、真似できないとは思っています」
そうした中、痛ましい出来事が起きた。
2024年1月、「議会中の居眠り」を指弾され続けた武岡が病の末に逝去した。あの男が投稿してからというもの、武岡の自宅には抗議する手紙、電話、メールが殺到し、頼んでいない物品の配送なども相次いだ。2022年6月の市議会で、あの男が「恥を知れ! 恥を!」と追い打ちをかけ、武岡への嫌がらせはエスカレートした。武岡は市議を続けていたものの、心身ともに疲れ切っていた。2023年末に救急車で運ばれた後、入退院を繰り返すようになった。そして、2024年の1月30日に亡くなった。享年68だった。
葬儀の日、あの男は広島市で行われたサンフレッチェ広島の行事に出席していた。市役所に戻ってくると、集まっていた記者団に何げない風を装ってこう言った。
「あれ? みなさん、今日は何かあったのですか?」
さすがに記者たちも呆気に取られて、何も質問せずに引き上げたという。
「私は武岡議員の通夜と葬儀にでましたが、市長は来なかった。ご遺族の心痛に触れ、たとえ目的は良くてもやり方は苛烈で度が過ぎていると感じ、やり方を改めなければ支持することはできないと思いました」(南澤)
果たして、南澤の言う通り「目的」は良かったと言えるのだろうか。今年1月下旬には武岡の妻が自殺した。それを知ってか知らずか、あの男は3月2日に配信された教育関連のYouTubeチャンネル「トマホークTomahawk」で、武岡の居眠り騒動について、こう振り返っている。
「これを許してはいけないから、どう始末してやろうかと思い、うまく使うことにした」
南澤にあの男を紹介した熊高は、こう振り返る。
「武岡議員の葬儀には、私も行かんほうがいいと思っていました。心の中でご冥福を祈ればいい。『今日はなにかありましたか?』と記者に言ったというのも、彼らしい言い方です。感情的な対立を修復するのは難しい。それをやらないのが彼らしいと思います」
新市長を助けるために市議になってはみたものの
山本数博は、あの男が市長に就任してすぐの2020年11月の市議選に71才で初挑戦し、南澤に次ぐ2位で当選を果たした。60歳まで市役所に勤めていた山本は、税務課長や市民部長などを歴任。出馬動機は、「新市長は行政経験がないから助けてやらにゃいかん。アドバイスせにゃいかん」というものだった。
当選した直後の頃を山本はこう振り返る。
「初めは市長とも話していたんです。武岡議員の居眠り問題にしても、病気とはいえ申し訳ないと謝らにゃいけん。山根議員の恫喝問題にしても、足を踏まれた方が痛いんだから、謝らにゃいかんと市長の側に心情的についていました」
しかし、しばらくして居眠りと恫喝を長く引っ張るのは、市政にはマイナスと考え始めた。2021年3月には、市長を諌める意味で「新しい町づくりに協力するからもうこの問題(居眠りと恫喝問題)は収めろ」とふたりで4時間話し合ったこともあった。
山本の認識が変わったのは、同年1月に起きた副市長の公募がきっかけだった。市長は2人目の副市長の公募をエン・ジャパンというIT系企業に依頼した。募集要項を開示したのはインターネットのみ。市報での情報開示は、応募受付締め切り後の2021年3月号だった。
応募受付期間中に、2人の市民が副市長に応募しようと市役所の総務部を訪ねた。すると、市職員の対応はそっけなく、横柄なものだった。「応募はネット経由のみです。ここでは受け付けられません」。
その後、市民2人が山本の事務所に抗議に来たことで、山本の怒りに火がついた。
「副市長募集は市民全員に周知せにゃいけんのに、ネットを使えるものしか情報がつたわっておらん。市民無視の姿勢じゃ」
山本は米村公男副市長と総務部長に「これじゃいけんと市長に言うとけ」と伝言した。ところが2人とも市長にこのことを伝えなかった。すでに部下から市長には進言できない雰囲気になっていたのだ。
その後、議会が副市長の選任決議を否決すると、あの男の怒りは頂点に達した。
「反対者は3月末日までに市長室に来て反対理由を述べてください」
そんな通知が議員に回ってきたが、誰も市長室にはいかなかった。
すると市長は、3月に開かれる定例議会に「出ない」と言い出した。「市長が出ないのはまずい。せめて初日だけでも出席してください」と、副市長と総務部長が必死に説得した。初日の議会には引きずるようにして登壇させたが、あの男の子どもじみた態度に山本の心はキレてしまった。
「これ以上この市長を応援するのは無理じゃ」
そこからは一線を引く関係になった。しばらくした2023年8月21日の深夜1時頃、山本の自宅に電話がかかってきた。あまりに遅かったのでこれには出なかったが、翌朝5時半に電話が鳴り、9時半にもかかってきた。しかたなく電話に出ると、
「山本議員か? トンチンカンな質問をしやがって」
名乗りもしない相手は一方的に怒っている。山本は、安芸高田市民からの電話だと思い、「貴重なご意見ありがとうございました」と礼を言って電話を切った。
1時間後にもまた電話が鳴った。
「あんたに議員の資格はない」
「どうもすみません」
その後3本目の電話がかかってきた時に、さすがの山本も気がついた。YouTubeで議会での山本の答弁が切り抜き投稿され、「答弁が下手な議員」と揶揄されていたからだ。
「なんでこんなことになるのか? YouTubeを見たやつが遊び半分でかけてくるんだ」
日に日にこうしたクレーム電話は増えて行き、多い日は10本以上もかかってくるようになった。
山本が振り返る。
「TwitterとかYouTubeとか、まるで使い方がわからんうちに騒ぎになった。武岡議員の居眠り問題の頃には、電話で『お前死ね』と言うものもあった。議会で議長に『Twitterの利用をやめさせてくれ』と申し出たが、他の議員の中には『このままでええ』と言うものもいて、意見がまとまらんかった」
9月になる頃には、やっと山本も腹をくくるようになった。電話が鳴って相手がクレームを言い始めると、
「あんたはどこの町の人じゃ。他の町の人に言われる筋合いはない。切るぞ」
迷惑電話をかけてくるのは市外の人間が多いことに、やっと山本は気づいたのだ。
山本は後になって、知人からYouTubeの仕組みを聞いて合点がいった。
「YouTubeの切り貼り動画配信は再生数が増えれば増えるほど広告収入が増える。つまり市長の動画を使っているYouTuberは安芸高田市の市政に興味があるのではなく、お金がほしいだけなんだ。わしらが晒し者になるたびに、利益を得るものもおるんか!」
2期目に出ないと知って
2024年5月10日、あの男は会見で次の市長選に出馬しないと表明した。そして5月17日、7月の都知事選に出馬すると正式に宣言した。次の市長選にあの男が出ないと知ったとき、市長のファンは「がっかりした」と落胆したが、アンチ派の市民は、「暗黒の時代だった。やっと終わってくれた」と安堵した。一方、165万人の都民があの男に1票を投じた。
多数派である中立派からは、「4年間の市政のジャッジを受けるためにも出馬すべきやった。通っても通らんでも政治家なら出るべき。それもせんとは……」と批判的な声が聞かれた。「不出馬」の報を聞いたときから、最初の市長選で旗を振って応援の先頭に立った自転車店オーナーは、あの男の名前を二度と口にしなくなった。市民の中には、「あの4年間はなかったもの」、「あの男が残したのは地域の人達の分断と、そのシコリだけ」という声もある。
だが、現在も市議を務める南澤は、「私はそう捉えていない」と断言する。
「石丸さんは当選直後から、一度も次の市長選への出馬を明言しませんでした。2期目の市長選に出ないと分かった時は、やはりそうか……と感じました。市長だった時から、ずっとここに留まる人ではないだろうとは思っていました」
そう振り返ってから、吹っ切るようにこう語った。
「むしろ彼がいなくなった後が大事。4年間で起こったことは事実で変えようがない。いろいろあったがネガティブに考えるのではなく、ポジティブに考えたい。私たちはこの町の未来を考えないといけない立場だから。光も影もあったけれど、あの4年間があったから今があるよねとなるようにしていきたいですね」
あの男の母親に頼まれて、南澤らに紹介した熊高は、今でもこう語る。
「私は塩野七生が描く古代ローマの物語が好きなんですよ。その中で塩野さんはカエサルだけがリーダーとして100点満点。知力、体力、持久力の3つを兼ね備えていると書いています。私は前市長も同じ資質を持っていると思います。この3つを兼ね備えている政治家はなかなかいない。前市長は物事を学ぶ早さも素晴らしい。日本を変える力があるし、世界に影響力を持てる人だと思います」
政治家としての資質を絶賛するのだが、では、人間的にはどうなのかと尋ねると、苦笑しながら次のように語った。
「彼は一緒にいたら、その人が疲れるタイプだと思います。人に合わせられないだろうし、人と合うタイプじゃない。人との関わりがドライです。何かに対して『できる、できない』『好き、嫌い』の感情しか持たないんじゃないかなぁ。
ある人が彼とのツーショットの写真を持ってきて、『これにサインしてほしいので、石丸のお母さんに頼んでくれないか』と言ってきたことがあります。お母さんに託したんですが、結局『伸二はサインせんかったんですよ』といって返ってきた。一人にサインしたら全員にサインしないといけなくなる。それはできないということだったと思います」
恫喝されたと虚偽の主張をして恥じないものが、果たして「再生の道」へと都民を導けるのだろうか。
(文中敬称略)
[編集部より] 「再生の道」の石丸伸二代表に、武岡市議の葬儀当日の発言や、その妻の死、「どう始末してやろうか」という発言の真意などについて質問状を 送りましたが、締め切りまでに回答がありませんでした。回答が届きしだい掲載いたします。
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