参院を「憲法の守護者」に 憲法学者が提案する暴走抑止のための制度

朝日に以下:

書いた人:田中祥貴さん たなか・よしたか 1970年生まれ。桃山学院大学教授。


 私は参院に「憲法の守護者」の役割を持たせる改革を提唱しています。

 10年前の安保法制の成立過程への疑念が出発点でした。それまで一貫して違憲とされてきた集団的自衛権が、政権が代わると融通無碍(むげ)な憲法解釈の変更によって合憲とされました。与党にも見識ある議員は少なくないのに、党議拘束のせいで埋没して、審議には反映されません。こんな政治が許されるなら、立憲主義が損なわれてしまう。憲法保障のあり方に強い疑問を感じました。

憲法を守る存在として日本でまず思い浮かぶのは裁判所ですが、裁判所は具体的な事件なしに抽象的な違憲審査を実施できません。抽象的な違憲審査を行う機関としては内閣法制局がありますが、あくまで内閣から独立した存在ではなく補助機関に過ぎませんので、十分な統制は期待できません。

 これらを補完する役割は、権力分立の原理から、国会が担うべきでしょう。議院内閣制の下では衆院は内閣と一体の存在ですから、参院に期待せざるをえません。それは「良識の府」にふさわしい役割でもあるはずです。

 国会の二院制は本来、両院の間で抑制と均衡を働かせ、多数派の暴走を抑えるための制度です。連合国軍総司令部(GHQ)が一院制への改編を考えていたのに対し、憲法問題調査委員会(松本委員会)が「抑制と均衡」を理由の一つに挙げて二院制を主張した経緯があります。軍部が暴走し民意を操作・過熱させ戦争をした歴史を持つ私たちにとって、抑制と均衡を保障する仕組みは不可欠だと思います。

 しかし現実は、想定通りに機能しているでしょうか。衆参両院の選挙制度や議員構成は近似し、権限もほとんど違いが見えません。まるで同じ院が二つあるかのようで、参院不要論が起きてもおかしくありません。参院は衆院とは違う民意、すなわち国民の理性や知性を反映することで、抑制と均衡を実現するべきだと考えます。

 具体的には、参院に法律の違憲審査を担う「憲法委員会」や、政令や省令などの違憲審査をする「委任立法委員会」を創設し、行政府の委任立法についても議会拒否権を授権することを提案しています。 国会の二院制は本来、両院の間で抑制と均衡を働かせ、多数派の暴走を抑えるための制度です。があれば、これまで及ばなかった安全保障や外交の領域にも、憲法の統制を及ぼす余地が生まれます。

 憲法の定める公選制を維持しつつ党派性を抑制するため、憲法委員会などの委員は院内の推薦機関が推薦リストを作り、それを基に国民が選挙で選ぶ仕組みが考えられます。推薦の際は日本学術会議や日本弁護士連合会のような団体から人材を確保してもいい。人選が恣意(しい)的にならないように、推薦機関は独立した第三者機関または与野党・無所属代表の合議制にするというのが私の考えです。選考の基準と過程の公開や第三者評価も必要かもしれません。

 もちろんこれは理想像であり、簡単には実現できません。でも現実を理念に近づける不断の努力こそが立憲主義の生命線だと信じます。

 実際、英国の上院(貴族院)には憲法委員会があります。法律家など多彩な分野の専門家の占める割合が高く、選任委員会が政党やクロスベンチ(無所属・少数政党)の代表と協議していずれの党派も過半数を占めないよう調整しています。戦前の日本の貴族院にも、天皇機関説事件で軍部と対峙(たいじ)した憲法学者の美濃部達吉のように、政府の推薦に基づいて任命される勅選議員に学識経験者がいました。いずれも非公選のため民主主義の観点からそのまま採用できませんが、専門性確保と党派性抑制の点で参考になります。

 フィンランドも議会に憲法委員会があり、他の委員会同様に議員が委員を務めていますが、専門家への意見聴取を重んじ、委員会内では党議拘束をかけない慣行も確立されています。日本もそれができれば候補者推薦制という選択肢を採る必要はないかもしれませんが、現実の政治状況を考えると嘆息を禁じえません。

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10年前の安保法制の成立過程への疑念が出発点でした。それまで一貫して違憲とされてきた集団的自衛権が、政権が代わると融通無碍(むげ)な憲法解釈の変更によって合憲とされました。・・・朝日以下、リベラルと言われる皆さんは、よく安倍安保法制の成立のさせ方を平和憲法を破壊する非民主主義的なやり方だ、と非難する。俺には理解できない。自衛隊の存在そのものが解釈の問題でも何でもなく、通常の日本語理解力を持つ者にとって明らかな憲法違反だ。違憲な存在である自衛隊を一貫して違憲と言い続けることをやめ、その存在を事実上合憲と認めたリベラルを含む国民がいたから、安倍さんの「融通無碍な憲法解釈」も生まれた。

自衛隊は合憲と認めた上での「立憲主義」じゃあどうしょうもないんだが、オールドメディアはこれを後生大事にする。

 国会の二院制は本来、両院の間で抑制と均衡を働かせ、多数派の暴走を抑えるための制度です。と言い、一方で非公選は非民主的とも言う。こりゃあ無理だ。選挙=ポピュリズムだ。衆院だろうが参院だろうが、選挙をした時の人気、で野党が買ったり与党が勝ったりするだけで衆愚政治だ。プラトンがソクラテスの口を借りて語るように、政治家は選挙でなく、誰かが優秀と判定した若者を選んで育成すべきもの、という考え方もあるぜ。AIにすべてを任す・・・AI独裁・・・も、衆愚よりはましかも知れぬ。1回試したらいい。

立憲主義の生命線・・・政治家や役人がすることを憲法と言う切り口で監視することは確かに立憲主義のためには必要だ。しかし、どうして立憲主義を後生大事に守らねばならぬのか?いちいち憲法に立ち戻るなんて、ややこしくて辛気臭い作業は日本人には向いてないし、日本人は好まないということ、つまり、立憲も民主主義も日本においては「なんちゃって」だ、ということを認めることができないのかなあ?憲法なんてやめて、AIが全てを決める、じゃあまずいか???

嘆息するのもWokeのポーズだ。嘆息しないで絶望してテロでも何でもやらかしてくれないか??

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