松重豊さんが号泣した投稿「ロックじゃねえ!」投稿者の先生への思い(朝日新聞デジタル)

朝日新聞デジタル6月9日に以下の松重豊インタビュー記事:

  

――演出家の故・蜷川幸雄さんに師事されたんですよね。

 「『100人中90人が考えるようなことで誰も感動しねえんだよ! 才能なし!』なんてしょっちゅう怒鳴られました。だけどたまに、度外れた発想力を発揮して表現した時には、『この変態!』『キチガイ!』ってすごくうれしそうにほめてくれて……いや、もちろん『キチガイ』はもはや使うべきではありませんよ。差別は許されません。だけどいま、まったくそうでないものまで、あれもダメこれもダメと、表現の世界が自主規制でがんじがらめになっている。その結果、みんなが同じようなものを見て、同じような発想しか持てなくなってきているのではないか。全体主義にいきがちな危うさを感じています」

 「全体主義的な風潮にのみ込まれぬよう、アンチテーゼを提示するのがロックです。テレビがのみ込まれていくのは、ある程度仕方がない。ただ、映画や舞台は、世の大勢と対峙(たいじ)して『違うんじゃないか』という立場に居続ける必要があると思います」

 ――かねて、説明過多や二項対立的な、わかりやすい作品が苦手だとおっしゃっていますね。

 「最近、若い俳優さんたちと議論しながら映画を撮ったのですが、やはり若い人は、物語を構築する上で、わかりやすさを求めるんですね。この人は善人なのか悪人なのか、『正解』を欲しがる。でも、人も社会も当然そんな一面的なものではなく、わからないことだらけです。だから、幅を持たせよう、あいまいな部分を残して、あとは見てくれる人の想像力にゆだねようという話をしました」

 「そうやって議論を重ねていくと、彼らもだんだんわかってくる。考えてみれば、かつては寺山修司さんの『天井桟敷』や、唐十郎さんの『紅テント』など、わかりにくい芝居が当たり前にあった。ベケットの不条理劇『ゴドーを待ちながら』の面白さと不可解さ。わからないからこそいつまでもひかれるんだけど、そういう演劇・映画体験がいまは減っているのでしょう。僕ら世代の責任です」

 「見た人全員が『泣けた!』としか言わないようなものを、そもそも表現としてやる必要があるのか。観客が、鑑賞後も『あれはどういうことだったんだろう?』と想像力を働かせ、考え続ける。がんじがらめの中でも、風刺やパロディーもうまく使えば、そういう作品をつくれるはずです」

被爆者の親類と想像力への使命感

 ――観客の想像力に賭けると。

 「僕は、生まれは長崎で、親類はみんな被爆者なんです。だけどもう、おばちゃんたちも90歳を超えて、いつ亡くなるかわからない。日本から被爆当事者がもうすぐいなくなってしまうんですよね。そうすると、だんだん戦争や被爆を表現することがはばかられるようになるのではないか。そんな不安があります。だから、目の前にあるものだけを信じるのではない、目には見えないものへの想像力を涵養(かんよう)したい。僕らの仕事は『不要不急』なんて言われがちですが、そこには使命と責任を感じています」

 「想像力を喚起するには、誰目線で描くかも大事です。以前、NHKの番組『映像の世紀 バタフライエフェクト』でノルマンディー上陸作戦を扱っていたのですが、連合軍がドイツ軍に勝利したその陰で、地元住民ら民間人が何万人も巻き添えで死んでいた、と。僕らは為政者や、勇ましいことを言う人のドラマに心を動かされがちですが、地元住民の視線は、正義と悪というわかりやすい二項対立ではなく、この世界の『ゆがみ』を捉えているはずです」

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『キチガイ』はもはや使うべきではありませんよ。差別は許されません。…松重豊をしても「キチガイ」は差別と言わしめる。絶望的。まあそういう松重さんだからNHKでも仕事ができる…ロックじゃあねえ。

『正解』を欲しがる…正解を欲しがるのは若者の”特権”だ。若者は正解がないことがあるなんて(つまり不条理や理不尽があるってことを)身に沁みて経験してない。

議論…本当に議論になっていたら奇跡のように素晴らしい。日本人だから声の大きい者、目上の者の言ったことが通るのではないか?(俺はそれを”議論”とは言わない)別に議論にならなくてももよい。日本人は議論にならなくても相手の言ったことをいつまでも覚えていて(蜷川幸雄さんに罵倒された松重さんのように)後でその影響力が現れる。

不条理…不条理って議論なし理屈なし、のこと。不条理…分らないけど面白い…議論では伝わらない。キリスト教徒の不条理は神のいない、ロゴスのない世界。そもそもキリスト教徒ならぬ日本人にはキリスト教徒の不条理はよく分からない…でも面白い。

目には見えないものへの想像力を涵養(かんよう)したい。連合軍がドイツ軍に勝利したその陰で、地元住民ら民間人が何万人も巻き添えで死んでいた:長崎広島沖縄、東京…でアメリカのやったことも忘れるべきではないだろう。戦前命を軽んじたことへの反動で、戦後日本は命を何より重いものとし、命を守らんがためにアメリカが戦前戦中戦後に日本に対してやったことから目をそらし、きれいさっぱり水に流して、想像力もプライドも捨てて、アメリカにすり寄って、プカプカと漂流してきただけでないか?このこともロックじゃねえが、一番ロックじゃねえことはその事実に気づかない、気づこうとせずソッポを向くことだ。戦後日本をアメリカの妾にするサンフランシスコ平和条約・安保条約を締結した当事者であった吉田茂は、それをそうだと認識した上で、「それでもこれしか日本人の命を守る術はない」と苦渋の決断をしたのではないか?日本の戦後史は「アメリカの妾」をタブーとし、それをそうだと言うヤツを抹殺して、巧妙に目に見えないようにする歴史だった。

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