ダーティーハリー2
たまたまテレ東で昼間、ダーティーハリー2をやっていたので見る。ダーティハリーシリーズは1発目を映画館で観てから見ていない。一方でクリントイーストウッド映画は全部見る。(高倉健映画を全部見るのと同様だ。)
なぜ、ダーティーハリーシリーズを見ないのか、というと、テーマ、ストーリーが同じだと感じるからだ。このダーティーハリー2もやはり「腐ったアメリカに対する絶望」を描いている。途中で警察内部に悪者、異常者がいて、イーストウッド演じるハリー・キャラハンを殺そうとしていると気づく。そいつは誰だ?を見定めたくて見るのをやめられなくなる。
結局、悪いのはハリーの上司(主任)だった。彼は裁判でちゃんと裁かれないマフィアを処刑する、と称して若い警官を使ってどんどんマフィアを殺してしまう。
その彼に殺されそうになったハリーは「今の法律が間違ってるのは分かってる。だが、それが直るまで俺は今の法律を守る」と言う。つまりソクラテスだ。悪法もまた法なりだ。このセリフが印象的だった。ハリーは、最後に主任以下、腐った(狂った)警察官たちをやっつけて話は終わる。
今、ハリーに聞いてみたい。「アンタの国じゃあ、今、法律は直ったのかね?」と。今振り返れば、1975年にベトナム戦争で負けてから、アメリカという国は、”ちゃんと戦って勝つ”ことができなくなってしまったように思う。
フェアに戦えば負けるから、勝つにはアンフェアに戦いを仕掛ける・・・アメリカはそういう国に成り下がってしまった。それに絶望したアメリカ国民は民主主義や理屈を捨ててアメリカファーストに閉じこもる。かつてのように、世界中に飛び出して行って世界中の国をリードする、守る、といった気概はない。1970年代より絶望は深くなってるんじゃあないか??
閑話休題:
面白かったのは、マフィアの連中が、昼飯を食うシーンがあったのだが、彼らが何と箸をつかって袋の中の飯を食っているのだ。箸の使い方も堂に入っている。この映画、1973年作品だ。50年前にアメリカで中華にせよ和食にせよ、韓国料理にせよ、白人がそんなに箸を使って食べることはなかったんじゃあないか??
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