天声人語を揶揄し、同情する

7月26日付け 朝日:全文引く。

 10人ほどの子どもが縦書きの掲示板を見つめる白黒写真がある。時は1928年、25歳以上の男性に選挙権が与えられた初の「普通選挙」の告知だ。子どもたちは珍しくて集まったのだろうか。写真の横には「一等むづかしい宿題」と、やや皮肉めいた説明が添えられている▼この写真は、柳田国男が『明治大正史 世相篇(へん)』に掲載した。衣食住から労働、恋愛など様々な分野で、庶民の暮らしがどう変化したかを描き出した名著である。最後はこう結ばれている。〈すなわちわれわれは公民として病みかつ貧しいのであった〉▼なんとも不思議な響きだ。柳田の自伝に詳細な注釈を付けた東京学芸大名誉教授の石井正己さんは、「柳田は嘆いている」という。社会とは、貧富に関係なく正しい判断ができる選挙民を育てるべきものだ。だが、この社会にはそれができていないと▼柳田は帝大卒業後、農商務省などで働いてから朝日新聞社に入り、30年まで論説委員を務めた。同著が出た31年は「ジャーナリズムの限界を自覚し、民俗学に専念し始めたころ」と石井さんはみる▼確かに柳田は「現実の社会事相」は新聞の報道より複雑だと書いている。そこに限界を感じたのか、権力者ではなく庶民の歴史をたどると決めた。各地を旅し、人々の声をすくい上げ、伝承を拾い集めた▼今月31日は柳田の生誕150年だ。自戒を込めて考える。いま、小さな声にも耳を澄ませているだろうか。「難しい宿題」から逃げずに向き合っているか。

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さて、社会とは、貧富に関係なく正しい判断ができる選挙民を育てるべきものだ。という考えを天声人語氏もお持ちなのか?柳田さんは、それをあきらめたんではないのか?俺は、「日本人にはそんなことできやしない」とあきらめてもいいと思う。福沢諭吉も嘆いたように、日本人は支配者を「お上」と呼び、お上の言うことには逆らわず、お上に忖度するものだ。無理して変えるものでもないだろう。占領軍が強権をもって変えようとしたが、それでも占領軍が駐留してるあいだは「お上」とし、いなくなれば元の黙阿弥。

俺は「正しい判断」て「自分の頭で考える」ことから始まる、と思う。お上や周りに気を遣う日本人には、自分の頭で考えるなんてできない。

天声人語氏はいつに似ず、切れが悪い。どうも、日本の選挙民には正しい判断なんてできやしない、と絶望しつつあるんではないか?でも建前上「難しいけど、頑張る」と、絶望しつつあることを正直に言えない。

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