嗚呼、高村薫!
朝日新聞に以下:
俺は、髙村薫さんはかなり信用している。好きだ。 以下に引用した記事の①「気がつけば日本は台湾防衛の最前線に立たされている。」②先進国でもっとも貧しい。以外については100%同意する。
①俺は、アメリカは日本の戦争遂行能力など、よくてゼロ、悪ければ「足手まとい」のマイナスと評価してると思う。俺に言わせれば、そんな日本はアメリカから見れば、兵器を売りつける相手であり、中露と戦争する時の基地用地だ。「最前線に立たされている」なんておこがましい。
②先進国でもっとも貧しい。の根拠としている相対的的貧困率なるものを調べると、具体例として「修学旅行に行けない」、とか「香典や喪服がが用意できず葬式に行けない」とある。こんなもん、貧困には入らない。俺の「貧困」は、飢え死にする、娘を女郎に売ると言ったものだ。修学旅行や葬式なんて、贅沢だ。貧乏人は全く行く必要はない。何のために相対的貧困率なるものを編み出したのか???こんなの、国民を甘やかすだけだ。葬式には行けないけどスマホは使ってる、なんて馬鹿野郎を「貧困」などと呼んだら、承知しねえぞ。スマホなんてなくたって死にゃあしねえ。修学旅行や葬式に行きたけりゃあ、スマホなんかやめて金を節約しろ、ってんだ、この野郎。
俺も、真に政治(家)らしい政治(家)を持ちたいと痛感する。高村さん、真に政治(家)らしい政治(家)を持つにはどうするの?について是非語ってほしい。
俺は、寄稿を頼まれた高村さんが朝日に忖度した結果、①②については朝日様の喜ぶことを書いたんだと思う。そして朝日様が真の政治(家)が誕生したら困るということを知っていて、真の政治(家)を持つ術を書かなかったんだ思う。だって、朝日様は真の政治が誕生したら存在できない。偽物の政治つまり「なんちゃって民主主義」をその場しのぎで無責任に批判非難することでしか命脈を保てないのだ。オールドメディアと呼ばれる所以だ。
寄稿・高村薫さん 作家
年初めの1月28日朝、埼玉県八潮市の県道交差点で道路が突然陥没し、たまたま通りかかったトラック一台が転落、地中に呑(の)み込まれた。
陥没の原因は、破損した下水管に周辺の土が吸い込まれて地下に空洞ができたことであり、道路にあいた穴の大きさは当初、直径約5メートル、深さ約10メートルだったが、30日には直径40メートルに広がった。そのため、事故直後に生存が確認されていた運転手の救出は予想外に難航し、大量の土砂と下水に埋まったトラックと運転手が引き揚げられたのは、事故発生からほぼ3カ月経った5月のことだった。
当世、大きな穴から小さな穴まで、道路の陥没事故それ自体はさほど珍しい話ではない。原因の多くは地下鉄工事やトンネル工事に伴う地盤のゆるみ、下水道管やガス管の老朽化と軟弱地盤であり、ときには地震もそこに加わる。そして、そのつど緊急の地盤調査や設備の更新と復旧工事によって、道路インフラはひとまず維持されているのだが、もちろんこんなものが標準仕様のはずはない。本来は事前の地盤改良や、定期的な地盤調査、さらには下水道管の適切な設備更新や技術革新などによって、陥没など滅多に起こらないのが公道のはずである。
近年の私たちはいつの間にか生活道路の陥没やひび割れに慣れ、ああまたかと思いながら漫然とやり過ごしているに過ぎない。そしてくだんの陥没事故を目の当たりにしたとき、私は一抹の寂しさとともに突如、これこそ自分が生きている社会の掛け値なしの実相というものだと腑(ふ)に落ちていたのだ。
走行中のトラックが突然穴に落ちる不条理も、税収不足でしかるべき保全管理がなされていない道路インフラの実態も、はたまたこうした都市部の土砂災害における消防の対応の困難さも、一言で言えば、何もかもが古くなってガタがきている感じ――だろうか。
システム設計できぬ残念な「資質」
この感じは近年、社会の至るところで目にするものである。たとえば、明確なテーマを欠いたままめぼしいコンテンツを寄せ集めただけの大阪・関西万博がある。1970年の万博と比べれば個々の展示にかける意気込みも創意工夫も費用も大きく見劣りがし、よく言えばSDGs、悪く言えば安普請のやっつけ仕事は目を覆うばかりである。もともとテーマの設定にも無理があったところへ、無理に税金をつぎ込んで強行してみたものの、いまや国力の衰退までは覆い隠せなかったと言うべきか。
国力に見合うものしか持てないという意味では、一向に前進しないDX、デジタル・トランスフォーメーションもそうである。国と自治体の基幹業務を標準化するクラウドサービスの「ガバメントクラウド」を例にあげると、たとえばIT担当者が一人しかいないような地方自治体にサービスへの移行を丸投げしても出来るわけがない。
さらに、マイナ保険証は使い勝手が悪すぎて普及せず、医療機関のオンライン資格認証も現場ではトラブルが絶えない。このように多額の予算を注ぎ込んでプログラムを作っても、不必要に複雑だったり過剰だったりで、ほとんどは運用に失敗する。こんなIT後進国になった原因はIT技術者の不足にあるが、では十分な数のIT技術者を育ててこなかった社会の硬直性はどこから来たか。
一義的には政治や行政から企業まで、戦後世代が時代の変化についてゆく努力を怠ったということになろうが、それだけではない。根底にあるのは、抽象的な企画を立てることはできても、それを具体化して推進するための計画と管理運用のためのシステム設計ができない日本人全般の残念な「資質」である。
個々人は優秀でも、システムの運用と管理が要になるITでは、全体を見渡す通時的な発想が欠かせない。80年前の戦争を振り返っても、今日の大阪・関西万博を見ても、どうやら私たちはこれがひどく苦手なのは間違いない。そして日本人のこの国民性は、成人病のようにゆっくりと国の歩みを蝕(むしば)んできたのだと思う。
道路の話に戻ろう。私はかの陥没事故が不可抗力だったとは思わない。高度成長時代、国土の津々浦々を席巻した公共事業の下で行われたコンクリートや鉄筋の手抜き工事、軟弱地盤も長期的なメンテナンス計画も無視して進められた道路整備などのもともとの地金が、ここへ来て表に出てきただけではないのかと考えている。
経年劣化は避けられずとも、あらかじめそれを見越した補修計画を立て、予算をつけて定期的に補修を行えば事故は避けられる。それが出来ていなかった単純な事実を、私たちは突きつけられているに過ぎない。長い繁栄の夢から醒(さ)めてみれば、足下の道路には大穴があき、転落した車両を迅速に救出する対処能力もなく、穴の補修には数カ月から数年もかかる。さらに言えば、長期にわたる道路や橋の維持管理は責任の主体も必要な予算も明確でなく、過大な既存インフラの清算に手をつける者もいない。そしてある日、ただ通りかかっただけの利用者が穴に落ちる。
〈いま〉しか見ない、その果てに
思えば94年前、私たち日本人はこうして満州事変に突き進んだのだろう。そこから日中戦争を経て太平洋戦争に至るまで、世界恐慌下の国際情勢を正確に読み取り、自国の国力や戦力を慎重に秤(はかり)にかけ、出口戦略を含めた周到な見通しを立てていたなら、もとより侵略戦争などできるはずがなかった。合理的な計算をあえて退けた軍部の暴走を許したのは、同じく合理的な計算より感情で動いた私たち国民である。
そうして誰も計画のいい加減さを見ず、根拠のない希望的観測と勇ましい精神論を頼りに一億が火の玉になって破滅を迎えたとき、私たちはどこで道を誤ったのか振り返ることもせず、すべての経緯をあっさり水に流した。そしてA級戦犯容疑者の一部は堂々と政治に返り咲き、国民は昭和天皇の行幸を熱狂で迎え、まるで何もなかったかのように「戦後」が始まって、80年が流れた。
2025年の夏、21世紀初頭まであった国際秩序はもうない。いまや自国第一主義を掲げて専横を極めるアメリカと、他国への武力侵攻を狙う覇権国家の中国とロシアが世界をそれぞれの勢力圏に分割する勢いである。
国連は機能せず、ウクライナやガザの人道危機は放置され、イスラエルは当然の権利のようにイランの殲滅(せんめつ)を図る。一方、アメリカの核の傘にすがるほかないEUや日本は、アメリカに要求されるままに身の丈を超えた軍備増強にひた走り、気がつけば日本は台湾防衛の最前線に立たされている。
その実、当の日本では過去の戦争は完全に遠くなり、6月22日付で朝日新聞朝刊の『フロントライン』が伝えたように自衛隊の文民統制が消えつつあるほか、核保有や核共有を公然と口にする政治家もいる。現行憲法下での戦後の歩みも、有事となったときに何が起こるかについての冷静な読みもない令和の日本人は、やはり三つ子の魂百までか。
最新の日本の相対的貧困率は、アメリカや韓国にも抜かれて15・4%であり、先進国でもっとも貧しい。それでも群を抜いて国内の治安はよく、私たちは生活不安を抱えながらも、グルメだの「推し」だのとそれなりに生活を楽しみ、街ゆく人びとの表情も明るい。
しかしそれもそのはず、私たちはそうして〈いま〉だけを見、見たくないものは見ない。その結果全盛を迎えているのがフェイクニュースであり、YouTubeであり、切り取り動画である。
〈いま〉を大切にしたい老若男女が日々の刺激を求めてウェブに集まり、それがときに一過性の潮流をつくったりもする。おそらく日本の社会も政治もそうして漂流してゆくのだと思うが、では厳しい現実はどこへ行くか。どこへも行きはしない。
政府の債務残高が1323兆円を超え、国家の信用が揺らぎつつある日本に、戦争をするカネはない。さらに、平原のない狭い国土は一発のミサイル攻撃にも耐えられない。これが私たちの現実である。しかしながら、雨が降ろうが槍(やり)が降ろうがこの現実だけは変わらないことを肝に銘じておけば、〈いま〉しか見ない私たちでもたぶん、何とかなる。いや、参院選も近いので、せっかくだからもう少し欲を出し、当面の暮らしだけではないこの国のかたちや、世界のあるべき姿にも目を配る、真に政治らしい政治を持ちたいと思う。
仮にトランプ関税に屈することになっても、狂気と強欲に満ちた大国の論理にくみせず、何としても戦争を回避する意志を持った政治が私たちには必要なのである。そうして国民の生命が第一に守られるなら、あとは少々生産性が悪くとも誠実にものを作り、田を耕し、身体が動く限り働いて生きるだけである。ただし、穴に落ちないよう足下に注意して。
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