石丸伸二はソクラテスか?

 東京大学哲学研究室の納富信留先生の講義より:

死刑という刑罰を前にして、ソクラテスは自分が死をどう捉えるかという演説を始めます。

例に出したのはギリシア神話の英雄アキレウスです。親友の復讐のために死を覚悟して戦場に赴いたアキレウスと、神から与えられた「哲学をやる」という使命を全うする自分とを重ねます。

ソクラテスは、神に従うということは自分にとって哲学をし続けるということであり、その行為が人々の反感を買おうとも決してやめることはできない、と言います。

つまり、善く生きることができるのならば、死は恐れるに値しないということです。

ソクラテスは、

「あなたたちは恥ずかしくないのですか?」「あなたたちの考えていることは醜い」とたたみかけます。

彼は「人生には2種類の配慮がある」と話し始めます。一つ目は評判や名誉、金銭の量を増やしたい、という配慮。二つ目は思慮や知恵の質をより善くしたい、という配慮です。

ご想像の通り、ソクラテスが言う本当の配慮は、質をより善くしたいという後者のものです。それに対して、アテナイの人々が普段気にしているのは名誉や金銭、評判などの「量」のことばかりであると批判したのです。

>>石丸伸二はソクラテスを気取ってるだけか?「日本を変える」(ソクラテスによれば民主主義を独裁制に変える)ことに命を懸けているのか?

ソクラテスは死刑判決を受けて毒杯をあおって死んだと言われる。石丸君は「悪法もまた法なり」ではなさそうだ。仮に最高裁で死刑判決が確定したらどうするんだろう?

さて、自由とは何か?「自分の主人は自分」で法律も死刑判決も無視していいのか?それとも「悪法もまた法なり」なのか???

言い方を変えれば石丸君、衆愚が教育によって目ざめなければあきらめるのか?それとも一生「教育」し続けるのか?そもそも衆愚を教育してどう考えるようにしたいのかも分からないが。

ソクラテスは「悪法もまた法なり」なんてことを言う変わり者は自分だけだ、という自覚はあった、と思う。だから衆愚は「自分の主人は自分」のつもりで独裁者の支配を受け入れる、と考えた。

閑話休題:

死刑に関して言えば、ソクラテスの時代のアテネの民主主義って素晴らしいね。受刑者を殺すのではなく、受刑者の自由を尊重して自殺させる。逆に言えば、当時のアテネには、死刑判決を受けて嫌がって暴れたり逃げたりするヤツが少なかった、ということか?確かソクラテスも逃げようと思えば逃げられたのに、あえて見栄を張って死を選んだはずだ。さて、石丸君はどうするのか?自分の命がかかった局面でどういう見栄を張るのか?

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