ロスジェネ50代…雨宮処凛さんの訴えを「完全スルー」してきた政治

 2025年7月20日 5時00分、つまり参院選投票日の朝、雨宮処凛の朝日新聞への投稿。

65歳を迎える頃。「社会保障費の負担になるお荷物」として、最悪、「安楽死」・・・は俺の考えと同じだ、と感心してWikiってみると、何のこたあない、れいわの山本太郎と仲がいいらしい。一気に「気持ち悪い女」だなあ、と思う。「反貧困ネットワーク」をやってるらしいが、貧困だ、貧困だ、と煽って何をするつもりか?貧困解消のためには自分たちから不当に富を奪っている奴らから富を奪い返せ・・・共産主義はこの「革命」を起こして民主制を独裁制に変えることをめざす。弁証法的には自由平等は、自分のことを「貧困」であり、かつ「自分の主人は自分」と思う民衆による革命の正義・力となる。結果、手間暇のかかる民主主義は手っ取り早い独裁に”止揚”される・・・ただし、日本人にとって、「自分の主人は自分」かなあ?そこが革命が起きるかどうかの分かれ目か?

以下、投稿の引用: 

【視点】

参院選前、「ロスジェネ対策」は大きな争点だった気がするのですが、突然浮上した「外国人問題」(しかも事実でないものを多く含み、まったく別々に存在するものをごちゃまぜにしたずさんすぎる問題提起)に打ち消され、再び5キロくらい後退した印象です。

この30年、ロスジェネはこうして「二の次、三の次」にされて忘れられ、そして「利用価値がある」と思われればまた引っ張り出されるということを繰り返されてきたので「またか・・・」という思いです。が、ロスジェネが政治に注目されるのは、今が「最後のチャンス」という気もします。 次に注目されるのは

65歳を迎える頃。「社会保障費の負担になるお荷物」として、最悪、「安楽死」

などの議論に利用されるのではないか、というのは「考えすぎ」でしょうか? さて、本日が投開票日です。期待できない、もう諦めているという気持ちはわかりますが、それでも1700万人とも2000万人とも言われるこの世代。「数は力」でもあります。見せつけてやりましょう。


>>別にロスジェネの皆さんに限らず、団塊の世代だろうが、俺たちの世代だろうが、日本の悲しくも素晴らしい「姥捨て山」システムの復活はアリだと思う。然るべき審査、手続きを経て、「お国のために死んでくれ」と言い渡され、殺されるのは一向にかまわない。自分のことを「お国のため、皆さんのためにできることは死ぬことくらいだ」と考えている老人は少なくないだろう。

俺はおまけで生きてる。死ぬより生きる方が苦しいから生きてる。若い時から「生きてこれを成し遂げよう」などということは考えたことがない。会社を辞めた後、何かをしてみなさんの役に立とうなんて思い上がったことも考えていないし、実際「迷惑かけないように」こっそり生きてるつもりだ。つまり、死ぬことは怖くないし、これ以上生きたいとも思わない。死ぬことに関して望むことは①苦しかったり痛かったりするのは嫌だ②残された家族を煩わしくない の2点だ。この2条件が満たされれば、「お国のため」死ぬことにやぶさかでない。

上さんと楽しく暮らしてはいるが、いつかは死ぬんだし、「お国(の将来)」の方が優先だろう。特攻隊の気分だ。
高齢党という政党があるらしい。「高齢者殺してくれ党」なんて作ったらどうか?

プラトン「国家」に、ソクラテスいわく:
やがて体力が衰えて政治や兵役の義務から解放されたならば、その時こそ初めて聖域に草はむ羊たちのように自由の身となり、片手間の慰み事をのぞいては他の一切をなげうって、哲学に専心しなければならない。そうしてこそ人は幸せに生きることになり、死んで後はあの世において自分の生きて来た生の上にそれにふさわしい運命を付け加えることになろう。
・・・そうかなあ、「あの世」ってのがあるのかないのか分からないけど・・・まあ、あの世のことは置いといて、哲学に専心する、というか、できることは確かにものすごく幸せなことだ。

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