1920年代前半の日米
1920年~1925年の間に日米で起こったことをWikipediaより引く:
・黄色くハイライトした部分はリベラル、進歩主義、新しい動き
・青くハイライトした部分は保守反動の動き
この時期は日米を問わず、第一次世界大戦後の平和主義、進歩主義、理性主義の盛り上がりと、それに対する反動が交錯した時期だった。
トランプは、ほとんどハーディングのモノマネと言ってよい。(ハーディングは日本をイジメたが、さて、トランプは???)
日本では明治維新を知り、天皇制をクールかつ相対的に考えることができる長老が1922年にいなくなり、天皇を神と仰いだ軍部の独裁を止める力がなくなった。同時に、ハーディングが日本の中国・朝鮮における利権にちょっかいを出し、将来の日米戦争のタネとなった。
Wikipedia「1920年代の日本」
1920年
1921年
- 11月4日 - 原敬暗殺事件
- 11月25日 - 皇太子裕仁親王(後の昭和天皇)が摂政に就任。
- 12月13日 - ワシントン会議で日本・アメリカ・イギリス・フランスの四ヵ国条約が調印される。
- 皇太子裕仁親王の欧州訪問
1922年
1923年
1924年
1925年
*女性解放、男女平等は、古い道徳を否定し、性的マイノリティーや人種的マイノリティーを差別するな、という運動と同調する。
Wikipedia「1920年代の米国(狂騒の20年代)」
1920年 前年批准された禁酒法が1月発効
女性参政権を認める憲法修正第19条が批准された
国際連盟不参加
大統領選:民主党ウィルソンから共和党のハーディングに
1921年 ハーディング就任。大統領選挙中に約束した通り、有力支持者を政府高官に任命
→高関税政策、富裕層減税、禁酒法を無視してホワイトハウスで酒宴
1922年 ワシントン会議で日本海軍力を米英の6割に。日英同盟も破棄
1923年 ハーディング大統領急死→副大統領クーリッジが大統領に
1924年 大統領選でクーリッジ再選
共和党出身のロバート・ラフォレットが共和党内の革新派、民主党の一部、共産主義
者を除く組合、などから支持され、進歩党を再結成。大統領選に出馬、17%を得
票。ウィスコンシン州(選挙人票は13票)を制した。
移民法で移民受け入れを制限
初めて大統領演説をラジオ配信
1925年 KKKがワシントンで初めて大集会
テネシー州の反進化法が成立するも、これを破って進化論を教えた教師に無罪判決
ハーディングの大統領選中の演説:
特に青くハイライトした部分が有名:
①nostrumsより normalcy:特効薬・劇薬より普通に効く薬
② submergence in internationaity より in triumphant nationality:国際政治にうだつを上げるよりアメリカ国家を強く
Warren G. Harding, speech before the Home Market Club, Boston, May 14, 1920英語版のWikipediaによると;he was one of the most popular sitting U.S. presidents while in office. After his death, a number of scandals were exposed, including Teapot Dome, as well as an extramarital affair with Nan Britton, which damaged his reputation.任期中は一番人気があり、(1923年の任期中の心臓発作による)死後、内務長官による国有油田利権汚職、自身の不倫といったスキャンダルが続出した
閑話休題:イーロンマスクがロバート・ラフォレットみたいに2028年大統領選に出るか?
閑話休題:イーロンマスクがロバート・ラフォレットみたいに2028年大統領選に出るか?
コメント
コメントを投稿