ラフカディオ・ハーン「神国日本」(1904年)
ラフカディオ・ハーン「神国日本」(1904年)より抜粋:
>>日本人のコミュニケーションに関する観察は面白い。言葉、会話の内容、挙措態度まで厳しく細かく規制する・・・日本人にとって人間関係が言論の自由なんかよりよっぽど大切なのだ。例えば自分の子供を何と言うか、相手によってさまざまに変える・・・英語を話す人にとってはなんと難しく、バカバカしいことだろうか・・・正しいかどうか、神様にどう思われるのかなんて日本人にとっては二の次。世間(今、目の前にいて直に話している人及び自分に影響力がありそうな人)にどう思われるのか?が大切なのだ。
礼儀作法に従うとは死者に支配されること・・・これは卓見。日本人は先祖(死者)を神とする。一方で日本人は先祖の親分である天皇を神と信じ「天皇陛下万歳」だったものが、ご利益なしとなれば「マッカーサー万歳」に変わる。憲法9条はまだ、ご利益ある神様なのだ。
以下抜粋:
人間の生活が、最も微細な点まで・・・履物から帽子の質、妻のヘアピンの値段、子供の人形の価格に至るまで・・・法的に規制されているところでは、言論の自由が認められていたとは到底考えられまい。それは存在しなかったのだ。そしてどの程度、言論が規制されていたかは、その話し言葉を研究した人のみが想像できよう。この社会の階級的構成は、言語の慣用的構造の中に・・・代名詞、名詞、動詞の配分の中に・・・接頭辞や接尾辞によって形容詞に加えられた序列の中に・・・忠実に反映された。衣服、食生活、生活の様式の規定が持ったと同じ仮借ない厳密さであらゆる言葉は禁止的にも強制的にも規制された。・・・ただし禁止的な場合よりも強制的な場合がはるかに多かった。何を言ってはならぬかの主張は少なかったが、無数の規制が言われるべきこと、すなわち選ぶべき単語、用いられるべき語句を厳しく規定していた。幼い時からの躾で、この点に関する注意が強要された。誰でも目上の人に話しかけるときは、特定の動詞、名詞、代名詞だけが認められており、同等もしくは目下の人間に話す場合には別の言葉が許されていることを、学ばなければならなかった。上流階級においては、この作法はほとんど想像できぬほどに複雑になった。語に文法的変化を加えて、それとなく話しかけられる相手を高めたり、また、話しかける側をつつましく卑下するやり方は、かなり古くから一般に行われていたに違いない。その後の中国の影響で、こうした融和的な語法の形式はきわめて数を増した。帝自身に始まり・・・天皇はそのほかのいかなる人間にも許されない人称代名詞、ないしは少なくとも代名詞表現をなお用いているのであるが・・・したは社会のあらゆる階層を通じて、各階層がそれぞれ特有の「わたくし」を持っていたのである。「あなた」とか「汝」に対応する言葉が、いまなお16も使用されているが、昔はさらにその数は多かった。子供、生徒、召使いに対する場合にのみ使われる二人称単数形が、まだ8つの異なった形として存在する。親族関係を示す名詞の尊敬態、謙譲態も、同様に多数あり、段階づけられていた。いまなお「父親」を表す9つの単語が用いられており、「母親」を表すものが9つあり、「妻」の場合は11、「息子」が11.「娘」が9つ、そして「夫」を表す7つの単語が使われている。
会話の作法と共に、話題も制限された。そしてこの自由な会話に対する制限の性格は、挙措態度の自由に対する制限の性格から推測することができる。挙措態度は、きわめて事細かく手厳しく規制されていたが、それは、階級並びに性別に応じて異なる無数の段階をもつ敬礼の仕方についてばかりでなく、顔の表情、微笑の仕方、息遣い、座り方、立ち方、歩き方、上がり方にまで関するものであった。目上の人間の前で悲しみや苦しみの感情を、表情や身振りでうっかり表してしまうことが、いつの時代から無礼のしるしになったのか、われわれは知らない。礼儀正しさに関するこういう規律が一般大衆にとって何を意味したかは、武士が彼ら以下の3つの階級の人間なら誰でも、無礼の罪で殺害することを公認した家康の法令から推測されるであろう。家康が「無礼」の意味を注意深く定義していることに注目しよう。彼は述べている。無礼な人間に当たる日本語は「期待に添えなかった人物」を意味するものであると・・・したがって死に値する違反を犯すには、「期待されざる態度」で、言い換えれば規定の作法にかなわぬやり方で、行動しさえすればよかったのである。
われわれは強制が単に外側からのみなされたのではないことを思い出さねばならない。それは実際に、内部から保たれたのであった。この民族の規律は、自ら課したものであったのだ。国民は徐々に、彼ら自身の社会的条件を、したがってそれらの条件を保持する規則を作り出してきたのであり、そして彼らはこうした規則を可能な限り最上のものと信じたのであった。彼らがそれを可能な限り最上もののと信じたのは、それが自分たち自身の道徳的経験のうえに築かれたのだという見事な理由によっている。その偉大な信念があるゆえに、立派に耐えることができたのであった。宗教だけが、いかなる国民をも無気力や臆病者に堕することなく、このような規律に耐えることを可能ならしめたことであろう。日本人は決してそのように堕落することがなかった。自己否定と服従を強いる慣習は、また、有期を培い、快活であることを求めたのであった。支配者の権力は絶大であったが、それはすべての死者の力が彼を支えたからであった。ハーバート・スペンサーは言っている。「法律は成文法であろうと不文律であろうと、生きている人間に対する死者の支配を公式化したものである。過ぎ去った世代がその性質を・・・身体的にも精神的にも・・・伝えることによって、現代の世代に及ぼす力に加えて、また、生活の習慣と様式を伝えることによって及ぼす力に加えて、口伝により、文書により伝えられてゆく公的行為のための規制を通して及ぼす力がある。人間の文明史のなかのほかのどんな法律も、古い日本の法律の場合ほどにこれらの見解にしっくりあてはまるものはない。最も顕著にそれらは「生者に対する死者の支配を公式化」したものであった。
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