「危機なのは民主主義ではない」 三浦瑠麗さんが感じる本当の危機

「危機なのは民主主義ではない」 三浦瑠麗さんが感じる本当の危機

毎日新聞 によるストーリー
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 「民主主義は危機にある」。そんな言葉が叫ばれて久しいが、シンクタンク「山猫総合研究所」代表取締役の三浦瑠麗さんは「民主主義が広がることが無条件によいとは思わない」と指摘する。その真意とは。【聞き手・畠山嵩】

生存と繁栄の確保

 ――戦後80年を迎えました。日本の民主主義の現状をどう評価していますか?

 ◆日本ほど民主主義が安定している国は他の先進民主主義国を見ても珍しい。例えば、韓国では大統領による「非常戒厳」の宣布がありました。一つのきっかけで民主主義が壊れるかもしれないという懸念は他の国と比べて少ない。定着という意味で安定しています。

 ――現在、権威主義的な専制国家に住む人が世界人口の7割を占め、民主主義国は劣勢とも言われる状況にあります。

◆政体は何のためにあるのでしょうか。外部の脅威から自分たち、境界内の人々を守る、それが実態として機能していることに政体の第一の意義があると思います。民主制でも権威主義体制でもその目的を果たすことが出発点です。

 「(人々の)生存を確保し連帯する一つの塊がこの共同体でよいのか」ということについて、(そこに所属する)ほぼ全員が合意している推定が成り立つことが国の存立の大前提でしょう。

 民主化すれば社会が安定し自由と平和が訪れるのではなく、民主化する前の政体や社会がどういったものだったかが基本的に民主化後の国家の性質を規定します。

 ですから、私は民主主義が広がることを自己目的化すべきだとは思いません。まずその地域に住む人々がある程度合意できるまとまりで生存を確保し、次に繁栄を確保できる政体を選んでいく。その結果、運がよければ先進民主主義社会ができるかもしれないと考えます。

 民主主義が優勢だとか劣勢だという考え方自体、民主国家が多い方が我々にとって良いという価値判断に基づいています。

 民主主義が比較的理想的な政体であることは論をまちませんが、そこにたどり着くまでの社会の、単線的とは言えなくともある種の条件を兼ね備えていく発展のプロセスが、いま我々が享受している民主主義の果実を成り立たせているということです。

危機にあるのは精神文化

 ――民主主義は危機にあるとは思いませんか?

 ◆私は全く危機ではないと思っています。むしろ危機にさらされているのは、我々がよって立つ精神文化です。

 先ほど民主化する前の社会の在り方が民主化後の社会の性質を決定すると指摘しました。国政の前に社会にはさまざまな中間団体や宗教などがある。我々が真っ裸な個人ではない形で生きるための、さまざまな依拠するもの、愛着を抱くものがあったわけです。これが近代化やグローバリゼーションの進展によってどんどんスカスカになっていく。そうすると、政治領域が拡大します。

 例えば、日本の家制度が戦後解体されて何が起きたか。「嫁」が解放された代わりに家族という手助けが得られにくくなった。都心で働くワーキングマザーが追いつめられるような状況になっているわけです。

家や学校や教会といった政治が介入してこない領域、ここがなくなったとき一気に政治を日常世界に流し込もうとするポピュリズム的な動きが出てくる。政治が社会に介入するような形で「こう生きろ」と言い出すことが起こりやすくなる。だから、代わりとなる精神文化を育むことは我々にとって大事なのです。

 英国の欧州連合(EU)離脱(ブレグジット)も本当に問題だったのは人の移動だけでした。なぜそれが極端な結論になってしまったのかといえば、「政治化」が起きたから。地域社会で毎晩パブに集って飲み交わしてとりとめなく議論するようなはけ口や交流の場が減ってしまい、政治運動への賛同に直結したからではないでしょうか。

 こうしたことは何度か波が来ています。例えば、英国がクリミア戦争に参戦した際、特権階級のみならず大衆が好戦化するような現象が起きていた。戦勝の結果、できたその後の流行歌が「ジンゴ」という掛け声付きで、都会化した労働者や市民に広まり、それがジンゴイズム(好戦主義)という言葉の語源になっていきます。

 大量に都市に流入した人々の精神文化が育たないまま、社会に対する不満が好戦主義などより大きなものに直結してしまうというのはよくあることです。

 こういった動きは民主主義に反するものではありません。代議制民主主義が自分たちの思うことをやってくれない、「それなら新党に行こう」、あるいは「強いリーダーに期待しよう」という民主主義の枠内での行動に過ぎないのです。

納得のプロセス

 ――自民党派閥の政治資金問題などの影響で代議制民主主義への不満が高まる一方、地方自治体ではITを使って多様な意見を政策に反映させようという直接民主的な動きが出ています。

 ◆行政権の範囲が相当広がって機構が複雑化し、かなり強大な権限を人々から期待されるようになってしまったことが(代議制民主主義への不信の)背景にあると思います。

代議制民主主義は取引の場なので、分かりやすさを愛する人からすると巨悪に見えがちです。だから反発を抱く人は直接民主主義を求める。

直接民意を吸い上げるテクノロジーを生かした試みは必要です。ただ、今ある行政が本当に正しい形でデザインされ機能しているのかということから手をつけないと、結局官庁が「新しい試みをやりました」とか「デジタルリテラシーがあります」と言うためだけのツールになってしまいます。

 ――政治家の必要性はどこにあるでしょうか。

 ◆政治家の仕事は膨大な納得のプロセスを体現することです。

 民主主義に関する私の発想は非常に相対主義的で「意見が通らなかったけど頑張った。議論をした」という納得のプロセスがあることが前提です。民主主義という政体を取る以上はほとんどの場合、正しくないことが通ります。だから、納得のプロセスというのが議会政治の役割になります。

 ――直接民主主義と代議制民主主義の関係をどう捉えていますか。

 ◆直接民主主義的なものといえば、例えば大阪維新の会の「大阪都構想」を巡る住民投票でしょう。また、直接民主主義ではないですが兵庫県知事の出直し選挙もワンイシュー(単一争点)です。大阪都構想も兵庫県知事選も認めるか否かだけが論点でした。

 すぐに直接民主的手段にはかれば議会が存在意義を失う上に、行政権自体も自己否定のような形になります。

 兵庫県知事選でも何が問題だったかといえば、メディアが「正義対悪」のような構図を作ってしまったことです。だからこそ知事が再選されると正義がいとも簡単に逆転する。直接民主主義的な判断に訴えなければいけないことは憲法改正ぐらいしか私には思いつきません。

複雑化した行政と「ちっちゃな既得権」

 ――子どもの投票権を親に与える「ドメイン投票方式」など「1人1票」の原則を覆す投票制度まで議論になっています。若者の政治参加を進めるにはどうすればよいでしょうか。

 ◆私が許容できる唯一の改革案は16歳まで投票権年齢を下げることです。体が不自由だったり目が見えなかったりする人たちのためにデジタル技術を使った補助をもう少し充実させるというのもあっていい。

 ただ、基本的には健康な人間の投票行動、投票意欲をこれ以上人為的に上げる必要はないと思います。(投票しない人は)投票しないという判断をしているからです。(1人で複数票を投じるのは)世論調査の二度聞きのようなもので、例えば一度聞きと二度聞きでは支持政党の支持率が変わってきます。「どちらの結果が正しいのか」という話になってしまいます。

 ――「1人1票」の原則は守るべきですか?

 ◆徹頭徹尾、死守すべきです。基本的に民主主義は自己統治だからです。自己統治である以上、自分を越えて他人の体の一部まで統治しては困ったことになります。

 ――民主主義はこれからどういう方向に向かっていくべきでしょうか。

 ◆例えば先進国社会を見たとき、複雑化し過ぎてしまった行政機構とその圧倒的な権限が一つの病であると言えます。

 もう一つは、我々が積み重ねてきた社会保障システムがこのままではおそらく持続可能ではないということ。世代や経済条件などによって見える風景が全く違うので、(社会保障システム)をガラガラポンにしようという動きにならない。私はそれを「ちっちゃな既得権」と呼んでいます。

 その時々の課題があるため民主主義全体として目指すべきゴールといった像は抱きません。今の民主主義の課題は、この二つを何とかすることです。

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日本は民主主義が安定している

民主制でも権威主義体制でも

まずその地域に住む人々がある程度合意できるまとまりで生存を確保し、次に繁栄を確保できる政体を選んでいく。その結果、運がよければ先進民主主義社会ができるかもしれない

発展のプロセス

以上のキーワードから瑠璃さんの言う「民主主義」とは何か?を探る。

まず、権威主義体制でないこと。しからば権威主義とは:権力元首または政治組織政党など)が独占して統治を行う政治思想政治体制のことである。とWikipedia。

戦後日本は、まず吉田首相時代に生存を確保する算段をつけ、池田・佐藤首相時代に繁栄を確保した。そして結果的には自民党がほとんど権力を独占してきたが、これは選挙を通じた有権者の意思表示だった。同時に有権者は選挙を通じて短期間浮気した・・・結果的には権威主義に近い民主主義だった。上述の政治経済の発展のプロセスを経て、今の日本の民主主義が出来上がった・・・鍵は選挙の信頼性とそれに支えられた擬態民主主義あるいは擬態権威主義・・・民主主義の手間やコストをかけずに安定的な政策運営を行って繁栄を実現した。なんちゃって民主主義。

日本の家制度が戦後解体されて何が起きたか。「嫁」が解放された代わりに家族という手助けが得られにくくなった。

地域社会で毎晩パブに集って飲み交わしてとりとめなく議論する

20世紀までの日本の会社というものは、どこの馬の骨とも知れぬ男女を無期限雇用し、母親(家)の代わりに面倒を見てくれた。そして会社員は会社から帰る途中、飲み交わしてクダをまいた。これが、ポピュリズムや陰謀論や極端な考え・行動から人々を守っていたのだそう。さて、家や会社やパブに代わるものを作るべきか?「精神文化」なんってタイパ・コスパが悪いものが復活するとは思えない。それともタイパ・コスパなんていうバカバカしいものが廃るのか?

代議制民主主義が自分たちの思うことをやってくれない、「それなら新党に行こう」、あるいは「強いリーダーに期待しよう」という民主主義の枠内での行動に過ぎない

代議制民主主義は取引の場なので、分かりやすさを愛する人からすると巨悪に見えがちです。だから反発を抱く人は直接民主主義を求める。

今ある行政が本当に正しい形でデザインされ機能しているのか

トランプが落選して再選されるプロセスを見ていると、落選直後の議会の否定=直接民主主義の訴えから始まり、強さのアピール、言うことを聞かない官僚の更迭・・・うまくやってると言うべきか

「意見が通らなかったけど頑張った。議論をした」という納得のプロセスがあることが前提です。民主主義という政体を取る以上はほとんどの場合、正しくないことが通ります。だから、納得のプロセスというのが議会政治の役割

さて、日本の国会で行われているのは「議論」か?有権者向けのアピールだけだろう。野党の皆さんが納得してるとは思えない。(そもそも納得なんてしようとも思ってない)→俺はこれをもって日本には民主主義はないと思うが、瑠璃さんは「でも日本には真面目に議論しようと思えばできる仕組みにはなってる」と言うのかな?

民主主義って正しいことなんてできない、というのは卓見。そんなもんだけど権威主義よりはまし、と割り切れと言うのだろうが。。。俺は権威主義も否定しないし、日本には民主主義は向いてないと思う。権威主義に限りなく近い民主主義が日本の戦後民主主義だった。

民主主義=自己統治=自分の頭で考える個人が前提・・・自分以外の人の考えも取り入れられるんだから自分の頭で考える人にとって正しくないことが必ず行われる。

基本的に民主主義は自己統治

さてさて、フジテレビにも欠けていると言われたガバナンスだ。日本は「お上統治」「世間統治」だと思うが・・・日本では会社でも、個人でも、方針と言うか、ルールを作って、常にそれを意識しながらそれに基づいて行動するなんて、難しい。多くはフジテレビのように「受けるから」「面白いから」「流行るから」「儲かるから」やる/「叱られるから」「受けないから」やらないだけじゃあないのか?アメリカの”民主主義”も怪しい。トランプは当選すればいい、というポピュリズム。イーロンマスクは、もっと金儲けしたい、ということしか考えないカネの亡者。

複雑化し過ぎてしまった行政機構とその圧倒的な権限

アメリカのように、大統領が変われば機構はともかく人事はひっくり返る、というのはいい。不安定だが。

社会保障システムがこのままではおそらく持続可能ではない

民主主義の矛盾。権威主義なら一刀両断この問題を片付けられる可能性がある。民主主義においても年寄・金持ちが自己否定すれば話は別だがそれは無理だろう。「子どもの分まで親が票を持つ」の逆で「老人・金持ちは二人で一票」にしたらどうか??ただし、日本の変革の歴史は徳川慶喜、昭和天皇・・・とトップの自己否定の歴史ではあるのだが。。。

結局、瑠璃流に「民主主義」を整理すると:

自己統治できる有権者が投票を通じて、まず自分たちの生存・次に繁栄を目的に、政権を交代させたり自分の意見を言う機会を与えられている政治 ということか?

俺は生存や繁栄がそれほど大切か?と素朴に思う。戦後民主主義は、生存を優先して腑抜けになり、自己統治(=自分の頭で考えること)を禁じられて始まった。敗戦とは、天皇による「日本人の心や魂より生存を優先する」という判断だったのだ。その結果、家制度をはじめとする「我々がよって立つ精神文化」がどんどん衰えた。

閑話休題:

「読み終わるまで〇分」って何だ?何分かかろうと分からなければ必死に理解しようと時間をかけて読む(時間を忘れて読む)こと、つまり「自分の頭で考える」ことを否定するな。


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