オバマはゆっくり暗殺されている
オバマが大統領になると聞いた時、「すぐ暗殺される」と思った。「クロンボが大統領になるのは許せない」と思う人が何千何万といる、と考えたからだ。オバマは暗殺されなかったが、2025年1月23日付け現代ビジネスに 三ツ谷誠さんが書いた
「日本は1945年から何も学んでない」USスチール買収をめぐり「希望なき白人の物語」が日本人に鳴らす警鐘
を読んで「オバマはゆっくり、合法的に殺されているんだ」と思った。それがトランプ大統領再選につながった。
冷静に考えれば、最短の時間軸で台頭する中国に対するには、同盟国である日本の日本製鉄の技術と資本を活かして、早急にUSスチールを再建することが、理に叶っていることは、米国の支配層においても自明のことだろう。
しかし、米国の選択はそうした理性に基づいたものではなく、あくまでUSスチールは米国の手で管理し、再建できるのかどうかは分からないが、MAGA「偉大な米国の再興」(Make America Great Again)、の文脈でやっていく、というものだった。
>>理にかなったことを拒否する米国。Greatだった米国は理にかなっていたように思う。しかし、理にかなったことを心掛けていたはずの民主党・バイデンが日鉄のUSスチール買収に反対したのか?安全保障とか軍産複合体にはバイデンも弱いのか?<<
こうした帰結を考えるに、トランプが掲げるこのMAGAというスローガンについて、これはもう本当にそうなのだ、と考えた方が良さそうだ。2000年代初頭、読書界を騒がせた本に、ネグリ・ハートの<帝国>がある。<帝国>それは必ずしも肯定的に示されたものとは言えなかったが(<帝国>に抗するマルチチュードという概念が寧ろ肯定的に描かれていた)上部構造にあたる国家を超え先進各国の支配層が溶け込んで織り成す権力の在り方を呼びならわした言葉で、それは冷戦が終わり自由と民主主義が最後の政治的価値として浮かびあがった世界をも指し示すものだった。ある意味、グローバリズムの支配する世界、という解釈でも問題ない。
しかし、現在、アメリカは<帝国>という幻想や理想から離脱し、単独で世界に冠たる国家として行くことを、まずは選んだと考えられる。それは、もちろん中国やロシアといった1930年代を再現するかのような権威主義国家が国家として台頭したことへの回答でもあるが、トランプが関税を、美しい言葉だ、と語るのは、そうした1930年代的な世界においても最強であり、シェールガスによってエネルギー的にも自立し全てを自国で完結もできるアメリカの自信をも表している。
>>シェールガスで米国は鎖国できるようになった。でもいつまで?<<
もちろん、関税は自由貿易やグローバリズムがもたらす「豊かさ」にはマイナスの作用をもたらす。それは経済学の教える通りだが、しかし、グローバリズムが(ネグリ・ハートが論じた<帝国>が)、その中枢にいた米国から製造業を奪い、製造業で潤っていた地域やそこに住み、別の新しい産業に移ることのできなかった人々を「新しい貧困」に追いやり、それが<帝国>の前の時代にあった「偉大な米国」の再興を希求する人々を生み出し、そうした人々に押し出されてトランプ政権が生まれたことを、我々はきちんと受け止める必要がある。彼らは製造業をもう一度荒れ果てた街に戻したい、そこで汗まみれになって働きたい、働いて誇りを持ちたいのだ。
さて、USスチールのペンシルバニアもそうだが、かつて米国を支えた製造業の集積地となるラストベルトの1945年以後を知るには、うってつけの本がある。トランプが副大統領として指名したJ・D・ヴァンスの『ヒルビリー・エレジー』がまさにそれだ。そこに描かれるのはヴァンスの祖父母からの一族の歴史であり、生い立ちであり、希望を喪失した故郷の描写と、海兵隊に入って生活を建て直し、エール大学のロースクールで学ぶ機会を得て社会的な階層移動を果たす彼自身の姿になる。
筆者は年末年始、遅ればせながらこの本を読み、彼らの生活や文化を追体験しながら、例えば、そこに書かれた<オバマのエリート臭についていけない感覚>などを赤裸々に記した章などから、なぜ彼らラストベルトが(労働者の味方である筈の)民主党ではなく、トランプを選んだのか、そうした背景が理解できた気がした。
また筆者が、この本を読んですぐに連想したのは、ブルース・スプリングスティーンの世界(ザ・リバーの旋律などが蘇る)だが、すでにセレブとなったスプリングスティーンが、変わらず民主党を支持している一方で、どこにも行けずラストベルトで、希望なく暮らす白人が、かつてのアメリカの再興、に賭けたいという気持ちはよく分かる気がした。
>>民主党は変節する。かつては奴隷制を支持していたこともある。結局はエリート、セレブのウソ臭い弱者救済Wokeなのか?<<
ヴァンスの『ヒルビリー・エレジー』の、1989年に川崎製鉄が経営の厳しくなったアームコ・スチールと合併してできたAKスチールについて、合併後もアームコと呼んでいた、というような記述を読めば、問題はそこではない、ということも分かる。それは、こんな記述だ。
「ほとんどの人がAKをアームコと呼んでいた第二の理由は、カワサキが日本企業だったからだ。第二次世界大戦の兵役経験者とその家族であふれているこの町では、アームコとカワサキの合併は、まるで東條英機自身がオハイオ南西部に工場を開くことにしたかのように受けとめられたのだ」(光文社未来ライブラリー『ヒルビリー・エレジー』J・D・ヴァンス 関根光宏・山田文訳p101)
この記述にも、我々からすれば亡霊のような東條英機という「記号」にぎょっとする。また、ここにゴンガルベスが1945年という「記号」を語る背景が、滲み出ているとも感じる。
そして、こうした「記号」は例えばESG投資を語るニューヨークやボストンの機関投資家からは出てこないだろう。カルパース(カリフォルニア州退職職員年金基金)からも出てこないだろう。彼らはおそらくオバマを支持し、彼同様に肌の色はそれぞれでもエリート然と<ニュートラルでなまりのない美しい英語>を話すに違いない。しかし、こうした「記号」で語られているのは、実際には生々しくグローバリズムで衰退した地域の人々には根付いている「物語」なのだ、と理解すべきだ。
筆者は「自由や法の支配」などが本質的に重要だ、と考えていて、その意味で、それでも中国やロシアとではなく、米国が重要だと考えている。だから、幾つかの記事で中国との向き合い方について警鐘を鳴らしてきた。ただ、その米国が内向きになって、自らが嘗て主導したグローバリズムから背を向け始めている。
我々が本当に考えるべきなのは、いかに自立して在るのか、だろう。我々も一度グローバリズムの文脈を離れ、単独の国家としてどう身構えるのか、を考える必要がある。その上で、すべきことは、矛盾に聞こえるかも知れないが、米国が本当に内向きになることを、防ぐことだろう。岸田前首相が米国議会で語ったように、これからは自立した我々が隣りに立っています、だが、米国との向き合い方については、それが最善に思える。そしてそのためには、英国との関係を強化していくのが正しい気がする。
また、理想論にはなるが、中国の中にも必ずいるそうした自由や法の支配を希求する人々をどうにかして支えることも大切だろう。その意味では、ゴンカルベスの批判のうち、「邪悪な中国を生み出したのは日本だ」という言葉については、その言葉を苦く噛みしめる必要がある。
>>英米関係みならって日米関係を見直せということか?「自由や法の支配」を求める中国人を支援??俺は「自由と法の支配」はオワコンだと思うが・・・<<
2024年7月31日付けの記事:
日本製鉄、中国宝山鋼鉄との合弁解消は単なる「脱中国」ではない…その先にある「新冷戦」のリアル
実際、USスチールの所在地がスィングステートであるペンシルバニア州にあり、労働者の雇用確保に確信を持てるかどうか、労働組合の組織票も意識したそうした話だけが論点ではなく、この問題は安全保障に繋がっていて、中国政府と関係の深い日本製鉄に本当に鉄を渡せるのか、という問いがあることは、4月の段階で、例えば民主党のシェロッド・ブラウン上院議員がバイデン大統領に送った書簡にも記されている。
おそらくは(これは完全に筆者の推測だが)、水面下の調整などを経るなかで、日本製鉄は自らの潔白を、宝山との合弁解消というような象徴的なカタチで具体的に示してみせる必要性がある、と感じたのではないだろうか。
また、最近の記事には日本製鉄がUSスチール買収にかかる顧問として、第一次(第二次があるかどうかは分からないが)トランプ政権で国務長官を務め、対中強硬派として知られるポンペオ氏を起用したことが報じられている。
宝山との合弁の解消とポンペオ氏の起用は、そのまま米国政府や米国議会に向けられた日本製鉄のシグナルではないか、と思う。少なくともそうした視点を持つことは重要だ。
歴史を紐解けば1970年代、周恩来や鄧小平と対峙した新日鉄の稲山嘉寛は明治37年の生まれ、田中角栄も大正7年生まれと(田中角栄が若くしてその地位に着いたこともあり)世代こそ異なるが、もちろん共に戦争体験を持ち、日中戦争について、もしかしたら中国にある種の負い目を感じていた世代で、そうした意識も彼らの自立に手を貸す動機のなかにはあったのかもしれない。
そして、上海宝山製鉄所の高炉に火が入ったのは1985年、まさにプラザ合意の年であり、ほどなく1989年、ベルリンの壁が崩れ、1991年にはソ連が崩壊し、冷戦は終結、歴史の終焉が語られ、西欧民主主義が普遍的なものとして多くの人々に受け止められた。だから80年代以降の経営層はグローバル化の幻想のなかで経営判断を重ねてきたと考えられる。
しかし、ウクライナが戦火に巻き込まれ、明確に独裁色を持つ国家としてロシアや中国がその相貌を露わにした世界では、経済の論理よりも軍事の、安全保障の論理の方が優先していく。それが現在、我々が直面しているものだろう。
さて、西欧近代がたどりついたものが本当に全てで正しいのか、もちろん、その判断は保留とすべきだろうが、少なくとも我々は自由な個人が社会契約で国家を成立させていて、法こそが秩序の源泉であるべきだ、と考えてはいるだろう。とすれば、国家がまずあって、その国家のために個人が存在する、とする思想や体制には厳しく対峙せねばならない。それは、我が国以上に西欧思想の源流となるフランスや米国などでは各人の骨身に染み付いた思想でもあるだろう。
>>俺は、筆者の「我々」には入っていない。自由な個人なんて日本にいるのか?日本は法の支配する国か?契約で日本国が成り立っているとも思えない。日本国は自由な個人ではなく、「お上」が作って来た。<<
米国で考えれば、民主党はまさにイデオロギーとして、習近平独裁の中国を許容はしないだろう。共和党は、トランプにより変質していると言われるが、根本にあるものは信仰であり、やはり全体主義的な(神ではなく)独裁者に膝を屈する世界を許容するとは思えない。また、トランプが実利を取りに同盟国の頭越しにディールをしようとしても、そこで得られる実利以上に、結局は軍事のリアルさを前提に、廻り廻って軍事的な不利益が発生するものであるならば、まさにポンペオ氏的な彼の取り巻きがそれを許すことはないだろう。
その意味では、やはりポンペオ氏を起用した日本製鉄の賭けは見守っていくべき賭けに思われるし、もはや冷戦なのだ、いや、もしかしたらウクライナからすでに第三次世界大戦は始まっているのだ、始まりつつあるのだ、というくらいの認識で、各社とも戦略を立てるべきなのかもしれない。
以前からチャイナ+1という言葉があり、生産拠点を中国から離し、分散をはかる動きは見られた。また、脱中国という動きは産業を越えて始まりつつある。しかし、それが明確に新しい冷戦の構造を見据え、経済の論理だけではなく政治体制や価値観にまで踏み込んだ背景を持つことを連想させる事例はこれまではなかったように思う。だから、今回の日本製鉄の決断は中国市場に対峙する他の日本企業各社にも決断を迫る嚆矢となる事例なのかもしれない。そしてその場合、先人の汗や涙といった決断しないための情緒的な言葉ではなく、意識するものは新冷戦のリアルなのかもしれない。
また、それは中国での生産というだけではなく、中国との貿易そのものにもかかってくる事象になるだろう。もちろん、既に最先端半導体に係わる製造装置など政治的に規制のかかった財は存在するが、政治的に規制がかけられたからではなく、企業自身が、例えば法の支配や自由など自らの拠って立つ基盤を守るために、政治的な選択・決断をすることが求められるのかもしれない。新冷戦のリアルとはそうしたことではないか。
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