小林秀雄
小林秀雄「本居宣長補記1」より:
プラトンは、はっきりと書物というものに対する不信を表明している。事物の本性の最も深いところは、言葉などで現わせるものではないとさえ言っている。自分は哲学の第一義について、今日まで書いたことはないし、これから先も書くことはあるまい、書けるものではないからだと断言している。(略)
ソクラテスの話相手のパイドロスは、民主制下にあった当時のアテナイの一般知識人の風として、議会や法廷の演説を通じて発達した弁論術雄弁術(レトリック)というものを重んじていた。だが、どんな雄弁家も、聴衆の思惑に無知でいては、その説得など思いもよるまい。それなら、相手の思惑に通じて、これに上手に阿れば、説得など訳なはいとも言えるわけで、上手に人を説得するのと物事を正しく考えるのとは、ひどく違ったことだ。ソクラテスは、説得と思惟とを、根本的に異なった心の働きとするまで、考えを進めるのである。しかし、国政を論じ、世論を動かし、成功の道を人々に開いて見せている雄弁家に慣れた人々には、ソクラテスの洞察は、容易には目に入らない。(略)この対話で、ソクラテスは、決して相手を説得しようとはしていないし、第一、相手の思惑など眼中にないのである。(略)
修辞をこらして、相手の説得に成功した雄弁家には、言語表現の上で、自在を得ているという考えが生まれるだろうが、それは、雄弁と言う偶像を信じ、指導者になれたという当人だけの自負を出まい。ソクラテスの場合は、言葉の力は、遥かに深く信じられていたと言ってよい。言葉を飾るというようなことは、彼には思っても見られぬ事であった。なぜかというと、言葉とは、彼には、自分の外部にあって、外部からどうにでも操れる記号ではなかったからだ。それは、己の魂に植え付けられて生きているものだ。(略)
答を予想しない問は無かろう。あれば出鱈目な問である。従って、先生の問いに正しく答えるとは、先生があらかじめ隠して置いた答えを見つけ出すことを出ない。中江藤樹に言わせれば、そういう事ばかりやっていて、「活発融通の心」を失ってしまったのが、「今時はやる俗学」なのである。取り戻さなければならないのは、問いの発明であって、正しい答えなどではない。今日の学問に必要なのは師友ではない。師友を頼まず、一人「自反」し、新たな問いを心中に蓄える人である。(略)
人の性は万品にして、その多様、不安定は、得て変ずべからず、という人生のあるがままの事実は、徂徠の言い方で言えば、真実な学問の上での「教えの条件」なのである。これを「うひ山ぶみ」の宣長の言い方で言えば、万人向きの「学びようの法」など、まことに疑わしいものであるという事になる。誰も万人向きのやり方で世を渡ってはいない、という事は、どんなによくできていても、万人向きのやりかたでは間に合わぬ、困難な暗い問題に、この世に暮らしていて出会わぬような人は、まずいないという事だ。そして皆、何とかして、難題を切り抜けているではないか。他人は当てにはできない、自分だけが頼りだと知ったとき、人は本当に努力をし始める。どうあっても切り抜けねばばらぬ苦境にあって、己の持って生まれた気質の能力が、実地に試されるとき、人間は初めて己を知る道を開くであろう。
玉勝間から”からごころ”という文の引用:
漢意(からごころ)とは漢国のふりを好み、かの国を尊ぶのみを言うにあらず、大かた世の人の、萬の事の善悪是非(よさあしさ)を論(あげつら)い、物の理をさだめいうたぐいすべてみな漢籍(からぶみ)の趣をいうなり。さるはからぶみをよみたる人のみ、然るにはあらず、書という物も見たることなき者までも、同じこと也。そもからぶみを読まぬ人は、さる心にはあるまじきわざなれども、何わざも漢国をよしとして、かれをまねぶ世の習い、千年にもあまりぬれば、おのづからその意(こころ)世の中に行き渡りて、人の心の底にそみつきて、常の地になれる故に我はからごころもたらずと思い、これはからごころにあらず、当然理也と思うことも、なおからごころをはなれがたきならいぞかし。(略)
宣長に「真暦考」という著述がある。その紹介:
ある人問いけらく、もし日次(ひなみ)のさだめなからむには、たとえば親などのみまかりたまむ後なども、年々いづれの日をか其日とは定めて、しのびもしなむ。
こたえけらく、上つ代(かみつよ)には、さるたぐいの事どもも、ただその時のそのほどと大らかに定めて、ことたれりしなり。後の代のごと、某月の某日とさだむるは、正しきに似たれども、全て暦の月次日次は、年のめぐりとはたがいゆきて、ひとしからねば、去年の三月の晦(つもごり)は、今年の四月の十日ごろにあたれば、まことは十日ばかりも違いて、月さえその月あたらぬおりもあるなれば、中々にその日にはいとうとくなむあるを、かの上つ代のごとくなるときは、その人のうせにしは、この木の紅葉の散りそめし日ぞかし、などとさだむるゆえに、年ごとにその日は、まことのその日にめぐり当たりて、たがうことなきをや。
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「活発融通の心」を失ってしまうとは「自分の頭で考えない」こと。問いの発明とは、新たな答えを考え出すこと。
これはからごころにあらず、当然理也と思うことも、なおからごころをはなれがたきならいぞかし・・・座禅で、「無心になろう」と一所懸命になるようなものか???
本居宣長の暦学批判は面白い。昔は1年で10日も違ったというが、今だって4年に1回はうるう年がきて調整する。加えて「うるう秒」なんてのも。暦学とか天文学などというものは、いくら精緻を極めてもずれが生じて調整が必要なのだ。
ならば、親の命日を何月何日と決めるより、「この木の紅葉が散り始めたとき」といった決め方は「たがうこと」がない。命日を何月何日と決めてそれに縛られて律儀に墓参りしたりするのは人間が作った時間に支配されているのだ。ミヒャエル・エンデの「モモ」を連想させる。
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